易経を読む(最新話)

易はすべての現象を八卦で捉え、上下卦を組み合わせることにより、より複雑な現象とその変化推移を表すことができる。一つの形は常に同時にあらゆる形への変化の可能性を持つ。易は宇宙の多次元性のしくみを視覚的に捉え、文字によって具象化する唯一の体系と言ってよい。爻辞に用いられる文字はこのことを掴むために欠かせざる存在となる。甲骨文及び金文の象意を正確に読み説くことで、卦と卦の繋がり、爻変の可能性をより正確に掴むことができる。

*甲骨文・金文の意味解釈は白川静氏編纂の「字通」及び「白川静著作集」を参照。 

*易経解釈:浅沼 元世翬 

 

 

 

 

子曰龍德而隠者也 不易乎世 不成乎名 遯世无悶 不見是而无悶 

樂則行之 憂則違之 確乎其不可拔 潜龍也

 

子曰く、龍德は隠者である。世が変化しても自分は変わらず、名声を得ることもない。世を逃れて暮らしても憂うることはないし、認められなくとも憂うることはない。楽しみがあれば則ちこれを行い、憂うることがあればそこから違(さ)る。確乎としてその節操を奪うことができない人。それが潜龍である。

 

「潜龍」は乾爲天の初九に出てくる。初九という位置は最下位ではあるが陽爻であるため勢いがあり才気あふれる。但し活躍の時期未だ至らず実力を発揮することができない。

 

龍德則ち潜龍と呼ばれる人は隠者であるという。天地否のように世が塞がっている時は決してわが身を世にさらさない。どこか目立たない山村に身を隠し、持てる知識、智慧、技術を誇示することもない。多くの人は賑やかな晴れ舞台に上がって持てる力を発揮し名声を勝ち取ろうともがく。そして富を得てその地位を固める。そのような生き方にはどうしてもなじめない。潜龍は楽しみを糧として動き、憂鬱を避けて通る。これは自分本位な楽しみではなく自分本来の才能を発揮することの喜びを表す「楽」であろう。

 

心を楽しませることは素直に行い、気が滅入ることには決して手を出さない。「憂則違之」という言葉は頭ではわかっていても実際に行うことは難しい。これは地位、名誉、財産という物質的価値観から逃れきっている人にしかできない。自分の本当の才能、実力を発揮するためには、外からくる価値観に影響されず、自分軸をしっかり立てて回転しなければならない。

 

時を得た時、潜龍は「見龍」となり「大人」に謁見する。一時不慣れな世間の荒波に揉まれ、危うい立場に立たされることもある。それなりの地位を得てもやりたいことができず力を温存することもある。そしてようやく時と場所を得た時「飛龍」となって持てる実力を思う存分発揮する。

 

 

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同聲相應同氣相求

同声相応じ、同気相求む

 

同じ声を持ったもの通しは相応じ、同じ気質を持ったもの同士は相求める。私が易経の中でも最も重要視している言葉である。気とはそもそも何なのだろう。気の理解の仕方は様々あるが、一番分かりやすく説明するにはやはり物理で説明したほうがよいだろう。気を物理学的に説明すると波動エネルギーとなる。波動とは電磁波(周波数)であり、様々な現象として現れるが、情報を交換する手段にもなる。ラジオ、テレビを通して私たちが音声を聴き映像を見ることができるのは、発信元と受信側の周波数が一致するからである。

 

実は「同聲相應同氣相求」はこのことを言っている。同じ気質を持つと互いの波動が一致し繋がる。この状態でエネルギーや情報の交換が起きる。これは人に限らず物や現象についても同じことが言える。例えば不機嫌な波動を出せば不機嫌な人に繋がり不機嫌な出来事に遭遇する。感謝の気持ちを発すると相手も同じように感謝の気を発し、その気を共有する人が集まり、さらには感謝に代わる様々な物質が目の前に現れる。

 

自分の身の回りで起きている出来事は自分が持つ周波数で決まる。運気とは自分が”今”発している波動で決まる。このことを最も分かりやすく簡略に表現したものがこの言葉であろう。 

 

 

  

(浅沼気学岡山鑑定所監修)