君子は終日乾乾たり 夕べに惕若たり 危うけれども咎めなし

 

易経の「君子」は一般的に私たちが捉えているような君子とは少し違う。易に現れる「君子」はもっと人間的である。そのことが乾爲天九三の爻辞によく表れている。この辞は「君子」が終日壮健に励み、一日の終わりにわが身を振り返り、何か過ちはなかったか、出過ぎたところはなかったかと畏れ慎む姿を表す。これが「惕若」(てきじゃく)である。ここで見逃してはならないのは九三という位置に「君子」が最初に現れることである。九三は上卦と下卦の境界線にあり、運気の境目であることから不安定な位置で、誤解されやすく外部の侵入や干渉を招きやすい。これが「厲」の意味である。乾爲天において「君子」はなぜ上位の安定位置である五爻に現れず、不安定な九三に現れるのか。

 

我々が思い浮かべる君子は人徳が備わり周囲から慕われ、地位も高い位置にある。一方易の「君子」は時に危うい立場に置かれ、時に苦難を背負い、時に孤独になり、時に豹變する。危うい立場に立たされても決して「乾乾」としてわが身を失うことはない。乾は元来光を表し、光は与えても尽きない性質を持つ。「君子」は光の気質を体現するという意味が裏に隠されているように思う。

 

「惕若」の「惕」は「易」に通じ、「易」は玉光を表し魂振りを行う形でもある。「若」は巫女が両手を上げて舞い神託を受ける形。神が応諾することを意味する。「君子」の「君」は元来巫祝の長を表す文字である。天に通じ神託を受けることのできる人である。時に九三という在野に属し、危うい立場に置かれることもあるが、「惕若」たり得て天意に背くことのない人である。

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)