坤の底力

坤という力のすさまじさは言葉ではとうてい語りつくせない。叡智の世界を表す離の世界は人々を夢、希望、理想に導き、後天図の頂点を極め絶対的地位を占める。ところが気の世界はどの波動も一長一短の特徴を持ち、強い立場と弱い立場を兼ね備える。離、九紫は栄華を極めるが現実にもろく、兌宮に入ると往々にしてその権威を失墜する。そして離宮に隣接する坤宮は無、解体、浄化、再生の世界で、離宮で確立した価値判断を放棄しあるいは解体する。離宮は道徳の宮でもある。この道徳さえも坤宮においては覆され通用しない。絶対的権威も坤という無の力には及ばない。坤、二黒には民衆、国民の意味がある。故に為政者は坤の国民を侮るといつか必ず解体される。

 

坤という力は種を発芽させ、生命を育み、水と栄養素を蓄え、ただひたすらに力のないもの、持たざるものを育て上げる。そこに見返りという意識はかけらもない。そもそも土という五行には利害が絡まない。無の意識のままにいつまでも育て続け与え続ける。これが坤の土の姿、母性の姿である。坤の母性とは価値、道徳、恥、外見、見栄えを越えたところにある。育てるという無の力がこれを成し遂げる。これを易では「成すことなくして終わり有り」というのである。坤の底力はおそるべきものがある。

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)