来たものを掴む

来たものを掴む。自ら取りに行かない。坤の彖辞「先迷 後得主」に示された言葉の意味は深い。人に先立つということは、自ら何かを取りに行っている状態をいう。「後るれば主を得る」とは他の人の後から行くと却って主人を得ると解するが、ここには来たものを掴むという意味も含まれているように思う。

 

気学的な解釈をすれば、自ら取りに行くのは震。三碧木星の姿である。三碧には若年、一時的、短期的の意味がある。自ら取りに行くのは若い時の特権であり、競争心に掻き立てられ、自分を成長させるために逆風の中に身を投じていく。三碧は東の気であるから、東に向けてことを為すと短期、早期に実現するが、その成果は一時的、短期的な傾向が出る。これは東及び三碧の特質であり、役割と見る。

  

これに対し良き縁、長い縁を掴むための気は巽。四緑木星が司る。巽風はいつの間にかそこにいてしばらく留まるが、関心を示さなければいつの間にかそこから去っていく。良縁とはこのようなもので、いつの間にか来ていつの間にか去っていく。巽は環境を整える。その人が過ごしやすいように身の回りを整える。巽は先天では坤宮に属する。従って巽と坤は表裏一体の関係となり、いずれの気質も自ら動いてことを為す気質ではない。

  

 ䷇ 水地比の初六にこうある。

「有孚比之 无咎 有孚盈缶 終來有他吉」

真心があってこれに比しむ。咎めはない。真心が溢れるほどに満ちる。ここまでに至れば予想外の吉がある。

 

「比」はしたしむと読み、比助の義。九五は有徳の大人。上卦の坎は水を表し水は情愛をもたらす。下卦は坤。初六は坤の気質に従い自ら水を取りに行くことはできない。初六は九五と直接応じないが、初六の真心が募れば九五の水は自然に雨水となって坤土の初六に降り注ぐ。これが「終來有他吉」である。

 

良縁とは互いの生活環境を過ごしやすいように整えてくれる縁とみる。インパクトをもたらす震、三碧の縁は一時的。巽風がもたらす縁は存在感を誇示しないが故に長く続く。そして解こうと思えば解けるのが巽の性質。相手を束縛しないということ。長く続く縁はいつの間にかやってくる風のようなもので、自ら取りに行くものではない。巽の巧妙な働きは「後るれば主を得る」の理に適う。

 

 

浅沼気学岡山鑑定所監修