澤雷隨

                              ䷐

 

 

 

【彖辞】隨 元亨利貞 无咎

 

①従う。大いに希望は通るが、身を慎むがよい。咎められることはない。

②神梯子の前に肉を供え、呪具を持って神に祈る。命を全うして無事帰還を

 廟に報告する。出入を厳密にして貞卜し修祓せよ。神罰なからん。

 

「隨」は巫が神梯子の前に肉を供え、呪具を持って神に祈る形。神の在る所に従って祀る。つきしたがう義。この文字は上六の爻辞に見られる「從」とは意味が異なる。この卦の爻辞は難解であるが、「隨」の神梯子、神の在る所という義が爻辞を読み解く鍵となる。

 

 

 

  

【初九】官有渝 貞吉 出門交有功 

 

①官位(管轄)が変わる。身を慎しめば吉である。門を出て交渉すれば

 功績ある。

②教官が変わることあり。出入を厳密にして貞卜し、修祓せよ。

 契刻した誓約の実現を求められる。門を出て交際し功績を手にする。

 

「官」は軍官。教官の意味。官位、管轄と捉えてもよい。「渝」には移す意味と治癒する意味がある。「渝」を移動する義で捉えると、官位または教官が変わると解釈する。ではなぜ官位、教官が変わるのか。この卦の形のどこに移す、移る形があるのだろうか。 

 

易には陰陽を裏がえした裏卦と上下を逆さにした賓卦がある。この澤雷隨は上卦を兌、下卦を震とする。この裏卦は山風蠱であり、賓卦も山風蠱である。すなわち裏卦と賓卦が同じ形となる。裏卦を見えていない裏の事情とすると、賓卦は相手の立場から見た状況となる。つまり相手から見た状況がこちらの裏の状況と一致し、表と裏で相手の立場と自分の立場が錯綜する。この形は自他の立場が重なり入れ替わる状態となる。初九は最下位であるから官位はない。ところが上下逆転すると最上位となり裏の状況も最上位となる。付き従うべき自分が付き従われる自分となる。

 

                 

 

 

【六二】係小子 失丈夫 

 

小子に繋がれば、丈夫を失う。 

 

「係」は呪飾として加える飾り紐の類。つなぐこと。「失」は手をあげて舞い恍惚の状態を示す形。「丈」は杖の形。礼記に「席閒、丈を函(い)る」とあり、尊者に対して間隔を置くことを規定している。また「丈」には年長者、長老の義がある。「丈夫」は二つの訳し方がある。「丈夫」を年長者とすると、裏卦の上九が「丈夫」となる。また「丈」を尊者に対して間隔を置く義として捉えると、「丈夫」は上九に対して間隔を置く九三となる。「係小子 失丈夫」は様々な解釈が可能であるが、爻辞の文字と卦の形を踏まえた上で、一つの解釈を提示しておく。

 

澤雷隨は裏卦山風蠱の形を見ることで爻辞の爻の動きを確認することができる。その際、「係」と「隨」の文字がどの爻で使われているかを見定めることが、六二と六三の爻辞を紐解く鍵となる。「丈夫」は字義から上九と九三の双方に該当する可能性を持つが、爻辞の文字配置に忠実に従うと、「丈夫」は六三の位置にあるから裏卦の九三が「丈夫」となり、「小子」は六二の位置にあるから裏卦の九二が「小子」となる。

 

〔上九と九二・九三の繋がりを見る〕

上九が九二の「小子」に「係」わると九三の「丈夫」との「係」わりを「失」う。この場合九二は上九に従うことで柔に転ずる可能性があるから、これにより変爻すると艮爲山となり、巫女が両手を上げて祈祷する「失」の形が生じる。また上九が九三の「丈夫」に「係」わると、上九は九二の「小子」との繋がりを「失」い、九二は巽の従う形を崩し、変爻して「失」の艮爲山の形を作る。この経緯が六二の「係小子 失丈夫」、六三の「係丈夫 失小子」の文言となって現れる。 

 

〔「」の文字から爻辞を捉える〕

「隨」の文字は六三と九四に現れる。「隨」の神梯子の形は艮爲山の形であるから、九三と上九の繋がりを意味する。従って六三の「隨」は裏卦における九三と上九の繋がりを表し、九四の「隨」は賓卦の上九(表の初九)と九三(表の九四)の繋がりを表す。これが「隨」の文字からみた爻辞の解釈である。

 

〔「係」の文字から爻辞を捉える〕

次に「係」の文字は六二、六三、上六すなわち裏卦におきかえると九二、九三、上九に現れる。この場合も裏卦の象意から「係」の繋がりを捉えていく。九二と九三は巽の形で上九に「從」う。この形を「係」の形と見る。「隨」は神梯子の形を表し、「係」は天上から糸を係ける形を表す文字である。従って「係」は上九の天上に九二と九三を係ける形あるいは吊り下げる形と見る。上六の爻辞「拘」は「係」の文字に通じ、上九が九二及び九三と「係」わり過ぎると、「拘」束となることを示す。「乃從維之」は拘束を緩めて相手がこちらに従って動くことを促す文言と解釈することができる。

 

裏卦の山風蠱は九二、九三が上九に従い昇っていく形であり、九二は九三の後ろから付いていく形である。九二と九三は歩調を合わせてはいるが、いずれの爻も変爻乃ち心変わりする兆しがある。心変わりすれば従う相手が変わる。従う相手が変われば今まで繋がっていた人が離れていく。「係」は単に関わる、繋がる意味だけでなく、関わりすぎると拘束されることを説く文字でもある。この卦は裏卦と賓卦の同一形となり、表で繋がる関係が裏卦と賓卦で切り替わるという錯乱を生じさせる。また澤雷隨の裏卦は山風蠱であり、山風蠱は艮爲山の六二変爻により生じた卦でもある。艮爲山は艮の形が重なり、上九と九三のみが陽爻であるため、継承者に迷いが生じない。澤雷隨は継承者をどの人(爻)に見定めるか、また弟子となる者がどの師(爻)に付き従うかを見定めることがテーマとなる。

 

艮爲山【六二】艮其腓 不拯其 其心不快 

 

ここに「隨」の文字が現れ、艮爲山と澤雷隨の繋がりを確認できる。この「隨」を六二変爻の形と考えると、上九が九二と「係」わると九三の「隨」行者を「拯」わずの形になる。これを九三の「心」の「不快」とする。また上九が九三と「係」わると、六二の「隨」行者を「拯」わずの形になる。これを六二の「心」の「不快」とする。

   

 

 

 

 

【六三】係丈夫 失小子 隨有求得 利居貞

 

丈夫に繋がれば小子を失う。えば求めて得るものがある。身を慎み

 そのままで居るのがよい。

丈夫に繋がれば小子を失う。神の在る所に従って祀れば、求めて得る

 ものがある。身を慎みそのままで居るのがよい。

 

六二の解釈に従い「係丈夫 失小子」を解釈すると、上九が九三の「丈夫」に「係」わると、上九は九二の「小子」との繋がりを「失」い、九二は巽の従う形を崩し、変爻して「失」の艮爲山の形を作ることになる。「隨」には神梯子の象意があるから梯子は上九と九三が形作る。

 

「求」は呪霊を持つ獣の形。この獣をもって祟りを祓い、希望することを祈る義。「求」の義が「蠱」の邪気を払う儀式に繋がる。裏卦の九三は上九に「隨」う立場にあるが、同時に六五の君主に恭順する位置でもある。九三は六五の地位を凌ぐ位置でもあるから、「居貞」により出入りを厳密にして持ち場を守るものとなる。

 

   

 

 

【九四】隨有獲 貞凶 有孚 在道以明 何咎

 

神の意思にい、所有権を奪い取る。身を慎んでも凶である。真心がある。

 自らの権限を越えず、進む道を明らかにすれば、何の咎めがあろうか。

神の在る所に従って祀り、所有権を奪い取る。出入を厳密にして貞卜して

 修祓し、災厄を祓え。孚の心がある。占有支配を明確にして除道を行い、

 神明の徳をもって祓う。顧みて厳しく問いかけ、神罰を求める。

 

「獲」は鳥を手で取る象。「獲」は地火明夷、雷水解、巽爲風でも使われる。「獲」は二つの解釈があり得る。一つは九四が六二との結びつきを得ること。もう一つは九四が応の初九に繋がることである。まず九四が六二と繋がることは九五と六二の応の繋がりから六二を奪い「獲」る形になる。また初九は九四に応じるが、九五との繋がりもある。この繋がりは賓卦では上九が九三と九二を隨」える形となる。初九が九四との繋がりを強くすれば九五との繋がりが途切れる。初九が九五との繋がりを強くすれば九四との応の関係が途切れる。これは六二の「係小子 失丈夫」、六三の「係丈夫 失小子」の文言と同じ奪い合いを表す。この関係が「獲」の文字となって現れる孚」の文字が九五にあることは、九五が孚」の元であることを示す。「有孚」とは九五と六二の繋がりがあることを九四に知らせる文言であろう。「貞凶」が初九の「貞吉」に応じる。初九は結びつく相手を見定め出入りを厳密にして「吉」であるが、九四は九五の主君を上にしているから、配下を従えることは九五の主君から臣下を奪う形となる。故に九四は出入りを厳密にしても誤りやすく「凶」となる。「在」は領有支配を明確にする義。「在道以明」とは九四と九五に繋がる初九の関係、九四と九五に繋がる六二の関係、また賓卦では上九に繋がる九二と九三の関係について、明らかにせよとの文言であろう。「道」は邪霊を除いて進む除道の義。「何」は顧みて誰かを問いかける形。「何咎」は九四が六二あるいは初九を「隨」えることに関して、道義に反するかどうか厳しく問いかけることであろう。

 

裏卦六五変爻による巽爲風【六四】悔亡 田三品

         雷水解【九二】田三狐 得黄矢 貞吉

            【上六】公用射隼于高墉之上 之无不利

  

  

 

 

【九五】孚于嘉 吉

 

①真心があって喜びごとがある。吉である。

②虫害を祓い、俘獲せんとする。契刻した誓約の実現を求める。 

 

「孚」は卵がかえることの他、金文において貝・金・戈を俘獲する意味で用いられる。また金文に「孚(おお)いに天命を受けらる」とある。さらに「和ならしめ孚(まこと)ならしめ」と孚信の意味としても用いられる。「嘉」は喜(たいこ)と祝禱サイより構成される文字。鋤を祓い清める儀礼。秋に虫の害を祓い増収をはかる農耕儀礼。

 

六二変爻による兌爲澤【九二】兌 吉悔亡

          【九五】于剥 有厲

 

兌爲澤の爻辞から六二の変爻が起き得ることを示唆する。六二の変爻(心変わり)は「有厲」となる。九五は賓卦山風蠱の下卦巽の中爻である。巽は従う象意であるからこの形を崩すと「隨」う形が崩れる。但し九五の位置は君主の位置で容易に心変わりしない。澤雷隨の上卦は兌で、九五は孚信の核となり九二に応じる。九五は賓卦の九二であり、九二は九三とともに上九に従う。

 

六三変爻による澤火革【九四】悔亡 有改命 吉

六三変爻による澤火革【九五】大人虎變 未占有

 

六三の変爻は「改命」をもたらす。改心すれば吉となる。「大人虎變」は大人が虎のごとく威嚇して變改を求める義である。澤火革の裏卦は山水蒙である。山水蒙は九二の童蒙を上九が啓蒙する形である。この経緯を読み解くと、表の六二と裏の九二がどの爻に従うかが問われている。兌爲澤の九五は澤雷隨の形を見越して「剥」「厲」と注意を喚起する。六二の動向はこの卦における一つの鍵であり、このことからも「小子」を六二(裏卦の九二)と見なす解釈は筋道を得ている。

 

  

 

 

 【上六】拘係之 乃從維之 王用亨于西山

 

①係り過ぎて拘束される。乃ちこの人に従い繋がる。王は西山にて祀られる。

②係り過ぎて拘束される。なんじ上位に従いこれに繋がる。王は西山にて

 烹飪する。 

 

「拘」は曲がる意味があり、拘引すること。止まって自由を失うこと。「乃」は弓の弦を外した形。そのままの状態。金文に「すなわち」「なんじ」として用いられた事例がある。「從」は二人前後する形。「維」はつなぐ義。詩経に「之れを維ぐ」とある。上九の「係」が六二及び六三の「係」と繋がる。易は文字の配置により、どの爻とどの爻が繋がっているかを明確に指示することがある。この卦では繋がる相手が裏卦と賓卦の同一形で錯綜するから、特に文字配置が重要になる。上六では従うことを意味する文字を「隨」ではなく「從」に置き換える。爻辞の文字配置によって爻の繋がりが指示されていることを見落としてはならない。

 

上六の「從」と「隨」は同じ従う意味があるが、なぜ上六は「從」を用いたのだろうか。既に彖辞にて「隨」の神梯子、神の在る所という義がこの卦の爻辞を読み解く鍵になると記述した。私はこの「隨」の形象である神梯子、神の在る所は、裏卦の艮乃ち上九のことを示していると考える。「王用亨于西山」の文言はこのことを裏付けする。「王」は文王。「西山」は周王朝の聖地とされる岐山(*)。乃ち神の在る所「隨」である。その上九を神の在る所とし、下卦の巽である九二と九三が上九に「隨」うのである。このように上九を「隨」の本体と見なすと、神梯子に達した上九はこれに従うものを「隨」ではなく「從」で表すことになる。

 

澤雷隨の裏卦山風蠱の上九が変爻すると地風升となる。その六四に「王用亨于岐山 吉无咎」とある。澤雷隨の「王用亨于西山」及び地風升の「王用亨于岐山」は、宗周すなわち周王朝の聖地が西にあることを説いている。

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)