土の気がなければ生命は生まれることもなく育つこともない

逆転のベクトル

五行の土という気は他の四行のように一方向のベクトルを持たない。五行の中では土のみが逆転のベクトルを持つ。気は上昇と下降もしくは右回転と左回転のように二極にベクトルが分かれ、この対立と相補性により五行の循環を果たす。 

 

土は予測が立たない

土は逆転のベクトルにより一方向に動かない。物を育てもするが解体もする。時に成果を台無しにする。土は様々な局面で動きの予測が立ちにくく、要望を一定の方向性で進めることがない。二黒土星は無為を志向し、五黄土星は成果と破綻を繰り返し、八白土星は転換を志向する。 

 

土はもろい

形を持たない土は容易に崩れる。逆転のベクトルは作ることもあれば壊すこともする。極限まで耐えることもあれば、すべてを投げ出し、姿を消すこともある。

 

土は利害に反応しない

土は期待することなく、望むことなく、誰も成し得なかったことをいつの間にか成し遂げる。土は作ってはやり直し、試行錯誤を繰り返しながら少しずつ完成に近づく。土は金を生むが、土が金を求めることはない。無から有を生むが、これを作為することはない。目的、目標、完成形を掲げることなく、黙々としてこれを成し遂げる。 

 

土は感覚を持たない

土は重荷を重荷とせず、犠牲を犠牲とせず、疲れもなく、痛みもなく、倦むこともない。土は感覚を持たない。人体では痛みを感じない部分を司る。愚鈍に見えるが、愚直に役目を果たす。敏感は過ぎると苦痛を生む。無感覚な土はあらゆる負荷に耐え、同じ働きをいつまでも続ける。 

 

土は道義を問わない

土はきれいなものときたないものを区別しない。すべてをいったん受け入れ、自ら吐き出すこともない。時に消化できないものをも受け入れる。すべてのものを受け入れる包容力は時に俗世の膿を抱えもする。善悪を超えた土は世事に疎い。だからこそ俗世に容易く振り回されてしまう。

 

土にとって水は多すぎても少なすぎてもいけない

土と水は相剋でありながら互いを最も必要とする。土は水を得てはじめて木を成長させる。水は生まれるための母胎を必要とし、母胎は生命の元である水を受け入れこれを育てる。土にとって水は多すぎても少なすぎてもいけない。土は適量の水を適宜得てはじめて木の成長を軌道に乗せる。  

 

土は見返りを求めない

土は無償で生命を育てる。木に無限のエネルギーを与える。こんなことをして何の意味があるのだろう。これは何の役に立つのだろう。こうした問いかけが土には通用しない。土は俗世が求める意味や評価から隔絶した世界にある。土は意味がなくともエネルギーを与え続ける。土は自らが犠牲であるとは感じていない。ただ私たちが知るべきことは、そうした土の気がなければ生命は生まれることもなく育つこともないということである。 

 

 

浅沼気学岡山鑑定所監修