澤風大過
䷛
【彖辞】大過 棟橈 利有攸往 亨
大いに過ぎる。棟木がたわむ。意を決して進んでよろしい。貢物を捧げ
恭順する。
「棟」(むなぎ)は屋根の一番高い所にある棟木を意味する。澤風大過はこれが重量に耐えかねてくの字型に曲がる形。初六と上六は棟木の継手(ほぞ)となる。特に九三、九四の中央部分が一番撓みやすく、九三は下の位置で荷が重く凶。九四は上位に入り吉となる。礼記に「東より升るのは太陽。中屋の棟を履むことは南天の危地に喩える。北面して彷徨う魂を呼び戻し、”復れ”と三度號ぶ」とある。彷徨う魂とは裏卦の坤の形で、ここに死者の魂が宿ると考えている。「橈」は土器を積み重ねる形。焼もの。きしむ義。
【初六】藉用白茅 无咎
白茅を用いて神事を行う。神罰なからん。
「藉」は祭事に用いて神饌のものをおく。しきもの。卜辞「王は其れ觀耤せんか」。帝耤を耕す礼。神事。共同耕作。「茅」は地天泰および天地否の爻辞で用いられる。裏卦の六二から六五の空間に白茅を敷く。または九二から九五を耕す田畑とする。
【九二】枯楊生稊 老夫得其女妻 无不利
枯れた柳から新芽が出てくる。老いた男が妻を娶る。差し障りはない。
「稊」はいぬびえ。新芽。この卦は「枯楊生稊」という柳の光景と、「老夫得其女妻」という夫妻の光景との二つの視点がある。卦は両端が陰となり全体としてしな垂れた柳の形となる。「稊」は初六であろう。もう一つの視点である「夫」「妻」は爻の動きを解読するポイントとなる。
山雷頤【六二】顚頤 拂經 于丘頤 征凶
「顚」(さかしま・転倒)は初九の震に対する上九の艮を指しているのだろう。初九を逆さまにした形は艮となり上九となる。この一番遠い上九を「顚」(上六の「頂」)とし、これに養われることを「顚頤」とする。さらに六二が上九に養われることを「拂經」(つねにもとる)形と見る。「經」の経糸は初九と上九を繋ぐ関係であり、六二から上九への繋がりは経糸のような強い繋がりにはならない。
山雷頤【六四】顚頤吉 虎視眈眈 其欲逐逐 无咎
六四は上卦であり艮の形の中に入る。六四は上九を動かす元であると同時に上九を支える立場でもある。故に「顚」(さかしま)に頤(やしな)われても吉となる。もう一つの「顚」には六四が上九に結び付きながら、同時に応の初九に結び付こうとする”逆さまの”動きがある。この動きを「虎視眈眈 其欲逐逐」と表したと考えられる。
このように見ていくと「枯楊生稊 老夫得其女妻 无不利」における「夫」は裏卦の上九で「女妻」は六二となり、また九五の「枯楊生華 老婦得其士夫 无咎无譽」における「老婦」は裏卦の六五であり「士夫」は初九となる。「士」は鉞の刃部を下にした形。その大なるものを「王」とする。「王」「士」はともにその身分を表す儀器で、戦士階級、朝廷に出仕する官吏を表す。この義から陰の性質ではなく陽の性質でしかも戦意が現れる形を持つ爻と見るべきである。従って裏卦の山雷頤においては「士夫」は初九と見るべきであろう。そして「老婦」の六五は陰の高い位置から初九「士夫」を得るから、権限として咎めはないが決して誉の状況ではないとなる。
以上は裏卦の側から見た「老夫」「女妻」、「老婦」「士夫」であるが、表の澤風大過から見ると別の見方ができる。つまり柳の老木の象意から四者の位置を特定する見方である。まず九二を「老夫」とすると初六が「女妻」となる。また上六を「老婦」とすると九五が「士夫」となる。この見方も成り立つ。但し易は常に陰陽の役割と爻位置の老若及び位の高低を見ておかなければならない。陰陽の法則は陽の動を男性的気質とし、陰の静を女性的気質とする。さらに初爻から上位に昇るにしたがって位が上がる。この原理に沿って考えると、「老夫」「士夫」は陽爻、「女妻」「老婦」は陰爻となり、さらに「老夫」「老婦」は年配で上位の爻、「士夫」「女妻」は若年で比較的下位の爻となる。従って総合的に判断すると、裏卦山雷頤における四者の爻位置が陰陽の法則と役割をより正確に捉えていると見るべきである。
【九三】棟橈 凶
棟木が撓む。災厄を祓え。
九三の撓みはやはり裏卦山雷頤を見ると状況が判明する。六三が上九に結び付こうとすると上九の重さが六三に降りかかってくる。故に「凶」となる。
【九四】棟隆 吉 有它吝
①棟木が隆起する。吉である。他に心が移れば恥をかく。
②棟上げし、神を迎えて祀る。神意にかなう。災いあって過ちを改めること
憚る。
「隆」は神を迎えて祀ること。六四は上卦に入り上九の元となるからむしろ上九を支える位置にあり、貢献して吉となる。「有它吝」は六四が初九に気が向く形を「吝」としたのだろう。
【九五】枯楊生華 老婦得其士夫 无咎无譽
枯れ柳に花が咲く。老婦は士夫を得る。咎めなし、誉なし。
「譽」は神から与えられるもの。ほまれ。九二で示した通り、「老婦」は裏卦の六五。「士夫」は初九と見る。六五は初九の養いを得る立場ではないが他に陽爻がないから、初九「士夫」の力を直接得ることは咎められることではない。但し養いを得ることは道義にもとるから「无譽」となる。
【上六】過渉滅頂 凶无咎
①過ぎて渉れば頂を滅する。凶であるが咎めはない。
②要所を過ぎて渉れば頂を滅する。災厄を祓え。神罰なからん。
「過」の「咼」(か)は残骨の上半分に祝禱のサイを置いて呪詛を加える呪儀。特定の要所を通過するときの祓いの儀礼。「渉」は水の間を渉る義。王が徒歩するときに卜占する。廟祭で王が歩いて廟に赴く儀式と見られる。「頂」は頭のいただき。「顚」は同声。「頁」(ケツ)は祭事のとき頭上に呪飾を付けた人の側身形。「頁」には頭上の意味があるから、爻辞において「頁」の付く文字は上爻または先端のことを示す。裏卦山雷頤の上九では「由頤 厲吉 利渉大川」とあり、吉と凶と言う逆の状況が現れる。過ぎて渉るとは上九自らが下位の陰爻と繋がろうとして進むことであろう。上九の艮は動かないから過ぎて渉れば「棟橈」を通り越して棟が折れる。これを凶とする。裏卦の爻辞にある通り、自らは動かず、下位の求めに応じて援助する形を吉とする。
(浅沼気学岡山鑑定所監修)