水山蹇

                             

  

 

【彖辞】蹇 利西南 不利東北 利見大人 貞吉

 

往きむ。西南に向かうのがよい。東北に向かえば不利益を被る。大人に謁見するのがよい。貞卜によって出入を厳密にする。神意に適う。

 

蹇は行き悩む義。彖辞の西南は坤方で庇護を得られる方位。東北は艮方で方向転換、環境変化の方位。西南は質素な生活を営む方位で贅沢をしなくなる。また母親や年配の女性から何かと手助けが得られる。故に「利西南」となる。一方東北は環境や方針を変える時に向かう方位であるから、人事異動、引継ぎが生じ、場合によっては仕事が複数重なり兼務するようになる。故に東北へ向かってことを起こすと負担が増す。但し東北は「不利」という表現は気学的には正確ではなく、東北でもタイミングが良ければ新たな道を発見でき、事業の発展や人脈の蓄積が見込める。

 

方位というのはどの方位が良いというわけではない。”いつ行くか”と”その目的は何か”で決まる。ではなぜ水山蹇の彖辞は西南はよく東北は不利と表現したのだろうか。水は坎で北を意味し、山は艮で東北を意味する。ここには西南の象意は見られない。ならば彖辞の西南、東北は卦の形から発想を得たものではない。この謎を解くために他卦の方位に関する記述を参照してみる。以下、方位の記述とともにその教訓をまとめてみた。

 

坤爲地【彖辞】

坤  元亨 利牝馬之貞 君子有攸往 先迷 後得主 利西南得朋 東北喪朋 安貞吉

 

西南は庇護者を得、東北は環境変化が生じ、人事交代が起きて朋友を失う。

 

 

風天小畜【彖辞】小畜 亨 密雲不雨 自我西

 

恩沢は西からやってくる。

 

 

澤雷隨【上六】拘係之 乃從維之 王用亨于西

 

西山とは文王が祀られた岐山のことと考えられる。易に出てくる西は聖都の

ある場所を意味する。

 

 

地火明夷【九三】明夷 于狩 得其大首 不可疾貞

 

南に向かって成果を得ようとする。

 

 

水山蹇【彖辞】蹇 利西南 不利東北 利見大人 貞吉

 

方針転換よりも一つのことに徹し庇護者を得るのが良い。

 

 

雷水解【彖辞】解 利西南 无所往 其來復吉 有攸往 夙吉

 

西南に庇護者を求める。解放される。

 

 

地風升【彖辞】升 元亨 用見大人 勿恤 征吉

 

昇格する。目的が定まり南に行く。

 

 

雷山小過【六五】密雲不雨 自我西郊 公弋取彼在穴

 

雨(恩沢)は西からやってくる。

 

 

水火旣濟【九五】鄰殺牛 不如西鄰之禴祭 實受其福

 

東隣の贅沢な祭りよりも西隣の質素な祭りのほうが多福を得られる。       

 

 

坤爲地の彖辞にも西南と東北が出てくる。ここで重要な記述は「利西南得朋 東北喪朋」である。すなわち水山蹇の西南の利と東北の不利の理由がここで述べられる。易の作者は東北は朋友を喪う方位であると言っている。このことは先に述べた東北の環境変化に伴って起きる現象であるから理解できる。易の作者は東北を安定ではなく不安定且つ労苦を伴う方位と見ている。水山蹇の場合は下卦に艮の東北(艮)はあるが西南(坤)がない。このため八卦の象意から直接発想を得た辞ではないようにみえる。

 

ここで「蹇」の往き悩みの形に視点を変えると、九五の主君に対し九三が「反」する形が「蹇」の往き悩みの原因となっている。従って九三が柔に転じ変爻することが「往蹇」を解く鍵となる。そこで九三が柔に転じ変爻すると、上卦が坎、下卦が坤の水地比となる。水地比は上下「比」(した)しむ卦である。西南は坤の象意、東北は艮の象意であるから、この卦においては九三の変爻次第で、西南と東北の形が決まる。従って「利西南」は九三変爻による水地比を示し、「不利東北」は九三の艮が変爻しない形を表したものと考える。従って九三が九五に「反」する形を「不利東北」とし、九五に恭順の意を表して謁見する形を「利見大人」と見なしたのであろう。

 

ところでこの卦は気学的な解釈をするとまた別の見方ができる。気学では坎(水)を一白、艮(山)を八白とする。一白は中宮に入ると震宮に八白が入り三碧が兌宮に入る。三碧の震と八白の艮は真逆の形で、震は進む艮は止まる、下がるの象意となる。従って一白は八白と三碧が東西に並ぶと互いが真逆の方向へ進むため右往左往し振り回される。これが一白の水が溢れると四方八方に広がり方向を定めず流れていく所以である。一白と八白、一白と三碧との関係は、易にも同じ傾向が現れる。上卦を一白、下卦を八白とすると水山蹇となり、下卦に三碧が入ると水雷屯となる。いずれの卦も行き悩む卦の代表である。総じて水(坎)の気は扱いにくい。水は量を間違うと苦しみとなり時には毒となる。水とは愛情であるが、その量が多すぎると拘束となり苦しみとなる。八白と三碧は一白との関係において、しばしば”量”を間違い、このことが行き悩みの原因となる。

 

 

 

 

【初六】往蹇 來譽

 

①往きむ。来れば誉ある。

②往きむ。貢献すれば誉ある。

 

「來」は来る、来襲する、貢獻する義。卜辞に「召方來」があり、「來」は方による寇の意味を持つ。卜文に「來一羌 一牛」とある。「譽」は神から与えられるもの。「与」は四手を持って捧げている形。貴重品を共同して奉じて運ぶ。この卦は九五の主君と九三(異方)との関係がテーマとなる。従って「來」の主体は九三となる。但し、九五は九三の出方を警戒する。初六は下卦艮の初爻にあり、謙譲さが現れ上位に貢献する。向こうから来ると訳すこともできるが、初六が相手に貢献すると解釈したほうが卦の形に準じている。

 

 

 

 

【六二】王臣蹇蹇 匪躬之故

 

王と臣下の関係が往き悩む。我が身の事由にあらず。

 

「躬」は身。自ら。身につける義。「故」は「古」+「攴」。呪能を害する義となる。故意。事故。事由。金文に「厥の故を邎(と)ふ」とある。また周礼に「國に故有り」とあり、この場合の「故」は禍殃を表す。水山蹇は九三が九五に反する形であり、その理由が六二の「王臣」の文言で示される。「臣」の六二は「王」の九五に謁見したいが、九三がこれを阻む。これを「蹇蹇」で表す。また「匪躬之故」については、「故」(禍)は九三と九五との関係からもたらされるものであり、六二がもたらすものではないという意味に解釈できる。九三変爻による以下の爻辞を見ると支障がなくなっており、やはり九三が禍であることが分かる。

 

九三変爻による水地比【六二】比之自内 貞吉

 

 

 

 

【九三】往蹇 來反

 

①往きむ。来りて反逆する。

②往きむ。貢献すれども反逆される(裏切られる)。

➂往きむ。来襲し、聖地に踏み入る。

 

「往蹇」の主爻となる。「反」は「厂」+「又」。崖に手をかけてよじ登る形。金文に「東夷大いに反す」とある。

 

裏卦火澤睽【六三】見輿曳 其牛掣 其人天且劓 无初有終

 

九三は上下卦の境界にあり、九五の君主に謁見する。九五から見た九三は辺境の地であり、謀反を警戒する位置となる。艮は転換の気であり、身を翻す気質を持つ。九三は一旦恭順しても状況が変わると容易に身を翻す可能性がある。水山蹇の坎と艮の関係は、気学から見ても易の象意通りの傾向が現れる。

 

 

 

 

【六四】往蹇 來連

 

①往きむ。来りて連なる。

②往きむ。貢物を献じて連なる。

 

「連」は手車。六四の爻辞は連結の形を示す。この形は裏卦に生じる。九二と上九を九四が連結する。陽爻-(坎)-陽爻の形を手車の形とみているのだろう。上卦に入り、往き悩みの状況が解ける。裏卦上九に対する九二の貢獻を九四が仲介する。

 

 

 

 

【九五】大蹇 朋來

 

①大いにむ。朋友来る。

②大人む。朋友は貢物を献ずる。

 

「朋」は貝を綴った一連二系の形。金文の「倗友」は同族間において年齢の近いものを表す。九五は悩みの主体であり、この位置に至り形勢が変わる。悩みの原因であった九三は「朋來」となり、九五に貢献する「朋」友となる。「朋」は九三が変爻した水地比の形を示したものであろう。「比」は人が二人並ぶ形であり、「朋」の形と相通ずるものがある。「朋」は賓卦雷水解の九四でも用いられ、九四は逆転させると九三の位置となるから、九三と九五の関係を朋友と見てよい。彖辞でも述べたが、九三が九五に「反」する形を「不利東北」とし、九五に恭順の意を表して謁見する形を「利見大人」と見る。

 

賓卦雷水解【九四】解而拇 至斯孚

 

坎(悩み)の主体である九五の爻辞にこそ、悩みの原因は九三であることを示す文言が入るはずである。ところが九五に至ると悩みは消え、逆に九三は朋友となる。これが易の面白さである。悩みの原因とは外から見た形であり、悩みの核心に至ると悩みそのものが消えうせ、本当の現実が明らかになる。悩みは自分自身が自分の中心にいない事によって生み出される現象であることをこの卦はよく示している。

 

 

 

 

【上六】往蹇 來碩 吉 利見大人

 

①往きむ。来れば大いなり。吉。大人に会見するによろし。

②往きむ。貢物を献じ、神霊に祈る。契刻した誓約の実現を求める。大人に

 謁見するによろし。

 

「碩」は石室の中で儀式のようなことを行う人の姿。聖所を拝する人の形。神事にあずかる人。孤高、隔離されたところの義がある。山地剥の上九に「碩果不食 君子得輿 小人剥廬」とあり、ここにも「碩」が用いられる。この文字は最上位に位置する爻に使われる。上六は坎の悩みから隔離された位置となる。「大人」は表の九五と見る。九五の「蹇」に応じる。上六は九三と応の関係ではあるが、九三は九五の「大人」に謁見すべきことを説く。これを「利見大人」と表現する。

 

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)