地水師

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【彖辞】師 貞 丈人吉无咎

 

軍師は出入を厳密にして貞卜する。長老は祖霊に誓い契刻した誓約の実現を求める。神罰なし。

 

「師」は卜辞において軍及び軍師を表す。師長は軍職を退いた後は氏族子弟の教育に当たり、伝統的な習俗の伝承者となったという。ここから現在の師匠に当たる意味が生まれている。

 

 

 

 

【初六】師出以律 否臧凶

 

軍は軍律に従って出陣する。よからざれば凶。

②軍は軍律に従って出陣する。臣下となることを拒めば凶。

 

「師」は軍師。軍隊。師団を意味する。「律」は軍律の義。「否」は神意を拒否する義。「臧」は臣僕、戦の俘虜の他、よい、よくする意味がある。初六が変爻すると地澤臨となる。その初九は「咸臨 貞吉」。臨戦の卦である。その裏卦は天山遯となり初六に「遯尾厲 勿用有攸往」とある。初六は逃げ遅れた状態。これらの伏線から「否臧凶」は軍律に従わなければ敗戦し俘虜となることを暗示している。あるいは臣下となること、俘虜となることを拒「否」すれば「凶」と読むこともできる。「師」及び「律」は坎の象意。

 

 

 

 

【九二】在師中 吉无咎 王三錫命

 

①師、中位を在(あき)らかにする。吉にして咎めなし。王三度命を錫う。

②師、中に在る。吉にして咎めなし。王三度命を錫う。

③軍師、中軍とともに在る。吉にして咎めなし。王三度命を錫う。

 

ここでの「師」は九二を指し示す。「在」は才と士より成り立つ。才は神聖を示す木で占有支配、結界を表す。士は鉞。書経に「濬璣玉衡(せんきぎょくこう)を在(あき)らかにす」とある。「中」は九二の位置を示すと同時に、三軍の元帥のいる中軍を表す。軍師は王命を帯びて出陣している。あるいは王も軍に同行している。「王」は本来六五の位置であるが、賓卦に置き換えると水地比の九五に当たり、九五の爻辞に「王」が出てくるから、九二を「王」と見ることもできる。「三」は正確に三度の意味もあるが、度々の意味もある。度々王命が下される。下卦の坎には信号を連続的に発する気質があるから、「三」を連続性の義と解することもできる。「錫」は爵酒を賜う義。この卦の唯一の陽爻であり、実力、統率力を備える。故に吉。

 

 

 

 

【六三】師或輿尸 凶

 

軍が国境で敗戦し、屍を載せて帰る。凶である。

 

「或」は国境の守備に関する用語と考えられる。これに「口」が付くと「國」となる。口は城郭を表し、國は矛を持って城郭を守ることである。「輿」は「車」+「舁」(ヨ)。「舁」は上下左右より手を加えてものを持ち上げる形。四隅に手をかけて手車を担ぐ形。車の輿。「輿」の形は六五変爻による坎爲水の形を想定する。坎爲水の形は九二と九五が六三、六四の陰爻を囲い込む形である。

 

坎爲水【六三】來之坎坎 險且沈 入于坎窞 勿用

   【上六】係用徽纆 寘于叢棘 三歳不得 凶

 

「寘」は行き倒れの死者の呪霊を恐れて丁重に葬ること。坎爲水の爻辞を見ると、「輿尸」とは六五変爻の動きと捉えてよいだろう。この爻辞は軍隊が国境で図らずも敗戦し、車にたくさんの屍を載せて帰ることを意味する。境界における運気の危うさ、心の隙を警告する辞でもある。 

  

 

 

 

【六四】師左次 无咎

 

①軍は次第にしりぞく。咎めはない。

②軍はしりぞき次(やど)る。咎めはない。

③軍師はしりぞき嘆く。咎めはない。

 

「左」は「ナ」(サ)と「工」より成り立つ。「ナ」は手の形。「工」は巫祝の持つ呪具。巫女が呪具を持ち助けを求める。くだる、おとる、うとんずる、しりぞける義。金文の「工」には戒事の意味がある。水澤節の六四には「不節若則嗟若 无咎」とあり、離爲火の九三には「日昃之離 不鼓缶而歌 則大耋之嗟 凶」とある。「嗟」にも「工」があり、双方とも戒事の義がある。

 

「左」に加え「右」にも言及しておく。「右」は字通において次のように記載される。「口は祝告の器サイ。右に祝告の器サイをもち、左に呪具である工を以て、神をたずね、神に接する。それで左右を重ねると、尋となり、神に接するとき、左右颯々の舞を舞う」。

 

火天大有の上九に「自天祐之 吉无不利」とある。「祐」は神の佑助であり、ここから右には助ける意味が加わる。左は神の助けを求め、右は神の助けを受ける手となる。このことは気学の法則に通じる。後天図という気の法則を説いた図がある。後天図の左側は求め行動することを表し、右側は行動の結果得られる福の享受を表す。文字の意味は決して偶然ではなく、気の法則に順い明確な意図をもって作られている。

 

「次」の「欠」は人が嘆き訴え口気が漏れている姿。つぐ、つぎの意味は後世に生じた使い方で、元来は人が嘆く形。軍が次(やど)る意味にも使用されることがある。「師左次」の解釈は難解である。こういう卦は裏卦及び爻変で得られる卦を参照すると別の角度から状況が見えてくる。

 

裏卦天火同人【九四】乘其墉 弗克攻 吉

城の垣に上り物見する。よく攻撃を祓いよける。神意に適う。

あえて攻めず、遠くから様子を伺うことが吉。

 

六四変爻による雷水解【九四】解而拇 朋至斯孚

なんじの拇(親指)を解く。朋はこの誠に至る。

 

さらに地水師の上卦を陰陽逆転させ、乾にすると天水訟となる。

 

天水訟【九四】不克訟 復卽命 渝安貞吉

耐えて告訴せず、引き返し跪いて主君の命を受ける。状況が変わり安寧を求める。出入を厳密にして身を清める。神意に適う。

 

これらの爻辞を参照すると、「師左次」は次の一手を繰り出すために、一旦安全な場所に退く様子が伺える。

 

 

 

 

【六五】田有禽 利執言 无咎 長子帥師 弟子輿尸 貞凶

 

田に有害な獣あり。盟誓を取るによろし。咎めなし。長子は軍を率い、

弟子は屍を載せる。出入りを厳密にして修祓し災厄を祓え。

 

「田」は田畑の田ではなく領有地を意味する。「禽」は有害な獣であるが、ここでは害をもたらす族のことであろう。「執」は「幸」と「丮」(ケキ)から構成される。「幸」は手かせ。「丮」は手にものを高く掲げて持つ形。手かせを加えて罪人がひざまずく形。かたくとる義。「言」は違約するとき入墨の刑を受けるという自己盟誓。現在でいう宣誓供述もこの一つであろう。「長子」は長男とも考えられるが、ここでは年長者とみる。「弟子」は「長子」の配下で年下、配下、若者と捉える。経験を積み重ね見識のある年長者は師団を率いて善戦するが、統率経験のない若者は戦に大敗し戦死者を車に乗せて帰還する。「帥」は神棚を清める義。金文に「今余(われ)隹れ先王の命に帥井(そつけい)す」とあり、率先、手本、率従の意となる。

 

第五爻に「凶」が入る卦は少ない。地水師以外では水雷屯九五「屯其膏 小貞吉 大貞凶」と雷風恆六五「恆其德貞 婦人吉 夫子凶」に現れる。これは九二の力が甚だ強いからであろう。五爻は君主の位置であるが六五は九二の力に及ばない。九二は家臣に当たる位置となるが、地水師の九二は異邦の族長かまたは体制に反抗する族とみることもできる。これを「禽」とし屈服するか言明を迫る。ここで「長子」「弟子」の二つの地位が出てくるが、九二が「長子」であれば侮ることのできない軍となり、九二が経験の浅い「弟子」であれば、その軍は大敗を余儀なくされる。もう一つの見方は軍の威力を見せながらも六五と「比」(したしみ)を「顯」(あき)らかにする九二を「長子」とし、六五に歯向かってくる九二を「弟子」とする見方である。これは九二と六五の立場を逆転させて考えることもできる。九二に対し「比」を「顯」らかにする五爻を「長子」とし、九二と敵対して変爻する五爻を「弟子」とする。この動きは「弟」の文字形から推察することができる。「弟」はなめし皮の紐でものを束ねる形である。坎爲水の形は紐でものを束ねる形にもみえる。六五は陰爻で力弱く見えてもいざというときは陽に変じ君主の力を見せる。本来君主の位置にいる六五と迂闊に張り合うことは本望ではない。坎爲水は「輿」を担ぐ形でもあり、地水師は下卦坎の「輿」に上卦坤の尸を載せて帰る形でもある。六五変爻による坎爲水の裏卦は離爲火となる。

 

離爲火【六五】出涕沱若 戚嗟若 吉

ここに「涕」の文字が用いられる。「弟」と坎爲水の形に繋がりがあることを示す。

 

地水師の賓卦は水地比である。水地比の九五に「顯比 王用三驅失前禽 邑人不誡 吉」とある。「比」はしたしみを表す。「顯」は神霊が現れる義。金文では「不顯」(おおいにあきらかなる)のように用いられる。かえりみる、主君自ら謙る義を持つ。礼記に「人臣たるの禮、顯はには諌めず」とあり、臣下が主君の過ちを諌めない場面でも用いられる。この一連の語義から九五は君主の位置にあっても奢らず謙虚な姿勢を貫く徳のある人であることが分かる。この九五が上下逆転すると地水師の九二となる。九二は軍師で征服する力を持ちながら、立場が逆転すると「比」(したしみ)を「顯」(あきらかに)する君主となる。自分は別次元の相手でもあり、相手の立場を常に同時に共有している。「比」(したしみ)を「顯」(あきらか)にするとは、九五が下位の陰爻に親しむことであり、地水師の六五が九二を「長子」として認め、「比」したしみを「顯」(あきらか)にすることでもある。地水師の裏卦天火同人の九五に「師」が現れる。

 

天火同人【九五】同人 先號咷而後笑 大克相遇

会同する。先んずれば號咷、しかして後に笑う。大師は克(か)ちて

相い遇う。

 

天火同人の九五は明らかに裏の地水師の形を見ている。「克相遇」とは九五と六二が会同し対峙する形であるが、裏卦地水師の六五が変爻し九五となって九二と相対する形でもある。「克」は木を彫り刻む刻鑿の器。坎の象であり六五変爻を表す。「先」は除道のために人を派遣すること。「師」の進軍に「先」立って道の邪霊を取り除く。「後」は敵の後退を祈る呪儀を表す。「先號咷」とは変爻によって生じる離爲火の分裂を表す。

  

 

 

 

【上六】大君有命 開國承家 小人勿用

 

①大いなる君主が命ずることある。國を開き家禄を承けさせる。

 小人に功績を与えてはならない。

②大いなる君主が跪き神の啓示を受ける。都の砦を開放し廟所にて

 尊者の命を受ける。小人を用いてはならない。

 

國」と六三の「或」が応じる。上六に至ると戦いが終わり、大君が命ずる場面となる。新たに國を作り廟所を受け継ぐ。「承」は「卩」と「収」から構成される。「卩」は人が座する形。「収」は左右の手。左右の手で人を奉ずる。尊者の命を受ける。受け継ぐ義。上六が変爻すると山水蒙となる。大君」は九二と見ることもできるが、上六は変爻すると九二に対して命ずる「大君」となる。その上九に「撃蒙 不利爲寇 利禦寇」とあり、蒙昧なものを撃ち、仇討ちを防げと説く。さらに山水蒙の裏卦澤火革の上六に「君子豹變 小人革面 征凶 居貞吉」とある。澤火革は革命の時であり、その上爻は革命成就の最終段階または瀬戸際となる。ここで「君子」は「豹變」し「小人」は「革面」となる。「大君」が「豹變」すれば革命の時を迎える。一方「小人」は外面が変わるのみで内面は変わらない。地水師における「小人」は六三と六四となるが、上六が変爻した場合の「小人」は六四と見るべきであろう。六四は賓卦の六三の位置となる。裏卦天火同人の賓卦である火天大有の九三に「小人」とあり、また賓卦水地比の六三に「匪人」とある。いずれの文言も六三のことを示している。易の爻辞は度々「小人」を用いることによる災いを説く。「小人」とはいざというとき国を裏切る者である。いつの時代も君主が誰を配下に従えるかで国の運命は決まる。

 

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)