水澤節

                            

       

  

 

【彖辞】節 亨 苦節不可貞

 

①節度をもって会同する。節制に疲れ果て、出入りを厳密にできない

②節度をもって会同する。きびしい節制により出入を厳密にすべきでない

 

節は竹の節。周礼に六節の規定があり、路・門関・都鄙の管節に手形である竹符を用いたという。手形を用いて入門を制限し管理したのだろう。「苦」はにがみ。くるしみ意味であるが、「古」は聖器の干で器を硬く守護する形。水を坎の干、器を兌とすると、この「古」の形がそのまま水澤の形になっている。ここから「苦節」の表現が生まれたのだろう。「苦節不可貞」が上六の「苦節貞凶」に繋がる。

 

 

 

【初九】不出戸庭 无咎

 

①中庭に出ない。咎めはない。

②公宮の儀式へ出向しない。神罰なからん。

 

「戸」は一扇の戸。両扉のあるものは門。「庭」は公宮の中庭で儀式を行うところ。「廷」は土主を囲んで鬯酒を加える儀礼の場。この爻辞は裏卦火山旅の形と見る。九三の「戸」の内側にあり「不出」となる。裏卦の初六が陰爻で欠けが生じている形に見え、この卦の形を一扇の戸と見たのだろう。雷火豐の上六でも「戸」の文字が用いられる。雷火豐の形も上六が陰爻のため欠けの形に見える。初六の位置は役目がなく「不出」でも咎めはない。

 

 

 

 

【九二】不出門庭 凶

 

①門庭を出ない。禍ある。

②公宮の儀式へ出向しない。霊を鎮め災厄を祓え。

 

「門」は両扉の門の形。この爻辞も裏卦の形と見る。裏卦の初六が変爻して離となると、両扉の門を閉じた形となる。裏卦六二の位置は両扉の門の内側に入り、外出できない位置にある。一方、表の形を見ると、九二は九五に対峙する位置にあるから役目があるにも関わらず出ない位置となる。この状況を「凶」とする。この卦は初九が変爻すると坎爲水となる。

 

 

 

 

【六三】不節若則嗟若 无咎

 

①節制をやめるが如く、またこれを嘆くが如し。咎めはない。

②節制を諾とせざれば、則ち嗟(なげき)を諾とすることになる。

 神罰なからん。

➂即位を諾とせざれば、則ち嗟(なげき)を諾とすることになる。

 神罰なからん。

④割符(通行許可)を諾とせざれば、則ち嗟(なげき)を諾とすることに

 なる。神罰なからん。

 

「若」は巫女が両手を上げて舞い、神託を受けようとしている状態。神が応諾すること。卜辞に「帝は若を降ろさんか、不若を降ろさんか」とあり、不若を邪神、邪悪の意味として用いる。従ってこの爻辞は卜辞の「若、不若」に準ずる表現と見られる。「若」は承諾の義。またかくの如しの義もある。裏卦九三の位置は上下卦の境界にあり、火山旅では上卦の火が延焼する位置となる。節制の終わりの位置でもあり、災いを招く位置でもある。また初九が変爻すると坎爲水となり、閉塞した状況に陥る。その裏卦離爲火九三に「嗟」があることから、互いの形の類似性が伺える。六三の爻辞から「節」の文字が用いられるようになることから、この卦は六三(裏の九三)が「節」の境界であることが分かる。

 

坎爲水【六三】來之坎坎 險且沈 入于坎窞 勿用

離爲火【九三】日昃之離 不鼓缶而歌 則大耋之 凶

 

火山旅の六二にて、水澤節の九二は九五の後継者としての候補となり、「卽」は九五の後継者の位置に「卽」く意味があると述べた。このことから水澤節の「節」は節制の義だけではなく、地位に就く「卽」位の義も卦名を決めた理由として加わる。

 

また節」は門関の通行手形となる割符として捉えることもできる。この割符の意味で爻辞を訳すと、「節」(割符・通行)を諾とせざれば、則ち「嗟」を諾とする、となる。離爲火の形は両扉が固く締まっているから、「缶」を「鼓」つように「歌」(許可)が出るのを「而」(ま)つ。「不」はこれを行わない形であるから、何度も扉を開けるように叩かなければ「大耋之嗟」となることを説く。その両扉の片側が開いた形が火山旅の形であり、火山旅の裏卦が水澤節となる。水澤節六三の文言は片側が開いた扉すなわち交渉が可能な状態で、割符をもって門関で承諾を得ようとする姿として見ることもできる。

 

 

 

 

【六四】安節 亨

 

①節度を保ち、安寧となる。会同し貢献する。

②安寧を祈り、食膳につく。会同し貢献せよ。

安寧の儀式を行い即位する。会同し貢献せよ。

 

 

「安」は新しく嫁する女が廟中の清め(灌鬯)の儀礼を行い、祖霊に対して受霊の儀式を行うこと。安寧の儀礼を表す。六四が変爻すると兌爲澤となり、その九四の爻辞「寧」と「安」が繋がる。上卦を廟中とし、安寧の儀礼を行う。

 

兌爲澤【九四】商兌 未 介疾有喜

 

 

 

 

【九五】甘節 吉 往有尚

 

①嵌入(はめ込んで)して節制する。神事に従う。往けば尊ばれることある。

②節制を甘んずる。神事に従う。奮起して行けば尊ばれることある。

➂甘んじて即位する。神事に従う。奮起して行けば尊ばれることある。

 

「甘」は左右の上部の横に鍵を通す形。首かせに施錠する形。中にものを嵌入する義。「甘」の”甘んずる””甘い”という意味は後世になって生じたものであるが、現代ではむしろこの意味が定着しており、中にものを嵌入する意味はほぼ失われている。「甘」の本来の意味と「節」を組み合わせると、節制のために部屋に閉じこもり施錠する状態と受け取れる。一方「甘」を甘んずる意味として解すると、「安」寧を得て節制を「甘」くする、あるいは甘んじて即位する意味となる。九五が変爻すると地澤臨となり、その六三に「甘」が出てくる。この「甘」により二つの卦に繋がりがあることが分かる。九五の位置に至ると中庸の徳により、その威光が下位に及ぶ。坎は悩みの形でもあるが、指導者としての意味もある。「往有尚」は初九及び九二に「不出」とあるから、思い切って進み出れば九五の君主に迎えられることを表すものであろう。

 

九五変爻による地澤臨【六五】知臨 大君之宜 吉

 地澤臨の裏卦天山遯【九五】嘉遯 貞吉

 

二つの爻辞を見ると、五爻が君主の位置であり、君主が「宜」(よろし)と承諾することが分かる。この「宜」が「若」(承諾)の義に繋がる。地澤臨の「知」は実態をよく知ることであり、その知をもって宜しとすることが「吉」となる。天山遯の「嘉」は虫害を祓い増収をはかる農耕儀礼であるから、祓い清め逃れると訳する。「甘」の本義からすると、「甘節」は部屋に閉じこもり節制する意味となる。一方で坎には情という象意があるから、節制を甘くする、緩和する方向性として解釈することもできる。初九変爻による坎爲水と離爲火を見ると、いずれの判断も可能である。

 

坎爲水【九五】坎不盈 祗旣平 无咎

離爲火【六五】出涕沱若 戚嗟若 吉

 

「旣平」(旣に平らか)は統制が取れた状態。「戚嗟」は「戚」の憂い・畏れと嗟きの状態。

 

 

 

 

【上六】苦節貞凶 悔亡

 

①節制に苦しむ。身を慎んでも禍ある。悔いなし。

②節制に疲れ果てる。出入を厳密にすると禍ある。神の怒りは鎮まる。

即位に苦しむ。身を慎んでも禍ある。神の怒りは鎮まる。

 

「苦」は古く「劬」(ク)を用いた。「劬」は農耕に従う字で疲れる義。「苦節貞凶」の解釈には二つの方向性がある。一つは節制に疲れ果てており、あまり厳密にしすぎることを凶とする。すなわち緩和して節制を続けるという解釈。もう一つは過剰な節制で限界がきていても、なお節制を続けていることを凶とする。すなわち節制を解くべきという解釈である。これは九五の「甘」の解釈によって、上六の解釈も変わる。以下の関連する卦を参照すると節制の緩和と維持という二つの状況が現れる。

 

火山旅【上九】鳥焚其巣 旅人先笑 後號咷 喪牛于易 凶

 

裏卦火山旅上九の爻辞には、事に成功した場合(先んじて成功)と失敗した場合(遅れて失敗・後退して失敗)の双方の状況が現れる。また坎爲水と離爲火も同様に、災いから回復の兆候が見えない状況と災いを制圧する二つの方向性が現れる。

 

坎爲水【上六】係用徽纆 寘于叢棘 三歳不得 凶

離爲火【上九】王用出征 有嘉折首 獲匪其醜 无咎

 

  

この卦は地澤臨の六五が変爻した形と見ることもできる。地澤臨は臨時、臨検、臨戦体制を表す。ここから水澤節は五爻(九五)の統領、主人の出方次第で地澤臨の臨戦態勢の状況が変わると見るべきであろう。節は竹の節があるように締め切って外に出ない状況と解釈することもできる。その節制には様々な理由が考えられる。初九は外出を節制しても支障には至らないが、九二に至ると公宮への出入りが出来ず職務を果たすことができないため「凶」となる。これは今の時代に置き換えると家庭内待機、出勤停止状態である。六三に至ると節制の境界に至り、節制を完全にやめれば嘆きの状況になる。六四はひとまず状況の改善がみられ安寧に至る。九五は「甘節」で字義に忠実に解釈すると厳密な節制となるが、節制を緩和する義も否定できない。上六は疲れ果てた状況であり、限界を超えて節制を続けることが凶とする解釈。もう一つは節制に疲れ果て、なおこれを維持していることを凶とする解釈である。水澤節の彖辞から推察すると、総合的には節制しすぎること、またこれを過剰に続けることを凶とする見方が自然ではないかと考える。水澤節の節制に二つの方向性が現れる理由は、裏卦の初九に欠けがあることが要因と見ることもできる。すなわち下卦の艮は状況に応じて方向転換する気質を持ち、結論が一つにはならない。従ってこの状況は裏卦の初六が変爻し離爲火となった時、結論が明確に定まると考えたい。 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)