水火旣濟
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【彖辞】旣濟 亨小 利貞 初吉終亂
①既に整う。小さいことは希望が通る。身を慎むのがよい。出入を厳密にして
貞卜し修祓せよ。初見事は神意に適うが、終わりは乱れる。
②終わりは成就する。烹飪すること小なり。出入を厳密にして貞卜するが
よい。君臣の礼を尽くせば神意に適い、終わりは治まる。
「初」は神衣・祭衣を表す文字。「初」に含む「衣」は衣の襟元を重ね合わせた形。卜文の衣祀は殷祀に当たり合祭を表す。西周の金文では一か月の月相を四週に分かち、第一週を「初吉」と記している。「衣」は魂が乗り移るものと考えられ、呪的意味があると巽爲風で述べた。さらにこれは賓卦と裏卦が同一形となることが要因と考えた。このパターンを持つ卦は他にもある。山風蠱(澤雷隨)、風山漸(雷澤歸妹)、地天泰(天地否)。これらの卦は上下卦の境界を折り目として重ねおくと陰陽が完全に和合する。この形が衣の襟元を重ね合わせる形になると考えた。ならばこれらの卦の爻辞には「衣」を含む文字が含まれているのだろうか。
山風蠱 【六四】裕父之蠱 往見吝
雷澤歸妹【六五】帝乙歸妹 其君之袂 不如其娣之袂良 月幾望 吉
水火旣濟【彖辞】旣濟 亨小 利貞 初吉終亂
水火旣濟【六四】繻有衣袽 終日戒
上記の通り二つの卦のいずれかにおいて「衣」が用いられる。一方、地天泰、天地否は卦の形を「茅」に準えているから「衣」を用いない。以上のことから裏卦と賓卦の同一形は魂の移動、受霊、合祭の意味を含み、このことを「衣」「初」によって表したと考えてよいだろう。
「亂」は糸かせの上下に手を加えている形。もつれた糸「終」を骨ヘラ(「乙」)で解く。「亂」は縺れを解く義であり、金文では治める義で用いられる。従って「初吉終亂」の「亂」は縺れを解く義と乱れるという相反する義が並列する。
「亂」は水雷屯の「屯」(糸を束ねる)に通じる文字である。水火旣濟は易の完成の形とも言われる。隣り合う陽爻陰爻が交互に重なり、上卦と下卦の陰陽が完全に逆転する。水は下り火は上る。これをもって陰陽混淆の完成形とする。その水火旣濟の九三が変爻すると水雷屯となる。乾爲天において陽気が宇宙に生じ、坤爲地において陰気が宇宙に生じ、これが交わることによって気の循環が始まる。水雷屯がこの二つの卦の後に置かれる理由は、この卦が天地創造の最初の卦と位置づけされるからである。では天地創造の完成形はどの卦か。それが水火旣濟である。水雷屯は水火旣濟の九三が変爻した卦である。このことは完成形から最も変化しやすい爻は九三であることが分かる。第三爻は陰陽の引継ぎが生じるため常に不安定である。この位置は後天図の艮宮に相当する。水火旣濟の彖辞で用いられる「亂」が水雷屯の「屯」に通じることは単なる偶然ではない。
【初九】曳其輪 濡其尾 无咎
その車輪を曳き、その尾を濡らす。咎めはない。
「曳」(エイ)は「臼」+「人」。両手で人を動かす形。両手でものを抱きかかえる形。その「輪」とは何を指すのだろうか。車輪は車軸に支えられて回転するから、その形は九五と初九の車軸に支えられて回転する九三に現れる。九三を坎の水とすると、初九は「尾」となり九三の水に濡れる。
【六二】婦喪其茀 勿逐 七日得
婦人は車の覆いを喪う。追いかけてはならない。七日経てば戻る。
「茀」は車の覆いとされるが、髪飾りの意味もある。「弗」は曲直のあるものを強く束ねる形であるから坎の象意とする。「婦」は裏卦の九二、「茀」は裏卦の九四と捉える。九四が変爻すると山水蒙となる。この形は上九の覆いの下で動く九二の車の形となる。さらに山水蒙の九二に「包蒙 吉 納婦 吉 子克家」とあり「婦」が応じる。「蒙」には全体を覆い、被る、蒙昧、暗幕の意味があるから「茀」の義に通じる。「七日」は「三年」と同じく、気の動き方の法則を表す。地雷復、震爲雷でも述べたが、月は七日単位で形を上弦、満月、下弦、新月と形を変えていき、易は艮、乾、震、坤の形を月の満ち欠けとして見ていると推察した。水火旣濟には艮、震の形がないが、爻変によって坤、艮の形が出てくる。「喪其茀」の形は裏卦の九四変爻であろう。九四の陽爻を失うことが九二の「婦」にとっての「喪」の状態となる。卜辞に「喪家」「喪師」のことを卜する例がある。表では九三を「家」とし、裏卦では九四を「家」とする。この「家」と「逐」が繋がる。
震爲雷【六二】震來厲 億喪貝 躋于九陵 勿逐 七日得
震爲雷の六二には水火旣濟の六二と共通する表現「七日得」が出てくる。震爲雷の六二は九四を逐う形となり、九四が変爻すると上卦に坤の新月が生じる。ここからさらに上六が変爻すると上卦艮、下卦震の山雷頤となる。この経緯を見ると坤の新月から艮の上弦の月へ移行し、この期間が七日となる。また山雷頤の形は檻に囲む形になるので、これを逃げたもの失ったものを捕まえ取り戻す形と見ることもできる。水火旣濟の裏卦九二は九四を仲介して上九と向き合う。仮に九四が変爻する形を「喪」う形とすると、上卦に艮すなわち上弦の月が出てくる。そして九四が変爻した部分に坤の新月が生じ、新月から上弦の月まで七日というサイクルが出てくる。こうした爻変の動きと八卦の形を月の満ち欠けに準え、「七日」という期間を表したものと考える。
【九三】高宗伐鬼方 三年克之 小人勿用
殷の帝王高宗が鬼方を征服した。三年を経て勝ちを得た。小人を用いてはならない。
高宗は殷の帝王武丁とみられる。武丁期の甲骨文にもその三年にわたる討伐のことが書かれているという。「鬼方」は統治下におかれていない辺境の地である。「高」は「京」と「口」から構成され、「京」は凱旋門を意味する。「高」は神が憑依するところであり、高祖といわれるように神妙なるものに関して用いる文字である。九三の爻辞に「高」が使われたことには意味がある。九三は「鬼方」に現れるように、神聖かつ警戒すべき位置となる。「三年」は気の変化リズムであり、三年で形勢が変化する。九三の爻辞に「三年」という期間が用いられる理由は、まずこの第三爻の位置が後天図における艮宮に相当するからである。艮宮は3のリズムで運気を変化させる。また卦の形を年輪に置き換えると、陽爻が三つ規則的な間隔で並ぶから、この形を「三年」と見なすことができる。さらに坎に三の象意があることもこれらの理由に加えてよいだろう。従って九三の爻辞は表の形を表したものである。九三は九五の地位を凌ぐ恐れがあり、また辺境の統治は國都の安全保障にも関わるから、重要拠点に「小人」を配置してはならないと説く。高宗自らが鬼方の征伐に向かうことの意義をこの卦は示している。
【六四】繻有衣袽 終日戒
衣祀を行い衣に魂が乗り移る。終日自戒せよ。
「繻」は「濡」と記載されることもあり、易経成立当時の文字が正確に引き継がれているか不明。初九および上六の「濡」に応じる。「衣」は彖辞の「初」で既に述べた。衣祀という祭りがあったと言われるから合祭の意味をそのまま生かした。「袽」の「如」は巫女が祝禱を前にして祈ること。「衣袽」を舟の水漏れを塞ぐためのものと記載する文献があるが、この由来も不明。「戒」は両手で高く戈をあげている形で、兵備を戒めて警戒すること。「日」が六二の「七日」に応じる。火水未濟の六三に「利渉大川」とあるから、上下卦の境界を大川とみなす。火水未濟の六三も水火旣濟の六四も陰爻で、境界、辺境の災いを警戒する。火水未濟の九四が変爻すると山水蒙となり、その六四に「困蒙 吝」とあり何かに困惑する。風雷益六四に「利用爲依遷國」とあり、四爻の位置づけを表す。九三は「鬼方」で辺境の地となる。ここから上卦の六四に移ることを「遷國」とし「依」る形とする。「依」は受霊に用いる霊衣であり、この霊に依りこれを受け継ぐ意味があった。詩経に「旣に登り乃ち依る」とある。この詩から「遷國」に際して受霊の儀式を行ったことが伺える。このことから「衣袽」は「衣祀」に関するもので、受霊、合祭を現わすものと考えてよいだろう。六四の位置は裏卦において討伐を成し遂げ、大國より賞せらる状況に達しているが、表では未だ安泰とは言えず、自戒、警戒が必要となる。六二との繋がりから、六四の爻辞も裏卦を見ている。
【九五】東鄰殺牛 不如西鄰之禴祭 實受其福
①東の祀所で牛を犠牲に供える祭りは、西の祀所で楽舞を行う祭りに適わない
。宗廟に供物を献じ神の佑助を得る。
②殷の祀所である東鄰では牛を犠牲にする。西の祀所では竹笛を吹いて禴祭を
行い神意に従う。宗廟に供物を献じ神の佑助を得よ。
「東鄰」は東方の地で殷の都である安陽と想定できる。「東夷」は牛や鹿を犠牲に使用した。「鄰」は神の昇降する梯子の前に犠牲を用いて呪禁する形象で聖所を意味する。「西鄰」は文王にまつわる聖所で、澤雷隨の「西山」、地風升の「岐山」を意味するものと考えられる。「禴」は春(夏)まつり。「龠」(ヤク)は三穴の竹笛の形。神事や楽舞に用いた。三穴の竹笛は卦の形象であろう。「實」については既に火風鼎で述べたが、「實」の「貫」は貝貨を貫き連ねた形。「貫」の形が旣濟の形となって現れる。「福」は酒樽。神霊に多く供薦する義。また祭肉を同族の物に分かつ義がある。「實受其福」とは九三が九五の宗廟に供物を献ずること、あるいは九五が配下としての九三に祭肉を分かつ意味もあろう。
裏卦の火水未濟の六五に「貞吉无悔 君子之光 有孚吉」とあり、文王が行った「西鄰之禴祭」を裏で「君子之光」と讃えているように見える。この経緯から「東鄰殺牛」は水火旣濟の象意、「西鄰之禴祭」は裏卦火水未濟の象意と見ることもできよう。九五は九三の「牛」を「殺」し「鬼方」を伐つ形となる。九三の「高宗」は殷の帝王武丁のことであるから、殷の都を表す「東鄰」と結びつく。彖辞の「初」は「東鄰」と「西鄰」の祀りを合祭することを暗示する。
【上六】濡其首 厲
首を濡らす。危険である。
初九の「濡其尾」に応じる。ぬれる。うるおう意味であるが、そのまま訳しても意味が通じない。濡れる意味は坎の象意からもたらされる。九三は初九と九五の間に挟まれ車輪のように走り回り、同時に坎の水となって上下を繋ぐ。この水が初九の「尾」を濡らし潤わす。あるいは九五の坎が九三との繋がりを通して初九を潤す形となる。このように捉えると、上六の「濡」は六四の「繻」に応じることから、上六と六四の繋がりはむしろ裏卦において顕著となる。裏卦においては九二の坎から九四の坎へと川を「渉」り上九に辿り着く。「首」は上六の位置を示す。
この卦の爻辞を見ると、水火旣濟は初九-九三-九五と陽爻が繋がり、火水未濟は九二-九四-上九と陽爻が繋がっていく。この陽爻の動きに併せ、爻辞の表現が統一的に展開していく。水火旣濟の初九-九三-九五の流れは「高宗伐鬼方 三年克之」にあるように「高宗」が「鬼方」を征服し目的を達成する。火水未濟の九二-九四-上九の流れは「震用伐鬼方 三年有賞于大國」にあるように「鬼方」を征服し「賞」賛される。一方、水火旣濟の六二-六四-上六は「喪」「戒」「厲」のように警戒感が現れ、目的達成が危ぶまれる。火水未濟の初六-六三-六五は「吝」「凶」「吉」と下卦は難ありで六五のみ評価される。二つの卦を総合すると、陰爻の評価は厳しく、陽爻の評価は高いか無難。水火旣濟、火水未濟における爻辞の評価の違いは、乾爲天、坤爲地とともに、易を解釈していく上で一つの重要な基準を示している。
(浅沼気学岡山鑑定所監修)