吉凶はその身に着け方その気構えから生まれる

例えば姓名判断で鑑定する字画には吉数と凶数がある。吉数は吉運をもたらす力を確かに持っているが、人によってそのエネルギーの出方が随分違う。凶数もまた同じである。凶数を持っている人でもその道のトップに躍り出る人は意外に多い。この違いはどこから来るのか。

 

凶数は苦労、障害、挫折を伴うが、その意味は自らがその運気を持つと同時に、不運に苦しむ人と多くかかわりを持つことを語っている。これはその人がどういう職業に就くかによって大いに違いが出てくる。例えば難病や人の危急存亡を救う医者は非常に困難な治療に携わるのだから、必然的に患者の凶運を背負うことになる。気学的に見れば字画に凶数を持つ医者はこうした不運の人を救うという隠れた使命があると考えられる。

 

凶運はその人の生き方によって意味合いが定まる。凶数を持つから不運になるのではなく、その数命をどのように使うかによって命運は分かれていく。不遇の人を救う気質は特に六白、九紫に強く現れる。二つの九星は波動の低いものを寄せ付けない強力なエネルギーを持つ。つまり人を救うというエネルギーは凶運を引き離すのである。気の世界はすべてにおいてバランスを尊ぶ。不遇の状態とは全体のアンバランスである。気の世界はこれを見逃すことなく、アンバランスの修復に力を貸す人を全面的に応援する。

 

運気は流れるものであり、吉運も同じく人から人へと流れていく。吉数はその運気をどのように使うかにかかっている。それは自分から他人に働きかけてはじめて効力を発揮する。吉凶はそれが実体としてあるというよりも、その運気をどのように受け止め流していくかによって定まる。

 

 

 

 

浅沼気学岡山鑑定所監修