百十五話
〔8月の運気〕
2025年の暦上の始まりは2月4日です。ここから半年が今年の折り返し地点となります。今年一年間は二黒土星という波動が暦の真ん中に入り、五行土の気が旺盛となって地球の浄化が進行します。8月は同じく土気荒々しい五黄土星が月盤の中央に入り、改革、変革の気運を強力に推し進めます。気象でいうと五黄土星は台風に当たり、周囲を巻き込みながら既存の体制を破壊し、鬱屈した運気を一変させます。五黄はプラスマイナス双方の結果が表面化します。善かれ悪しかれ世界は一変するというのが五黄の働きでもあります。前月の7月は九紫火星が有無を言わさず重要ポストの入れ替えを果たし、旧体制の維持を拒絶しました。国内では7月の参議院選挙によって国民の意思が表明されました。
2025年は権力者主導から国民主権へ明確に変わる年です。その流れは既に顕現しています。8月の特徴は一白水星が定位に戻り、天道を伴うことです。これにより長期見通しを立てる一白水星の力が発揮され、目先の利益ではなく、公益に沿った政策が打ち立てられるようになります。これは水面下で行われる様相がありますが、今までのような利権誘導は通用しません。それは国民の生活を実質的に向上させることが明確にわかるプランを立てよとの流れがあるからです。
一方、人事においては総じて連携が上手くいかず、互いの意向がずれて引継ぎや交替は難航します。つまり8月の運気は今までの人員体制と働き方では上手く世の中が回らないことを示しています。一白水星は仕切り役、参謀を意味します。今国家は百年先を見据える参謀を必要としています。国家の混乱を鎮めるのは奇想天外なアイディアを提示できる者です。ゼロから新たな体制を築け。これが8月の気の形が明示していることです。
〔政治の主導権が変わる〕
7月の参議院選挙は日本の政治の流れを一気に変えました。現存する政権は組織の論理で動き、公益すなわち国民生活よりも組織や一部の既得権益者の利益を優先するものでした。この体制は特に戦後から顕著になりましたが、そもそもの原点は明治維新にあったと私は考えています。日本の政治が異国の勢力によって明確に動かされ始めたのは明治維新からです。日本はこれ以降、日本の文化と伝統に根差した政治ができなくなったと言ってもよいのです。
昭和、平成を経て、戦後の政治体制は異国の価値観によって支配され、日本国は本来の民族的文化的価値観を見失ったと言えます。私は昨年に2025年の運気の最大の特徴として“政治が国民の意向に従わざるを得なくなる”と申し上げました。これは主権が一部の権力者から国民に完全に移行することを示していたのです。7月に起きた政治の動きは明らかに暦通りに推移し、不特定多数の国民が意思表示し、既存の体制を切り替えました。そして8月は五黄土星が月盤の中宮に入ることにより、ゼロから体制を築き上げるという創生の動きが本格的に始まります。
7月の選挙は主権が国民にあることを明確に示しました。それがこの選挙の総括と言ってよいでしょう。組織の利益を優先する時代はすでに終わっており、時代の宇宙的な流れは国民一人一人の思いに移行し、我々一人一人が志向することが何よりも優先する時代へ移行しています。組織票がものをいう時代はこの7月の選挙を最後に終焉したのです。今後は我々一人一人がこの国をどうしたいか、この国がどうなっていくべきかを考え、意思表示しなければならないのです。
政治に無関心であるということは気学的には六白金星を蔑ろにすることを意味します。六白金星はあって当たり前のものであるだけに、無くして初めてその有難さが分かるのです。六白金星は太陽であり光でありエネルギーです。あって当たり前のものはそれが見えなくなった時、その不自由さが身に染みて分かります。免疫力も六白金星が担います。清潔さ、衛生環境も六白金星が担います。神仏は一切穢れのない純粋な六白金星に宿ります。六白を蔑ろにする国はいずれ滅びます。日本国の歴史を見ても、六白の神聖を穢し、六白の気を蔑ろにした時代は、疫病が蔓延し、民の生活が貧しています。政治に無関心であることの意味はこういうことなのです。また政治に関心を持つということ本来の意味はこういうことなのです。
2025年の8月から始まる政治の流れは主権が国民にあることを再認識させます。そのためにいったん振出しに戻り、もう一度ゼロから体制を築き上げるための気の形が配置されています。五黄土星は暴風をもたらし、すべてをゼロに戻します。そしてゼロから新しいものを創り上げます。暦は地球という生命体が今どういう意思を持ち、どの方向に向かっていくかを示しています。暦が示していることは、2025年は国民主権が顕在化する年であり、8月はこの流れが実質的に始まる月ということです。この流れを我々はしっかり見据え、六白金星がもたらす公益に沿った政治の在り方を改めて問い直す必要があります。
〔運勢学は答えのない学問である〕
我々が学校で習ってきた学問は3次元世界の学問です。3次元世界の学問とは答えがあることが前提の学問です。ですから教えてもらうことが可能であり、理論があって形があってそれを覚えることによって、ある程度同じ結果同じ答え同じ方向性を生み出すことができます。3次元世界とは物質世界の波動であり、物質化するからこそ目に見える結果がいつも現れます。目に見えるからこそ同じものか異なるものかを確認することができます。この世界は特に目によって確認できることが重視されます。目によって確認できるものは分かりやすく、分かりやすいからこそ同じ価値観の共有が可能なのです。この性質に従って法律、しきたり、制度、規則を作り、それに従うものと従わせるものとの関係を構築します。けれども3次元世界の波動は既に作られた世界であり、結果の世界です。既に出来上がった物質の世界は時間とともに劣化し、いつかは役に立たなくなり、ついには消滅を余儀なくされます。
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運勢学は高次の世界を捉える学問です。真の運勢学は決められた答えがありません。答えがないということは自分で答えを追求し、その答えを証明していかなければなりません。それでも答えを出し、これは間違いないと自分で確信するまで追求していく必要があります。この段階に至り、それを実世界に応用し、人に教え導くことができるようになるのです。
唯一絶対の答えがない学問は永久に進化します。知識や認識に到着地点はありません。自分で自分の考えを幾度も修正し、書き換え、より正確なものに仕上げていくのです。真理は一つでもその表現方法は幾通りもあります。どのように表現するか。どのように答えを導いていくか。それがその人の価値となり、その人の運勢学の在り方になるのです。
気学は高次元世界の学問となりえます。気学の元となる易は後天図という二次元平面において波動生成の仕組みを完璧に現わしています。その易が捉える世界は多次元世界であり、八卦の重なりによって幾重にも分かれた多次元世界を現わします。易は宇宙が多次元世界であり、無数に今ここにある現実世界と異なる別の世界が存在することを物語っています。易の形は一つだけの現実を示しているのではありません。易は今ある世界が幾重にも重なっている世界の一側面に過ぎないことを教えています。けれども私たちはこの世界を2次元あるいは3次元の視点で捉えており、私たちが生きているこの世界は唯一のものと認識しています。
易が示していることは現実は一つではないということです。それ故、運勢学には決められた答えはありません。世界の進む方向性や個々人の命運を示唆することはできても、それは唯一の答えではありません。運勢学が導きだす答えは一つの視点であって、唯一の答えではないのです。けれども一つの道筋を示したその人の表現はオリジナルのものであって、その人にしかできない導きになります。そしてその表現はその時に唯一のものであり、これを授ける人と受け取る人との波動の共鳴が生まれ、その人自身のかけがえのない判断、決断となっていくのです。
浅沼気学岡山鑑定所監修

