地雷復
䷗
【彖辞】
復 亨 出入无疾 朋來无咎 反復其道 七日來復 利有攸往
①帰還する。希望は通る。行くも帰るも支障はない。朋友が来れば咎めは
ない。その道を反復する。七日後に戻ってくる。行くべきところに
向かってよろしい。
②復れと叫び、貢ぎ物を捧げる。出入において祟りなし。朋友が来りて
神罰なし。聖域に立ち入り除道して復る。七日後に戻り来る。行くべき
ところに向かってよろしい。
「復」は量器を反復する形。また招魂(死者を呼びもどす)の儀礼を意味する。この彖辞でポイントとなるのは「反復」と「七日」である。この卦に反復する形と七日の形がある。山風蠱で考察したことを再度記述する。
山風蠱【彖辞】蠱 元亨 利渉大川 先甲三日 後甲三日
「先甲三日 後甲三日」は十干の甲(きのえ)の日の前後3日間を意味する。つまり1週間である。さらに巽爲風にも同じ表現が用いられる。
巽爲風【九五】貞吉悔亡 无不利 无初有終 先庚三日 後庚三日 吉
「先庚三日 後庚三日」は庚(かのえ)日の前後3日間である。この表現が用いられる元となる形が艮爲山であり、震爲雷であると解説した。艮は気学の八白であり八白は定期的に変化をもたらす気である。地雷復は六四が変爻すると震爲雷となる。初九が二爻、三爻と順に上っていき、再び初九に戻るまでに7日とする見方もあるが、山風蠱、巽爲風の事例を考察すると、艮、震の形に3のリズムが宿ることは明らかである。これは気の法則でもある。
六四変爻による震爲雷【六二】震來厲 億喪貝 躋于九陵 勿逐 七日得
ここに「七日」が用いられることで地雷復と震爲雷の関連が現れる。これにより震、艮は「三日」のリズムおよび「七日」のリズムを併せ持つことになる。丁度「七日」は月の満ち欠けのリズムであり、震を下弦、艮を上弦、坤を新月、乾を満月とし、八卦の変化推移を見ながら「七日」の表現を用いたと推察する。これを裏付ける卦がある。
天澤履【九四】履虎尾 愬愬終吉
「履」は「復」を含む文字である。爻辞の「愬」は朔日すなわち新月を現わすと考えると、天澤履の形の中に月の満ち欠けの形があることが分かる。天澤履の天(乾)は満月の形であり、澤(兌)は欠けの形である。さらに兌の裏は艮の上限の月、乾の裏卦は坤となり新月の形となる。月は七日単位で形を満月、下弦、新月と形を変えていくから、艮(上弦)、乾(満月)、震(下弦)、坤(新月)の形を月の満ち欠けとして見ていたと考えることは十分可能である。そもそも八卦とは森羅万象を形で表したものである。易の形は常に何らかの形で自然現象を映し出していると見るべきである。
一方、「反復」はどの形のことを表しているのだろうか。この問いに答えるためにはまず「復」の形を振り返らなければならない。「復」は量器を反復する形である。上下の間を行ったり来たりする形である。この形を卦で表すと、一つは上下の陽爻の間に坎の形が入る場合。つまり真ん中の陽爻が一陰を挟んで上下の陽爻に繋がる形である。もう一つは招魂儀礼の形である。「皋(ああ)其復れ」とよぶ儀礼があったという。この儀礼の形が易の形に現れているはずである。まずは「復」の文字が用いられる卦をみてみよう。
天水訟 【九四】不克訟 復卽命 渝安貞吉
風天小畜【初級】復自道 何其咎 吉
地天泰 【九三】无平不陂 无往不復 艱貞无咎 勿恤其孚 于食有福
地天泰 【上六】城復于隍 勿用師 自邑告命 貞吝
火澤睽 【初級】悔亡 喪馬勿逐 自復 見惡人无咎
上記の卦に共通することは、上下の陽爻の間に坎の形が入ること、あるいは一つの変爻によってその形が現れることである。但し地天泰のみこの形は現れない。このことは後に検証する。天水訟は九五が変爻することによって九四が九二と上九の間に挟まる。風天小畜は九二が変爻することにより九三が九五と初九の間に挟まる。火澤睽は上九と九二の間に九四が挟まれ、さらに初九が変爻することにより、裏卦に水火旣濟が生じ、初九と九五の間に九三が挟まれる。この形の変化推移をみると、「復」の量器を反復する形が現れているとみてもよいだろう。地天泰に関しては上下が陰陽くっきりと分かれているから、仮に三陽を器の中に入る穀物とすれば、三陰は空の部分。つまり容器を上下すれば半分は詰まり半分は空っぽの状態となる。これが量器を反復する形とみることもできよう。
次は「復」を招魂と見る場合である。招魂とは死者の魂を呼び戻す行為であるから、死者に通じる坤の形が必要となる。地雷復には上卦に坤があり、地天泰にも上卦に坤がある。天水訟、風天小畜においては裏卦に坤が現れる。ここから「復」と招魂の義は坤の象意からもたらされると考えたい。
【初九】不遠復 无祗悔 元吉
①遠からずして帰る。慎んでいれば悔いはない。
命を全うして無事帰還し廟に報告する。神意にかなう。
②大いに遠方に向かい復れと叫ぶ。悩み悔いることなし。
命を全うして無事帰還し廟に報告する。神意にかなう。
「祗」の声符は「氐」。「氐」は曲刀で底を削って低平にすること。敬しむ義。底を平らにした卦の形が「氐」の義に通じる。書経に「民の祗(なやみ)を顯(かえりみる)罔(な)く」とある。「遠」は履物を加えて遠く死出の旅に出ること。この義から地雷復の初九が招魂する主体であることが分かる。死出の旅とは上位が坤であることが要因であろう。坤の象意は無、魂のなくなった状態。気の枯れた状態。これが死者、冥界となる。因みに雷地豫の上六及び地風升の上六にも「冥」の文字が出てくる。いずれの卦も坤の形を持つ。
雷地豫【上六】冥豫 成有渝 无咎
地風升【上六】冥升 利于不息之貞
六五に「悔」の文字があり初九の「悔」に応じる。この「悔」は「元吉」の形により「无祗悔」となる。「元吉」は五爻が元首であることを明確化させる時に用いる。地雷復は初九以外の爻がすべて陰爻となるため、初九の力が最も大きくなり、六五の元首を凌ぐ勢いを得る。このため初九に「元吉」を記し、五爻が元首であることを明確化させる。五爻が変爻すると水雷屯となる。また初九が変爻すると坤爲地となる。
水雷屯【初九】磐桓 利居貞 利建侯
【九五】屯其膏 小貞吉 大貞凶
坤爲地【初六】履霜堅冰至
【六五】黄裳 元吉
二つの卦を見ると、六五の変爻は「吉」と「凶」が現れ、初九と九五の力が依然拮抗する。一方、初九が変爻すると坤爲地に「元吉」が現れ、五爻が元首であることが明確化する。さらに坤爲地は六五が変爻して五爻の元首を明確化させ、水地比の九五に「吉」が現れる。「无祗悔」とは初九が柔に転じ、五爻の元首に恭順することを表す。これにより五爻の「祗(なやみ)」と「悔」はなくなる。
【六二】休復 吉
①軍功を称えられ帰還する。吉である。
②王の休命により召還する。契刻した誓約の実現を求める。
「休」は軍功を称える義。左伝に「天子の丕顯なる休命に奉揚せんと」とある。また金文に「王曰く、休(善)なりと。匡(きょう)、拜手稽首し、丕いに顯らかなる休(嘉命)に對揚(奉答)す」とある。この「休」はめでたい。よろこび。大きい。よくその事を終える義。六二は中庸の徳を持ち、「休」の嘉命に奉答する立場になる。また六四が変爻した場合、九四の中将に対する嘉命の意も加わろう。
【六三】頻復 厲无咎
①水際で帰る。危険であるが咎めはない。
②水辺で復れと叫ぶ。呪禁を加えて身を守れ。神罰なからん。
「頻」は水辺における弔葬。「厲」はさそりのような虫の形で呪儀を行う義。六四変爻による巽爲風の九三に「頻巽 吝」とある。「頻」の意味は三爻の境界からもたらされる。
【六四】中行獨復
①道半ばにして、独り帰還する。
②元帥は敵地へ行き、独り帰還する。
「中」は中軍の将(元帥)を示す旗の形で三軍の元帥のいるところ。ここで「中」を用いるのは六四が変爻すると震爲雷となり、進軍の形となるからである。但し陰爻であるため進行には至らない。「中」が六四の位置であることを裏付けする卦がある。
澤天夬【九三】壯于頄 有凶 君子夬夬 獨行遇雨 若濡有慍 无咎
澤天夬の裏卦は山地剥であり、山地剥の賓卦は地雷復である。澤天夬の九三は山地剥の六三に当たり、山地剥の六三は地雷復の六四の位置となる。澤天夬の九三を見ると「獨行」との表現があり、地雷復の六四には「中行獨復」とある。さらに澤天夬の九五に「中行」の文言が現れる。
澤天夬【九五】莧陸 夬夬 中行无咎
澤天夬九五の「莧」はヒユ。「陸」は神を迎える幕舎の形であるが、他に日が北陸や西陸にある時特有の儀礼を行った記録があるから、「陸」には日影を観測する役割があったとみられる。「莧陸」は山ごぼう、あるいはすべりひゆと解することがあるが、これは「夬夬」の表現から切れ切れになる性質のものだからであろう。但し「陸」には元来そのような植物の意味はない。ここで注目すべきところは日影を観測するという意味である。澤天夬の裏卦である山地剥の形を見ると丁度上九が日影を作る物体に見え、初六から六五までの陰爻が影に見える。以上諸々の分析から、山地剥および地雷復には時間の経過を表す形が現れていると考えてよいだろう。易は暗号のように難解な世界ではあるが、八卦の象意、卦全体の形、爻の変化を読み解き、その上で爻辞に用いた文字の象意と形との関連を探ることによって、解読の糸口を掴むことができる。
【六五】敦復 无悔
①椎撃して復る。悔いなし。
②敦伐して復る。神罰なからん。
➂よく復る。神罰なからん。
「敦」は礼器。「享」は建物と烹飪する器の形。先祖を祀ること。「攵」(ボク)は木の枝でものを打つこと。椎撃する音の擬声語。「敦伐」(たいばつ)という文字は周代の金文に使われている。「敦」は「屯」と通じ、「屯」は集まる、よい、完全、功績を讃える義。
地澤臨【上六】敦臨 吉无咎
艮爲山【上九】敦艮 吉
六五は中庸の徳を持つから、迷いなく復る。上記二つの卦において「敦」はよい、完全の意味で用いられる。
【上六】迷復 凶 有災眚 用行師 終有大敗 以其國君 凶
至于十年不克征
①迷って帰れば凶である。災いがある。軍を派遣すれば終には大敗する。
その危害は国王に及ぶ。凶である。十年に至っても征服できない。
②迷乱して復る。死者の霊を鎮め災厄を祓え。自ら過失を招く。もって軍を
派遣する。終には大敗する。その國君に及ぶ。災厄を祓え。十年に至るまで
克(よ)く征服せず。
「迷」は徳が乱れる義。書経に「殷王受(紂)の迷亂して酒徳に酗(よ)へるが若くすること無かれ」とある。「敗」は「貝」+「攴」。貝を打って廃棄すること。聖器を傷つける呪的儀式。やぶる義。「年」は元来祈年の舞を意味し、農耕儀礼に関する字。周に年祭があった。「克」は木を彫り刻む刻鑿の器。王が師克(氏)に冊命で再命している金文がある。「征」の「正」は城郭に向かって進み、攻撃する義。上六は復る意思が最も薄く、これを「迷」で表す。この卦はすべての位置で「復」るべき状況であることを説く。「十年」は坤の象意。上六に至ると「復」る見込みがなくなり、初九が軍を派遣しても「大敗」し 、「十年」たっても決着のつかない状況となる。
(浅沼気学岡山鑑定所監修)