誰に届くかという意図なくしてすべての場所に届くのが光である
真正の六白は私益なるものを持たず公益のために与え続ける。俗世の六白は公益と私益を混同し自分に縁のないものを自分の手元に引き寄せる。公と私の益の境界線はどこにあるのだろうか。六白の気はその届き方によって真正と俗世の命運を分ける。誰かのためにと特定の人に向けられると六白の気は淀む。真正の六白は与える一方であり、自分以外のすべてのものに平等に与えようとする。俗世の六白は意図をもって動くが、真正の六白は意図を持つことがない。真正の六白は光の気質を体現するため、特定の人へ進むという意図を持てない。誰に届くかという一切の意図なくして届くのが真正の光であり真正の六白である。
浅沼気学岡山鑑定所監修

