火水未濟

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【彖辞】未濟 亨 小狐汔濟 濡其尾 无攸利

 

未だ渉りきらず。会同する。小狐がほとんど渉りきるところでその尾を

濡らす。利するところなし。

 

「濟」は水を渉る義。詩経に「旋り濟ること能わず」とある。この卦は水火旣濟同様陰陽交互に折り重なる形で、陰爻陽爻が交互に現れ、上卦と下卦の和合が図られる。但し上卦の離は上昇する火となり、下卦の坎は下降する水となるため、上下卦の陰陽が交わらない。この形は見方によっては九二の坎(水)から九四の坎(水)へと川を渡っていく形にも見える。火水未濟は水火旣濟と表裏一体の関係となる卦であるから、爻辞の文言も関連性が出てくる。

 

水火旣濟【初九】曳其輪 濡其尾 无咎

火水未濟【初六】濡其尾 吝

 

水火旣濟【九三】高宗伐鬼方 三年克之 小人勿用

火水未濟【九四】貞吉悔亡 震用伐鬼方 三年有賞于大國

 

水火旣濟【上六】濡其首 厲

火水未濟【上九】有孚于飲酒 无咎 濡其首 有孚失是

  

ここで注意したいのは水火旣濟では九三が「鬼方」となり、火水未濟では九四が「鬼方」となること。その位置が一爻ずれていることである。易の形において上下卦の境界は三爻、四爻にあり、上下の陽爻の間に坎(陰-陽-陰)の形が入る。これが「濟」(わたる)形であり、辺境の「鬼方」となる。火水未濟の六三に「未濟 征凶 利渉大川」とあり、ここに卦名の「未濟」があるから、六三の位置が大川を渡る前であることが分かる。従って大川を渡った後は九四の位置となる。故に「貞吉悔亡」となり凶を逃れる。 

              

 

 

 

【初六】濡其尾 吝

 

その尾を濡らす。過ちを改めるべきである。

 

初六は裏卦の象意である。裏卦初九の「尾」が九三の水にぬれる。九三を「川」とし初九が九三に結び付く状態を「吝」とする。水火旣濟の初九は「曳其輪」「濡其尾」と二つの文言を用い、火水未濟の初六は「濡其尾」の文言のみ用いる。この違いは水火旣濟の初九は陽爻で九三の車「輪」を曳く力があり、尚九三の水に濡れる状態。すなわち成果を得る軌道と成果を仕損じる軌道がある。火水未濟の初六は陰爻で力がなく、成果を仕損じる軌道のみとなる。水火旣濟と火水未濟は陽爻の動きを中心に見ながら、爻の状態と八卦の象意を同時に読み取る。

 

 

 

 

【九二】曳其輪 貞吉

 

①その車輪を曳く。身を慎めば吉である。

②その車輪を曳く。出入を厳密にし、貞卜して修祓せよ。契刻した誓約を

 実現せよ。

 

九二の爻辞は表の象意である。九二は九四の車輪を曳く位置。九四は上卦に至っており地位を得ているが、上下の境界におり未だ役目を終えていない。その九四に繋がるが故に出入りを厳密にする貞をもって吉とする。さらに六五の「貞吉」に応じ、恭順の意を表す。

 

 

 

 

【六三】未濟 征凶 利渉大川

 

未だ川を渉らず。征服すれば災いある。大川を渡るがよい。

 

六三は上下の境界におり、未だ境界を渡っていない位置にあるから凶意をともなう。「未濟」の卦名を爻辞で用いることはこの爻が主爻であることを表し、同時に運気の変化をもたらす爻であることを示す。火水未濟は水火旣濟とともに完成形と未完成形の違いを明白に示す。六三の爻辞はすべての卦の第三爻が持つ意味を表す。「征凶 利渉大川」には凶という否定の義と大川を渡れという肯定の義の二律背反がある。この状況が六三の置かれた状態であり、それ故にこの位置は普段以上の警戒が必要となる。この場合否定の義を取り、後退することは可能かという問いが出てくるが、火水未濟六三における状況は「凶」を覚悟で大川を渡れの意味になる。火水未濟は水火旣濟とともに陽爻陰爻の入れ替わりによる連続性があり、止まる象意が出てこない。従って流れに従って進み、時に六三のような境界に立ち大川を渡らざるを得ない状況となることを説く。

 

この状況は気学でも同じ見解となる。気学における艮宮同会は運気の変化に当たり、何かを方向転換する位置になる。艮宮には二つの機能があり、一つは前進もう一つは後退である。また人事においては引継ぎ、交代である。艮宮は方向転換の気であるから、必ず何かを転換することが生じる。艮宮の基本的役割は上手くいっていない部分を軌道修正し、後継者に繋ぐことである。「征凶」はバランスを欠くことを強引に進めようとし、これにより断絶が生じることを警告するものである。艮宮に同会することの意味は、時に断絶をもってしても次の新たな軌道へ繋いでいくことである。これが「征凶 利渉大川」の気学的見解である。

 

 

 

 

【九四】貞吉悔亡 震用伐鬼方 三年有賞于大國

 

①慎んで制約を実現すれば悔いはない。奮起して北東の鬼方を討伐する。

 三年後に大國において(その功績を)賞される。

②出入を厳密にして貞卜し、契刻した誓約を実現せよ。神の怒りに悔悟し、

 その怒りを鎮めよ。奮い立ち、苦方の異民族を征服する。三年後大いなる

 國都より褒賞を授けられる。

 

「鬼方」は卜辞の「苦方」。高宗(武丁)の「苦方征伐」を意味する。「賞」は褒賞。「三年有賞」は三年後に賞されることを表す。あるいは「有」を侑薦する義として解釈すると、三年間「大國」に貢ぐという訳もあり得る。但し、水火旣濟「三年克之」は克服(征服)に三年かかったという史実があるから、ここでの「三年」は三年後にと解釈する方が妥当であろう。「國」の▢は城郭を表し矛を持って守る象。軍事的國都。「國」の文字が九四の位置で用いられることで、「或」と「國」の格の違いを確認することができる。

 

九四と六五の「貞吉」が互いに応じ、六五の主君に対する恭順の意を表する。「悔亡」の「悔」は坎の象意であり、ここでは九四が主体となる。「亡」は九四自ら変爻することを表す。「三年有賞于大國」の「三年」は気の法則であり、三年ごとに環境や心境が変化していく。この辞は水火旣濟九三の「高宗伐鬼方 三年克之」に準じた辞と見ることもできるが、卦の形に「三年」の象意があると捉えることもできる。坎には三年の意味があると既に述べたが、卦全体の形から「三年」の象意を読み取ることもできる。旣濟も未濟も陰爻と陽爻が交互に重なる形であるが、この形を仮に年輪と見なすと、陽爻を一年とする三つの節目が現れるから「三年」の形となる。この爻辞は三年後に本国より功績が認められるとともに、三年で役目を果たすことを表す。 

 

 

 

 

【六五】貞吉无悔 君子之光 有孚吉

 

①身を慎んでいれば悔いはない。君子の光である。誠実さがあり神意に適う。

②出入を厳密にして修祓することは神意に適う。悔いなし。君子は重大な行事

 で意を決して出発し、光明を放つ。収穫有って契刻した誓約を実現する。

 

「貞吉无悔」が九四の「貞吉悔亡」に応じる。「悔亡」は九四自ら変爻することを表し、「无悔」は九四変爻を五爻の立場から見た表現となる。九四が変爻すると山水蒙へ移行する。その六五に「童蒙 吉」とあり、二爻の評価を「吉」とする。九二の「貞吉」はこの一連の経過を踏まえた表現となる。

 

火水未濟六五の「君子之光」は水火旣濟九五の「西鄰之禴祭」に該当すると既に述べた。「君子」という言葉は単に主君を意味しない。乾爲天九三「君子終日乾乾 夕惕若 厲无咎」にあるように、君子は終日意気盛んに努め、夕に畏れ慎む。壮健であっても謙譲さを兼ね備えた人物が「君子」である。「君子」という文言が用いられる卦は火水未濟の他に、乾爲天九三、水雷屯六三、風天小畜上九、地山謙九三、風地觀初六・九五・上九、山地剥上九、天山遯九四、雷天大壯九三、地火明夷初九、雷水解六五、澤天夬九三、澤火革上六がある。これらの卦の「君子」の姿を追いかけると易が言わんとしていることが自ずと分かる。易の「君子」は在野にいて苦労多き者であり、時には誤解され、時には危うき立場に追い込まれ、艱難を背負いながらも、決して地位や名誉、報酬のために動かない。この姿を「君子終日乾乾 夕惕若 厲无咎」というのである。上九が変爻すると雷水解となり、九四の「震」の動機が生まれる。この爻辞の「解」には自らのしがらみを解く意味もあれば、しがらみに苦しんでいる人を解放する義もある。これが易の「君子」である。

 

上九変爻による雷水解【六五】君子維有解 吉 有孚于小人

 

  

 

 

【上九】有孚于飲酒 无咎 濡其首 有孚失是

 

①飲酒の場においても誠実さがある。咎めはない。首を濡らすような失態を

 犯す。誠意はあっても大義を失う。

②孚の心があり、ここに飲酒する。神罰なからん。その首長に浸潤する。

 収穫あれども、王命の大義を失う。

 

「濡」は次第に潤う、浸潤する義。「屚」(ろう)は雨漏り。周礼に漏刻(水時計)のことが記される。この卦は陰陽が重なり、坎の水が下に落ちる形と見ることもできる。「首」は上九の位置。九四の「震」(雨+辰)の雨と「濡」の雨が応じる。従って「首」を「濡」(うるお)わすのは九四であり、その九四に繋がる九二となる。「濡」は浸潤する義であるから、上九の地位に浸潤する九四を警戒する文言でもある。上九を表す「首」と九四の「伐」(首切りの刑)にこの経緯が現れる。「是」は匙の形。神事に関する字。氏族共餐の儀礼で用いられる。金文に「是以先行」とあり、「是」は王命の義として用いられる。

 

「飲酒」は氏族共餐の儀礼であるから、上九、九四、九二との連携を維持すべきことを説く。この連携が九二の「曳其輪」となって現れる。九二は水(飲酒)の元であるから、上九は九二の「孚」心を見極め氏族共餐を図る。「濡其首 有孚失是」とは九四が上九の「首」(地位)を浸潤することを警戒する言葉でもあり、上九が九二の情に流されることを戒める文言でもある。さらに上九の「濡其首」は初六の「濡其尾」に応じるから、裏卦の初九と九三の結びつきを表の動きに置き換え、辺境である六三に上九が応じる形を「是」を失う形と見た可能性もある。六三の「征凶」は、六三の位置のみならず上九の動きを警告するものでもある。またもう一つの「是」を失う形は、九二との繋ぎを果たす九四が変爻する形である。これにより九二と上九の連携が不安定化しあるいは途切れる。九四変爻による山水蒙及びその裏卦澤火革の爻辞を見ると、氏族の結束が失われていることが分かる。

 

山水蒙【上九】撃蒙 不利爲寇 利禦寇

澤火革【上六】君子豹變 小人革面 征凶 居貞吉

 

九四変爻による山水蒙は六十四卦の四番目に置かれる。乾爲天は陽気の法則、坤爲地は陰気の法則を説き、陰陽交わり水雷屯が現れ、天地創造が始まる。この水雷屯を逆転させた卦が山水蒙である。水雷屯は「利建侯」すなわち國づくりの義を説き、山水蒙は「蒙」昧を啓く教育と育成の義を解く。

  

この卦は九四が変爻すると山水蒙となり、裏卦は澤火革となる。その九三に「征凶 貞厲 革言三就 有孚」、九四に「悔亡 有孚改命 吉」とある。ここから九四の位置が成果の鍵を握ることが分かる。九四の「改命」は新たな使命を言い渡されたことを示す。但し上九に至ると「濡其首 有孚失是」とあり、目的を失うか失職することを暗示する。「是」は「題」目に繋がる文字であるから、大義名分を失うことを示す。「有孚于飲酒」は腹を割って酒を飲みかわす場面であるが、誠意を尽くしてもよい返事が得られない。火水未濟は組織の人事に置き換えると、爻辞それぞれの立場が掴みやすくなる。

 

初六は力不足、準備不足で侮られ恥をかく。九二は実力を認められ抜擢される位置。六三は移動のタイミングが整っておらず行けば大変な目に合う。但し境界線におり進むしかない状況。これが「征凶」(行けば災い)と「利渉大川」(大川を渉れ)の矛盾となる。九四は現場の実力者九二と最高経営責任者の上九を繋ぐ部長クラスとなり、実力も兼ね備え功績をあげる。六五は表では控えめな管理職にみえるが、裏では実力と地位を兼ね備えた「君子」。裏卦水火旣濟の九五に「東鄰殺牛 不如西鄰之禴祭 實受其福」とあるが、西鄰の質素な禴祭を行うのが「君子」である。上九は最上位にあるが顧問としての立場から人を見る。初六と上九に「濡」が出てくるが、この文字が易で用いられる時は恥をかかされたり、面目を失ったりする場面となる。

 

易は乾爲天、坤爲地に始まり、天地定まって水雷屯の混沌、山水蒙の蒙昧が地上に現れる。水雷屯は水火旣濟の九三が変爻して生じ、山水蒙は火水未濟の九四が変爻して生じる。水火旣濟は陰陽の交わりが完成した形であるが、卦の中で最も不安定な位置にある九三が陰陽変化し再び混沌の形に移行していく。火水未濟は各爻の陰陽は整うが、天地の和合が整わない。火は上昇し水は下降する。すなわち分離の象意である。完成の裏には未完成の形がある。これが六十四卦の循環であり万物流転の姿であることを易は示している。

 

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)