天山遯
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【彖辞】遯 亨 小利貞
逃れる。会同して同族の儀式を行う。小人は出入りを厳密にして貞卜するに
よろし。
「遯」は豕が逃げる形。天山遯は逃げる段階を示し、逃げ遅れを警告する。六爻のうち下二つの爻が逃げ遅れの形。天山遯の裏卦(りか)は地澤臨。臨時。臨戦。臨検の義である。このことからも天山遯が災いから逃げる卦であることが分かる。地澤臨の初六が変爻すると地水師となり、軍隊を動かす卦となるから事態が有事であることが明らかになる。
【初六】遯尾厲 勿用有攸往
逃げる豕の末尾となり危険である。行くべき所があっても用いるべきでない。
「厲」は悪霊を押しとどめる呪禁のこと。豕の集団を陽爻とすると、初六及び六二はその集団から外れる。初六は下卦艮の留まる気運の中におり、末尾にいるから逃げ遅れる。
【六二】執之用黄牛之革 莫之勝説
①黄牛の皮で固く繋ぎとめる。誰もこれをよく耐えて説得できない。
②黄牛の皮をもって手かせを加える。日の暮れに意を決して行き、よく耐えて
説得する。
「執」は手にかせを加え罪人を拘執する義。「之」は元来、足跡の形。重大な行事で出発するとき趾を鉞に加えて清め、その霊威を受ける呪的な儀式。「黄」は中央の色。爻辞に出てくる黄は中央にあることを意味し、六二の位置を表す。「革」は革命に象徴されるように「改める」義として通用する。「勝」の声符は「朕」(ヨウ)。両手でものを奉ずる。舟の中にものを入れて捧げて送る。農事の吉凶を卜し、神意に適うことをいう。たえる。おさえる。とめる義がある。「説」は神意を受けること。ときあかす。ここでは説得の意とする。「勝」も「説」も同じく神意を受ける意味がある。「勝説」はよく耐えて説得すると読んだが、説得に耐えると読むこともできよう。説得する側と説得される側の立場の違いがある。「莫」の象形は草間に日が沈む形。「莫」は金文では「來王せざる莫(な)し」のように否定詞として用いる。金文には暮(くれ)の意で用いられた事例が見当たらないようであるが、易経では「莫」が明らかに暮れの意味で用いられる事例がある。それが以下の爻辞である。
澤天夬【九二】惕號 莫夜有戎勿恤
恐れて叫ぶ。日暮れ時に敵襲がある。憂うることはない。この爻辞の「莫夜」は「暮れ」の意で用いられている。
爻辞の解釈は金文の意味に忠実に訳すことで、意外にその場の光景を映し出すことがある。日暮れ時、逃げ遅れた人を勝(よ)く説得し、強引に避難させる光景とみることもできる。あるいは執拗にこだわりを持つ人を説得し、改心させ、舟に乗り移って逃げるよう説き伏せている姿にもみえる。
【九三】係遯 有疾厲 畜臣妾吉
①係わって逃げ遅れる。病あって危険である。臣下を留めて吉である。
②係わって逃げ遅れる。有事の疾患にて呪禁する。宮廟に仕える臣下を育て
養うことは神意に適う。
「疾」は脇の下に矢のある形。矢傷。祖霊の祟り。「畜」は元は染色する義。詩経に「我を畜(やしな)ひて卒(を)へず」とあり、育の意味として用いる。「臣」は目を上げて上を見る形。「小臣」は王族出自の者。多くは神事に従い、もとは異族の犠牲や神の徒隷を意味する。宮廟に仕えるもの。「妾」は元罪人の女を意味するが、後に宮廟に仕えるものとなった。九三は下卦の艮となり、動かないから逃げ遅れというよりも自ら踏みとどまる形。天山遯の裏卦は臨検臨戦の地澤臨であるから、疾患の有事と見る。九三が留まるのは自らの意志であり、危険な状態ではあるが臣下として踏みとどまる。「臣妾」を六二、初六と見なすと、九三はこれを留める壁となる。これを養い育てることを吉とする。
裏卦地澤臨【六三】甘臨 无攸利 旣憂之无咎
「甘」は命令に甘んじて臨む。あるいは缶詰め状態になって臨む状況。故に「旣」で嘆息し、「憂」でうれい、なやんでいる。
【九四】好遯 君子吉 小人否
①よく逃れる。君子は逃れて吉である。小人は忠告に背いて逃れられない。
②(婦好)軍令執行により逃れる。君子は契刻した誓約の実現を求め、小臣は
その軍礼を拒否する。
「好」は「女」+「子」。形象は女が子供をあやす形。金文「好賓」「好朋友」。親しむ。よいの義。氏族の名でもある。卜辞に「婦好」の外征に関するものがあり、軍令の執行に与っている。この爻辞は「好」の解釈で方向性が定まる。好むという意味を用いないのは、この意味はその後の文言と矛盾するからである。君子が逃れるのは吉。小人はこれを拒否する。君子は軍令のような大義がなければ逃れない。小人が拒否しているのは、軍令に背いて目先の利益のためにそこに留まるからである。卜辞の「婦好」とは国都の外で活動している軍令の執行に当たる人である。これは現在の外交関係の駐在員やそれに類する人々である。有事のために、一時帰国を命じられているのであろう。変爻しない形を「君子」とし、変爻する四爻を「小人」とする。九四が変爻すると裏卦の地澤臨が雷澤歸妹となり、神意を塞ぐ「否」の形となる。
裏卦地澤臨【六四】至臨 无咎
(八か月後に)至り、臨む。神罰なからん。
裏卦の状況を見れば、逃れる理由が分かる。いよいよ臨時の状況に至る。
【九五】嘉遯 貞吉
祓い清めよく逃れる。出入を厳密にして貞卜し、修祓せよ。契刻した誓約を
実現せよ。
「嘉」は「喜」(鼓)+祝禱サイ。「加」は鋤とサイ。秋に虫の害を祓い増収をはかる農耕儀礼。耜を祓い清める儀式。よい、めでたい義。「喜」は上卦乾の象意。乾を田、富とする。
裏卦地澤臨【六五】知臨 大君之宜 吉
「知」は神にかけて誓い相互に意思を確認する義。その国のトップが宣言し、出陣の儀式を行う。策を講じて逃れる。
【上九】肥遯 无不利
①あつく逃れる。支障はない。
②肥大化して逃れる。よろしからざるなし。
「肥」は「肉」+「卩」(セツ)。「節」の意。「卩」は人が跪坐(きざ)する形。肥大の意。その他、ゆたか、あつい義がある。
裏卦地澤臨【上六】敦臨 吉无咎
「敦」は「敦伐」(たいばつ)の義であるから、終盤に至り征伐し封じ込めるのであろう。「肥」をあついの義で解釈すると、裏卦の「敦」の義に通じ、封じ込めて逃れる。また「肥」を肥大化の義で解釈すると、上卦乾を集団の象意とし、人数が肥大化して逃れる、となる。
易は必ず裏を見なければならない。易の爻辞は裏卦の状況を表しているものが少なくない。さらに私見を述べると易は陰爻の多い卦、特に坤の形を中に含む形を警戒する爻辞が多い。陽爻の間に入る三陰(坤)の形に邪霊が入る隙があるとみて、これを畏れるからである。
(浅沼気学岡山鑑定所監修)