天風姤

                          ䷫  

  

   

 

【彖辞】姤 女壯 勿用取女

 

女帝の如く勢い盛んである。この女を娶ってはならない。

 

天風姤の形は一陰五陽で陰陽のバランスが崩れ、山地剥とともに特に不安定である。この卦は爻辞と卦の形との繋がりがなかなか見えてこない。まさしく暗号のような世界である。その反面「金柅」「羸豕」「魚」「臀」「膚」「瓜」「角」のように具象化したものが多く記述される。一つ一つの単語は卦の何を指しているのか。作者はこの形から何を見ていたのだろうか。この暗号的世界を紐解くにはやはり文字の象意に当たり、爻の変化推移を見ながら同じ文字の使用例を参照し、これらの特徴と傾向を探っていくしかない。この卦は初六の一陰の女性が五陽の男性を誘惑しあるいは牛耳る形。また逆に五陽の男性が一陰の女性を奪い合う形にもなる。故に卦名が「姤」となる。「女壯」はどの形からもたらされたものだろうか。表の初六を「女」とすると、陰であるから「壯」とはならない。さらに下卦は巽であるから従う象意となる。壯」を上卦の三陽と見なすと、初六とは結びつかない。従ってこれは裏卦地雷復の初九のことを示していると考えられる。この卦は表では上位の陽爻について行く巽の初六となるが、裏では衆陰を押しのけて進む震の初九となる。「取」は元来戦果として耳を切り取っていたことから生じた文字である。ここから「娶」に派生し、戦果の嫁娶に繋がる文字となる。

 

 

 

 

【初六】繫于金柅 貞吉 有攸往 見凶 羸豕孚蹢躅

 

金の歯止めに繋ぐ。貞卜によって出入を厳密にし、契刻した誓約の実現を求める。応じて行くところはある。会見すれば禍ある。やせた豕が捕まえられようとして行きつ戻りつする。

 

「繫」は袋を懸け垂れる形で紐でつなぐ義。「金柅」の「柅」は糸枠、車の歯止めを意味する。「尼」は二人が互いにもたれあう形。親眤の意味。近づく。親しむ義。「羸」はやせる。疲れる。からむ。「累」は「藟」と同声で重なり、連なる義。「蹢」は丸くまとまったもの。「啇」(テキ)は大きな祭卓(下部を交叉して締める)と祝祷の器サイ。初形は「帝+口」。帝を祀ることは嫡(直系)の者に限られていた。ここから正統。相当の意味が生まれる。「蹢躅」はおぼつかなく歩くこと。

 

裏卦地雷復の六四が変爻すると震爲雷となるが、その六四に「震遂泥」とあり「尼」が応じる。山水蒙の六三に「勿用取女 見金夫 不有躬 无攸利」とあり、「勿用取女」「見」「金」が応じる。この卦は山水蒙そして後に出てくる天地否の爻辞に特に親近性がある。「金」とは固い、塊の象意があるが、易で用いられる「金」は陰爻中の陽爻と考えられる。このように捉えると「金柅」は裏卦地雷復の初九のことを表している。「蹢」の「啇」(テキ)は「帝」に通じる文字であり、この文字が上九「姤」の「后」の義に繋がっていく。雷天大壯に同じく「羸」の文字が出てくる。

 

雷天大壯【九三】小人用 君子用罔 貞厲 羝羊觸藩其角

 

天風姤の九二が変爻し、その形を逆転させると雷天大壯となる。「壯」は震の九四および乾の三陽の象意である。  

 

初六の爻辞の「見凶」は何を見ているのだろうか。「見」は会見、謁見の意味でもある。謁見する対象と考えると九五となる。但し初六は上位の陽爻に阻まれ九五に直接謁見する形ではない。上九に「姤其角」とある。角は艮の象意である。裏卦地雷復の賓卦である山地剥の艮(上九)を角として捉えると、これは地雷復の初九に当たる。すなわち「姤其角」は初六と上九との間に繋がりがあることを示す。これを初六が上九を「見」ると表現したのではないだろうか。故に上爻が最下位の初六を見ることは「吝」(恥)となる。また初九が上六を「見」て変爻を促すと山雷頤の形ができ、坤の「豕」が囲いの中で行ったり来たりする「蹢躅」の形となる。この形を「凶」とする。

 

山雷頤【初九】舍爾靈龜 我朶頤 

 

「觀」と「見」が応じる。山雷頤は扶養の立場が逆転することを表す卦である。

 

 

 

 

【九二】包有魚 无咎 不利賓

 

①魚を包む。咎めはない。賓客として迎え入れるべきではない。

②貢ぎものとして魚を供える。神罰なからん。周廟に迎えることに利あらず。

 

「包」は人の腹中に胎児がいる形。「包」は貢ぐ意味として骨臼刻辞に記される。「賓」は「宀」(ベン)+「万」+「貝」。廟に犠牲を薦め貝を加えること。神霊を迎えるときの礼。殷の祖神を客神として周廟に迎える。「包」は九二、九四、九五で用いられる。「包」を貢ぐと解すると、この卦は初六が上位の陽爻に貢ぐ卦と捉えることができる。「魚」は裏卦地雷復の象意であろう。裏卦の六四が変爻すると、震爲雷になる。この卦は軍行の形でもあるが、震爲雷を魚の群れと見ることもできる。九四の「魚」に応じることから、裏卦の六四変爻をほのめかす。仮に裏卦の六四が変爻すると、六二は九四を「遂」う形になり賓客とはならない。六二が貢ぐべき相手は君主の位置であり六五である。その道理が九五の「包」と「賓」に現れる。但し九二と九五が陰陽交わらず、貢物を差し出しても賓客として扱われない。

 

六四変爻による震爲雷【六二】震來厲 億喪貝 躋于九陵 勿逐 七日得

 

「貝」と「賓」が応じる。このことから六四変爻の動きがあることが分かる。「來」には来る意味と賜(もたらす)意味がある。

 

 

 

 

【九三】臀无膚 其行次且 厲无大咎  

 

①臀に膚なし(急き立てられて落ち着かない)。思い立って行き、嘆き祈る。

 危ういが大きな咎めはない。

②臀に膚なし。そこに赴いてため息をつき、貢ぎ物を机上に載せ、

 (無事を)祈る。危ういが、大きな咎めはない。

 

「次」は人が嘆く形。口気の漏れている形。軍が宿る。序列の義。「臀无膚 其行次且」は澤天夬九四の爻辞でも用いられる。澤天夬の九四は賓卦にすると天風姤の九三となる。「臀无膚」を急き立てられて尻が落ち着かない状況と解すると、この状況は裏卦に現れる。六三は初九の震に急き立てられ、上下卦の境界にいるから身の置き所がない。また六三は国境あるいは辺境であるから常に警戒すべき状況となる。山地剥の六四に「剥牀以膚 凶」とあり、さらに上九に「碩果不食 君子得輿 小人剥廬」とある。山地剥の六四は地雷復の六三に当たり、地雷復の六三は天風姤の九三となる。「膚」と「廬」が同じ卦で用いられていることから、二つの文字は何らかの繋がりがあるだろう。「廬」は仮宿で農耕の時に寄宿する田中の舎。忌み小屋。一般から隔離されたところを意味する。「膚」を「廬」に置き換えると、仮宿無しとなる。「次」には軍が宿る意味があり「廬」の仮宿と繋がる。

 

 

 

 

【九四】包无魚 起凶

 

貢物に魚なし。身を起せば災いある。

 

九二は「包有魚」で九四は「包无魚」となる。「包」を貢ぐ意味に訳すと、九二は貢物の魚を持ち、九四は貢物の魚なしとなる。その理由が「起凶」に現れる。「起」は何が起き、立つのだろうか。九四すなわち裏卦の六四が畏れる動きは、まず上六の動き。そして自らが変爻する形である。「起」の形を六四変爻とすると、震爲雷となり、軍行の形となる。九四は中軍の位置となる。震爲雷六四の爻辞の「泥」と初六の「柅」が応じる。「尼」は二人が互いにもたれあう形であり、震が重なる形を「尼」の形と見ることもできる。つまり裏卦の六四と初九はもたれ合いの関係になる可能性を秘める。もう一つの懸念である上六の変爻であるが、山雷頤の六四に「顚頤吉 虎視眈眈 其欲逐逐 无咎」とあり、ここに「視」と「逐」の文字が出てくる。六四は初九と上九双方の陽爻に繋がる位置であり、これが養いを逆転させる原因となる。六四が上九に養いを得ながら、初九が六四を「視」、「逐」う。裏卦の六四が変爻すると震爲雷となり貢ぐ形を失う。六四が変爻しなければ「魚」の形は現れない。身を起こし変爻すれば、魚の群れが生ずるが、この形は軍行をも意味する。従って「凶」とし警鐘を鳴らす。震爲雷六三の爻辞に「蘇」の魚があることから、やはり震爲雷に魚の象意があることが分かる。 

 

震爲雷【六三】震蘇蘇 震行无眚

   【六四】震遂泥

 

九二の「有魚」は九二が上位の陽爻の塊についていく従順性を持つことを示す。従順性は巽の象意である。九四に至ると乾の気運に入り、付き従う気持ちはなくなる。むしろ乾の傲慢さが出始めるから従順性を象徴する「魚」がないとなる。

 

震は勢いよく進むもので、動きが速く、集団で動く傾向がある。その性質を持った生物の一つが魚となる。山地剥の六五に「貫魚 以宮人寵 无不利」とあり、ここにも魚が出てくる。山地剥は天風姤裏卦の地雷復を逆さにした形である。従って一陽五陰また震爲雷の形に魚の姿を見ていたのだろう。「魚」は当時の貴重な貢物であろうか。山地剥に「以宮人寵」とあるから宮廷への貴重な貢ぎ物として用いられたのかもしれない。

 

 

 

【九五】以杞包瓜 含章 有隕自天

 

①かわ柳で瓜を包む。章(心の綾)を含めば、天より落ちることあり。

②杞憂を祓い、瓜を包む。(王位継承に用いる)章を封印する。貢げば

 天より落ちる。

➂杞國より、瓜を貢ぐ。文書を封印する。貢げば天より落ちる。

 

「杞」はくこ(実)。かわ柳。薬用として強精剤に用いる。「杞憂」は取り越し苦労。西周時代に「杞」という邑が都の東にあった。春秋期に杞伯の青銅器がある。「瓜」は瓜の実の形。中味が空虚の意味がある。「含」は「今」+「口」(祝祷の器サイ)。器の栓のある蓋の形。死気を遮閉する義。「章」は入墨の器の辛(針)と墨溜まりの肥点の形。入墨は通過儀礼として用いた。入墨の美を章という。文章の義から文才、才智と捉えてもよいだろう。また「章」は「圭」とともに王位継承の儀式として用いられた。「隕」は天より落ちるもの。「有」は肉を持って神に侑薦する義であるが、有事の意味もある。「包」が九二、九四と応じる。「瓜」は六五の位置と空虚の形を表すものであろう。すなわち変爻しないことを「瓜」とする。一方「章」は変爻の形を表す。六五変爻による上卦の坎は針の象意を持つ。「隕自天」は九五の水が上から下に落ちる姿を表す。

 

坤爲地【六三】含章可貞 或從王事 无成有終

 

「含章」は六五変爻を示す。「可貞」は六三の六五に対する接し方を説く。九五の「包」と九三の「包」が応じる根拠が、坤爲地の六三と六五との関係に現れる。

 

震爲雷【六五】震往來厲 億无喪有事

 

「喪」は死喪の礼を表し、喪「章」の義として繋がる。「有」は現在では所有の意味が一般的であるが、震爲雷の爻辞にあるように「有事」の意味もある。

 

金文に己國と称するものがある。左伝に「冬、杞伯姫來」とあり、杞より来嫁した史実を示す。従って「以杞包瓜」も史実を記した可能性がある。「杞」と「箕」は繋がりがあり、裏卦地雷復の六三が変爻した地火明夷の六五に「箕子之明夷 利貞」とあるから、「含章 有隕自天」の文言は「箕子之明夷」の状況を別の側面から捉えた文言と考えてもよいだろう。

 

 

 

 

【上九】姤其角 吝无咎  

その角にあう。恥であるが咎めはない。

                                     

「姤」の文字は現在では会う意を含むが、この文字の原義は定かでない。「后」は人と祝祷の器の形であり、会う義はない。但し「姤」を会う意味に解すると、上九の状況が意外にもよく理解できるようになる。初六は上位の衆陽と相対するが、その中で最も上位の上九に会うことは立場として難しい。初六の「見凶」は上九に会うことの禍を表し、上九の立場から見ても初六と会うことは「吝」となる。澤風大過の上六に「滅」「凶」とある。

 

上九変爻による澤風大過【上六】過渉滅頂 凶无咎

 

                 

 

この卦の爻辞は特に難解である。それは「包」の意味を卦の形象から掴みづらいからである。「包」の文字は他卦でも用いられるので、以下その事例を掲げさらに考察を深めたい。

 

山水蒙【九二】蒙 吉 納婦 吉 子克家

地天泰【九二】荒 用馮河 不遐遺 朋亡 得尚于中行

天地否【六二】承 小人吉 大人否亨

天地否【六三】

天地否【九五】休否 大人吉 其亡其亡 繋于

 

天地否九五の「繋于苞桑」及び天風姤初六の「繫于金柅」において、「繫」の文字が共通して用いられる。このことから「繋」と「包」が関連する文字であることが分かる。天風姤では「包」む対象が「魚」となるが、その他の卦の「包」は包む対象が物ではなく心境となる。山水蒙の形は九二から上九までが山雷頤の一陰不足の形が現れ、中に坤の形を包み込む。九二の蒙昧な弟子は、上九と「繋」がる対象ではなく「撃」つ対象となる。天地否六二と六三の「包」は九五の「苞」桑に繋がる。「承」は承け継ぐ意味で九五の「繋」の義に応じる。「羞」は祭肉を薦めることで恥じる意味となる。包み物を羞めるのであるから非常に丁寧な納め方となる。天地否の六三は上位に恭順し貢ぐ位置にあるから「羞」の文字を用いる。さらに天地否の裏卦は地天泰であり、「泰」は溺れる人を救い上げる意味であるから、六三は恥を忍んで救いを求める位置とも受け取れる。「包」は何か貴重なものを包み込んでいる状態である。これが”物”でなく”心”の状態となる。「包」を用いる理由としてもう一つ仮説を掲げたい。それは地天泰初九、天地否初六の爻辞にヒントがある。 

 

地天泰【初九】拔茅茹 以其彙 征吉

天地否【初六】拔茅茹 以其彙 貞吉亨 

 

茅は籠を編む際にも用いられ、爻辞に用いられる文字であることから非常に貴重なもの、神聖なるものとして用いられたのだろう。その茅を使って籠を編むときの形が地天泰、天地否に現れる。上下に陰陽が完全に分かれる形が交互に編んでいく形に見える。また日本ではちまきを茅で包んだとの説もある。おそらくこれら爻辞の繋がりから、「茅」を「包」みものとして用いたのではないかと考える。故に地天泰、天地否において「茅」と「包」の文字が用いられる。さらに天地否は雷風恆の九三にも繋がりを持つ。 

 

雷風恆【九三】不恆其德 或 貞吝 

 

この爻辞は裏卦の風雷益六三の状況を表している。天地否の六二「承」と六三「羞」が雷風恆の爻辞に応じる。「包」は貢ぐことに繋がる文字であるが、その立ち位置によって受け取られ方が変わる。立場によっては「其德」を「恆」にせずとなる。

 

天風姤は山水蒙とも親近性があり、爻辞も同じ文言が用いられる箇所がいくつかある。天風姤の裏卦は地雷復であるが、その六五が変爻すると水雷屯となりその賓卦が山水蒙となる。山水蒙の九二「包蒙」は地雷復の六五変爻に当たり、これが天風姤九五の「包瓜」に繋がる。

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)