火風鼎

                            

  

   

【彖辞】鼎 元吉亨

 

鼎に誓約を刻銘する。命を全うして無事帰還し、廟に報告せよ。

契刻した誓約を実現せよ。祖霊を祭り烹飪せよ。

 

「鼎」は亨飪の器。冊命に用いる義から、同族として支配下に置く、または功績を表すもの。鼎に刻まれた文様に辟邪の呪力があったとされる。宝器。神器。 「元吉」は五爻が元首であることを明確化させる時に用いる。火風鼎は六五が陰で九二が陽爻となる。従って九二が六五の権威を凌ぎ、元首が不明確になる。この時、「元吉」を用いる当該の爻または五爻が変爻することで、五爻が元首である形が明確化する。火風鼎においては爻辞に「元吉」を設けておらず、彖辞に記す。その理由として、九二および六五の何れが変爻しても、五爻の安定が得られないことが掲げられる。一方視点を裏卦の水雷屯に向けると、「元吉」を当てはめるべき爻が明確化する。水雷屯は初九と九五の権威が不明確化する。この場合初九が変爻すると水地比となり、九五が元首であることが明確化し、尚九五に「吉」がもたらされる。仮に水雷屯の九五が変爻すると地雷復となり、その初九に「不遠復 无祗悔 元吉」とあり、「元吉」が現れる。すなわち初九が六五の権威を凌ぎ、元首を不明確化させていることが分かる。火風鼎は爻変によって五爻の元首としての地位を明確化できないために、彖辞に「元吉」を記したものと推察する。六五の「黄耳金鉉」は五爻が元首であることを示す。

 

「鼎」は同族として支配下に置き、功績を表す義を持つが、初六に「鼎顚趾」さらに九三に「鼎耳革」とあることから、あるいは君主の地位、国家の権威が顛覆する可能性を説き、これを警戒する卦でもある。

 

 

 

 

【初六】鼎顚趾 利出否 得妾以其子 无咎

 

①鼎が足を逆さまにする。塞いだものを出すによろし。妾を得てその子に

 及ぶ。咎めなし。

②鼎に誓約を刻銘する。趾を顛覆させる。諾否を出すがよい。

 妻(妾)を得てその子(後継者)に及ぶ。神罰なからん。

 

 

「鼎」は亨飪の器。宝器であり神器であり国家権力の証となる。鼎は三本の足で立つ。「否」は不+口。祝詞を収める器の形で、その上を覆うことによって拒否を示す。「顚」は倒れる。逆さまの義である。ではなぜ鼎の足が逆さまになるのか。その謎を解く鍵が九四の爻辞にある。 

 

初六の「趾」と九四の「足」が応じる。初六と九四は易では応の関係となる。従って初六の動向で気が変化しやすい。火風鼎の裏卦は水雷屯で、初九は九五の君主と張り合い実力が拮抗すると立場が逆転する可能性がある。これを足が逆さまになると警戒する。「顚」の文字は山雷頤でも用いられる。山雷頤の「顚」は初九の震に対する上九の艮の形であると推論した。つまり初九を逆さまにした形は艮となり上九となる。この一番遠い上九を「顚」とし、これに養われることを「顚頤」と考えた。この山雷頤の形が同様に火風鼎の裏卦水雷屯に現れる。初九から九五の形が一陰不足の山雷頤の形となる。実力が張り合えばどちらが主導権を握るかの争いとなる。水雷屯では六三の辺境が利権の対象となり、初九と九五が六三を巡って対峙する。これが君主の権威を「覆」す動きとなる。 もう一つの解釈は裏卦水雷屯の六四変爻である。初九は六四に応じやすくこのため六四は心変わりしやすい。六四が変爻すると澤雷隨となりその裏卦は山風蠱となる。既に述べたがこの二つの卦は賓卦と裏卦の同一形となる。つまり表の形を逆さまにした形(賓卦)と陰陽逆転させた裏の形(裏卦)が同じになる。下位の初九が裏側で上九の立場になるということである。これが「鼎顚趾」「覆公餗」の形とみることもできる。 

  

次に初六の「利出否」について考察する。この表現も難解。「否」は天地否の否定であるが、形を比較すると全く繋がりが見えない。「否」は神意を塞ぐ意味で上から入るのを塞ぐ形である。否塞という言葉があるが「塞」も「否」に通じる文字である。九三の「塞」が初六の「否」に応じる。この「塞」の意味が火風鼎を見抜く鍵となる。つまり「塞」の形は裏卦水雷屯の形に現れる。水雷屯では九五と初九が六三の地を争う形が出てくる。「塞」は呪具を重ねて塡塞、邪霊を封じ込める意味の文字である。辺境の要地に塞を設けてその土地の神を祀り、異族の神や邪霊の通行を塞ぐのである。六三は国境でもあり駐「屯」地と見なすこともできる。この「屯」の義が水雷屯に現れる。すなわち水雷屯は軍隊を駐屯させる卦でもある。このことが水雷屯初九の「利建侯」に現れる。「利出否」の「否」を塞ぐと解釈すると、六三の辺境に出陣して邪霊が入るのを防ぎ、塞げという意味になる。

 

もう一つは「否」を諾否として捉える解釈である。「否」は神意を拒否することであるから、九五の王命を拒むことを意味する。水雷屯は初九と九五の実力が拮抗する。このため初九が九五の命を拒否することもあり得る。この経緯は賓卦の山水蒙からも読み取れる。山水蒙の彖辞に「再三瀆 瀆則不告」とある。すなわち再三は神意に対する冒涜となり、冒涜すればお告げは得られないとある。この辞は山水蒙の上九が九二の童蒙に対して行う訓示と受け止める。この関係を水雷屯に置き換えると、九五の再三の要請に対して初九が「不告」することになる。つまり九五の出陣要請に対して初九が拒否することになる。但し、水雷屯は本来九五が命ずる立場であるから、九五が初九の出陣を拒否すると解釈することもできる。いずれの解釈においても、「利出否」は出行、出陣を否定する動きがあることを意味する。

 

次に「得妾以其子」の「妾」と「子」である。これに当たる爻あるいは形が何かを解明していく。「妾」は「辛」と「女」から構成される文字である。「辛」は入墨に用いる針で罪のある人に加えた。女性には「妾」男性には「童」を用い、神、神殿、宮廟に仕える立場のものとする。この「妾」という表現は水雷屯の賓卦山水蒙からもたらされる。水雷屯の九五は山水蒙の九二に当たり、九二は「童」の主体となる。この「童」が卦を逆転させることにより「妾」に置き換えられたと考えることもできる。但しこの場合、九五が「妾」となるのではなく、九五が六三を従わせることを「妾」を「得」る形とし、この経緯をもって六三から初九に繋がることを「以子」(子におよぶ)と表現したのではないか。 

 

 

 

 

【九二】鼎有實 我仇有疾 不我能卽 吉

 

①鼎に貢物を充たして献ずる。我が仇に心の傷あり。我は宗廟に招かれない。

 神意に適う。

②鼎の中身が充実する。我が仇に病あり。我は位につくことができない。

 契刻した誓約の実現を求める。

 

「實」は貝を宗廟に献ずること。「貫」は貝貨を貫き連ねた形。金文に鼎に従う字があることから鼎の中身を満たして供える充実、誠実の意味となる。裏卦水雷屯の六三が変爻すると水火旣濟となり、その九五に「東鄰殺牛 不如西鄰之禴祭 實受其福」とある。ここで「實」が用いられる。水火旣濟、火水未濟は陰爻陽爻が下から上に規則正しく並ぶので、この形を貝貨を貫き連ねた形とみることもできる。「我」は現在ではわれの意味であるが、当時の「我」には王位継承者としての氏族名の意味がある。

 

「我仇」(わがあだ・わがかたき)とは何を表しているのだろう。「仇」は宄(キ)に通じる文字で宄は蠱術を行うことを表すから、「仇」も蠱術に関与する文字となる。蠱を表す卦は山風蠱であるが、火風鼎は九四が変爻すると山風蠱となる。以前も記述したが、山風蠱は賓卦と裏卦が同一形となる。この形が表と裏の運気を交錯させ、迷わせる形となることを説いた。因みに火風鼎は九三が変化しても賓卦と裏卦の同一形となる。さらに「仇」(キュウ)は「求」(キュウ)にも通じる。「求」には呪霊によって祟りを祓う意味がある。

 

水雷屯【六四】乘馬班如 婚媾往 吉无不利

 

裏卦水雷屯の六四に「求」が出てくる。やはり火風鼎は裏卦の動きを敏感に捉えている。このように考察していくと、「仇」(かたき)は裏卦の動きにあるとみてよい。初九は応の六四に応じながら六三の境界(辺境)を奪わんとし、さらに九五の君主と張り合う関係となる。六二は応の九五に謁見し結び付く関係であるが、下位に初九の動きがあり思い通りに応じられない。しかも九五との間には坤の空間があり、その中心に六三の境界、国境が現れる。坤の空間には邪霊が入る隙があり、これを祓う動きが「求」に出てくる。

 

六二は九五に容易に近づけない。これを「匪寇婚媾 女子貞不字 十年乃字」(寇するにあらず婚媾せんとす。女子は貞にして字せず。十年にして乃ち字す)と表現する。このように見ていくと「仇」は水雷屯の初九の動きによるところが大きい。以上の考察から「我仇」は九五が初九から受ける「仇」とし、「疾」は初九の「仇」による九五の「疾」(心の傷)と捉える。

 

また「我仇有疾」は水雷屯を逆転させた山水蒙から捉えることもできる。水雷屯の九五は山水蒙の九二の立場となり、初九は上九の立場となる。山水蒙の上九に「撃蒙 不利爲寇 利禦寇」とあり、上九が九二に対し「寇」を為すのではなく、寇」を防げと説く。この寇」は「仇」に通じるから、「仇」は水雷屯の九五(賓卦の九二)からもたらされるものと捉えることもできる。但し九五は主君の立場であるから、配下に「仇」を為すことは常道に反する。従ってこれを「疾」となし「我仇有疾」と表現したものと推察する。

 

上記の経緯から「不我能卽」の「我」は九五と見なす。但し「我」は後継者としての背景を持つ文字でもあるから、裏卦六二の立場を同時に表す文字と捉えることもできる。「卽」は六二が九五の後継者であることを示し、同時に六二が九五の主君より食禄を得ることを表す。ここに「不」があるから、後継者としての地位も食禄も得られない立場となる。六二が正応としての地位を得られない背景には、初九が九五を凌ぐ力を持つこと、また六三が初九と九五の間に介在することが掲げられる。但しこの形が「吉」となる。「吉」とは九五が元首としての地位を安定的に確保することを意味するから、六二は敢えて自ら九五の後継者として名乗り出ず、また食禄も敢えて自ら求めない。この立場が「吉」となる。この背景が水雷屯六二の爻辞によく現れている。

 

 

 

 

【九三】鼎耳革 其行塞 雉膏不食 方雨虧悔 終吉

 

①鼎の耳を取り替える。行けば塞がる。雉の膏(あぶら)を食うことは

 出来ない。まさに雨降らんとして悔いを欠く。終われば吉である。

②鼎で誓約を刻銘する。耳を取り替え、蠱霊を祓え。それ、行きて邪霊の

 通行を禁じよ。雉肉のあぶらに会食を止められる。異方に雨降らんとして

 悔いを欠く。終結させ、契刻した誓約を実現せよ。

 

「耳」は人体の耳であるが、器を作った人名としても用いられる。「塞」は建物などの入口を呪具の工を重ねて塡塞(てんさく)し、邪霊をそこに封じ込めること。道路や辺境の要地に設けて土神を祀り、異族神や邪霊の通行を禁ずる呪禁。初六の「否」と繋がる。この爻辞も裏卦水雷屯の六三の象意が現れる。六三を辺境の地とし、呪鎮する。「膏」(コウ)は胸郭より上の骨組の形。あぶら。「方」は外方。辺境の意。文字は架屍の形象(十字)。境界の呪鎮とする首祭を示す。「方」は六三の位置を表す。「虧」(キ)は大きな把手のある曲刀で刻み欠失すること。毀損。「鼎耳革」とあるが、この「耳」は坎の象意であり、従って裏卦の九五であろう。故に九五の爻辞に「耳」が用いられる。六三は九五の命を受ける側に立つ。耳が革(あらた)まるとは、あるいは耳に当たる主君が変わることを示唆するものであろう。この卦の賓卦は澤火革であり、その九四に「悔亡 有孚改命 吉」とある。九三は澤火革の九四に当たり「改命」の気運を持つ。この経緯が初六の「鼎顚趾」に現れる。「雉膏不食」は水雷屯の六三が九五の「食」(食禄)を得られないことをいう表現、また「方雨虧悔」は九五の「雨」(恩沢)を望む表現である。水雷屯の九五に「屯其膏 小貞吉 大貞凶」とあり「膏」が現れる。「終吉」は裏卦の六三が九五と初九を繋ぐことを表すものであろう。

 

 

 

 

【九四】鼎折足 覆公餗 其形渥 凶

 

①鼎の足を折る。宮廟の延前にて鼎の中身を覆す。その形に巻き込まれる

 凶である。

②鼎の足を折る。天子の礼物の真意を繰り返し確かめる。

 その形は安置所である。災厄を祓え。

 

「折」は蒭(すう・まぐさ)の初文。草木を折る。「誓」に通じ、誓約に関する行為と見られる。「覆」は上からおおうこと。くつがえる。顚覆の義。初六の「顚」に応じる。「餗」は鼎の中身。「束矢」(そくし)「束帯」など、「束」は神に捧げる礼物。「形」は「幵」(井)+「彡」。「幵」は鋳型の外枠を締めた形。完成された型。「渥」は中に巻き込む義。水に浸す。濡れて潤う。閉ざす。光沢を生ずる。恩沢が及ぶなどの意味がある。「屋」は死体の安置所の板屋。

 

「足」が初六の「趾」に応じ、「覆」が初六の「顚」に応じる。この繋がりも裏卦の形を表す。水雷屯の初九と六四は応で繋がりがあるが、初九は同時に六三と結束しやすい。六四が変爻すると澤雷隨、その裏卦は山風蠱となり、裏卦と賓卦の同一形を招く。この形は内と外、自分と相手の立場の錯綜が起き、これが顛覆を招く要因となる。この経緯を「其形」と表現したのであろう。「形」には完成形の意味がある。ここでの「渥」の意味は掴みにくい。但しその後に「凶」と続くから、少なくとも凶意をもたらす意味となる。「屋」の「至」はその地を卜するために矢を放つことであり、九三の「塞」の義に通じる。このことから「渥」は裏卦の六三の辺境を警戒し、六三の変爻を示唆する文字とも考えられる。水雷屯の六三が変爻すると水火旣濟となり、その裏卦は火水未濟となる。この卦も裏卦と賓卦が同一形となる。この形はすべての爻の陰陽が交互に入れ替わり、上下卦の陰陽も一致する易の完成形となる。「渥」には中に巻き込む意味があるが、火風鼎の九三が変爻すると、九四は中に巻き込まれる形になり、下卦坎の水に浸す形になる。九四は賓卦澤火革の九三に当たり、ここにも「凶」の文字が現れる。

 

賓卦澤火革【九三】征凶 貞厲 革言三就 有孚

 

  

 

 

【六五】鼎黄耳金鉉 利貞

 

①鼎の中央の耳、金鉉である。身を慎めばよろしい。

②鼎の中央の耳に金眩を付ける。利権獲得に際し、

 その者の出入を厳密にして貞卜し、修祓せよ。

 

「黄」は中央の色で中位を表す。九三の「耳」に応じ、九三の爻辞に「耳革」とあるから、六五は地位を奪われかねない立場となる。この辞は君主が変わっても改めて辺境の国が帰順の意を表明する場面とも受け取れる。「金」は陽を表すから、「黄耳金鉉」とは裏卦九五の権威を保つ事であろう。

 

裏卦水雷屯【九五】屯其膏 小貞吉 大貞凶

 

この爻辞から火風鼎の六五は陰で「小貞吉」となり、裏の水雷屯九五は初九と六三の辺境の動き、さらに六四の変爻による顛覆があり得るから「大貞凶」となる。「膏」は配下への褒章とも考えられるから、その配分を誤ることが「凶」を招く。

 

九三変爻による火水未濟【六五】貞吉无悔 君子之光 有孚吉

火水未濟の裏卦水火旣濟【九五】東鄰殺牛 不如西鄰之禴祭 實受其福

 

ここでも「貞吉」とあり、君子としての威厳を保ち、徳を発揮すべき状況を示し、「東鄰殺牛 不如西鄰之禴祭」とあるから、質素な祭祀を行い国家の浪費を慎むべきことを説く。

 

 

 

 

【上九】鼎玉鉉 大吉无不利

 

 鼎の玉鉉。大いに吉であり、差しさわりはない。

 

上九は陰の六五を補う地位となり、六五の「鉉」を引き継ぐ。六五の圧力と憂いが消えた位置であるから、王位を表す「玉」が用いられ「大吉」となる。一方、裏卦水雷屯の上六及び六三変爻による水火旣濟、火水未濟の上爻は不穏な辞となる。

 

裏卦水雷屯【上六】乘馬班如 泣血漣如

水火旣濟 【上六】濡其首 厲

火水未濟 【上九】有孚于飲酒 无咎 濡其首 有孚失是

 

火風鼎は全体としても明確なテーマが見えにくい。但し日常の出来事に置き換えてみると、鼎が意味するものは実に多種多様である。必ずしも器としての鼎だけでなく、鼎に似ているものも対象に含めて考えると、意外に身近なものや出来事を映し出していることがある。鼎は三本足であることから三人による会談を鼎談と名付ける。鼎談は見識ある三人が物事の本質を見極め、世の中の常識を「覆」すという意味もあろう。

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)