風天小畜

                              

 

 

【彖辞】小畜 亨 密雲不雨 自我西郊

 

①少しとどまる。希望は通る。雲が集まっても雨は未だ降らない。我自ら西の

 郊外へ赴く。

②少しとどまる。烹飪する。祖霊の安寧を求める儀式を行い、

 大いに祈雨祈年する。我自ら西方の祀所にて祭祀を行う。

 

彖辞は文王の作とされる。故にこの「我」は文王自身と解することができる。文王が羑里に囚われ易を書いていた時のことを述べているのだろう。「西郊」の「郊」は郊廟。都の城外に祀所が設けられ、邪気を祓う儀礼が行われたという。「密雲不雨」は雲が密集し曇っているものの未だ雨が降らないことをいう。雨は恩沢を意味し未だ恩沢を施す時期に至っていないことを示している。この用語は雷山小過でも用いられる。

 

雷山小過【六五】密雲不雨 自我西郊 公弋取彼在穴

祖霊の安寧を求める儀式を行い大いに祈雨祈年する。我自ら西方の祀所にて

祭祀を行う。天子は狩りを行い穴に陥った人を取り戻そうとする。

 

風天小畜の九三が変爻すると風澤中孚となる。風天小畜の形は初九を除けば、風澤中孚同様陰爻を二陽が挟む形となる。従って上卦に巽の形があり、陰爻を二陽が挟む形「密雲」とみている。この卦を気学で解釈すると、下卦の乾は高気圧と熱気の象意。上卦の巽は風であり、低気圧の象意。巽は下のものを上に吸い上げる形でもある。巽の風が乾の熱気で蒸発した水気を吸い上げ空に雲が生じる。この形が自然現象から見る風天小畜である。

 

 

 

 

【初九】復自道 何其咎 吉

 

①道理にそって帰る。何の咎めがあろうか。吉である。

②自らの道に復れ。それ、神罰が下ると一喝する。契刻した誓約を実現せよ。

 

「復」は往来反復。招魂の儀式。「復(かえ)れ」と魂を呼び寄せる。「道」は異族の首を携えて除道を行うこと。「何」は戈を荷って呵(わらう・しかる)する形。「復」は地雷復に由来する。この卦は初九、九二ともに「復」の文字を用いる。なぜ風天小畜は地雷復に繋がるのか。その理由は裏卦に求められる。裏卦の雷地豫は上下卦を入れ替えると地雷復になる。ここから「復」の主体は地雷復の初九であり、雷地豫の九四となる。風天小畜においては六四が往来する魂と見る。易は裏を見よと教える。

 

 

 

 

【九二】牽復 吉

 

牛に綱をつけて帰る。吉である。

 

九二が九五を「牽」引する形である。風澤中孚の九二に「鳴鶴在陰 其子和之 我有好爵 吾與爾靡之」とある。「和之」、これに和す相手は九五とみる。以上のように風天小畜は風澤中孚及びその裏卦の雷山小過に非常に親近性がある。

 

 

 

 

【九三】輿説輻 夫妻反目

 

①手車を担ぎ、車軸が外れる。夫婦は仲たがいして反目する。

②輿を担ぎ、輻から脱輪する。夫妻は反目する。

 

「輿」は四隅に手をかけて手車を担ぐ形。車の輿。「説」は神に祈り神意を承けること。「脱」に通じ脱去の意がある。「輻」はくるまや。周礼に「輪の幅三十、以て日月に象る」とあり、放射線状の輻によって車輪を支える。車軸と外輪を繋ぐ木。風天小畜の九三は易の爻辞がどのようにして作られているかを理解するうえで非常に参考になる。さらにこの爻辞に用いられる文字が卦の形とその変化推移を明確に表していることにも気付かされる。「輿」の形は裏卦に現れる。風天小畜の九三が変爻すると風澤中孚となり、その裏卦は雷山小過となる。この形がまず手車を担ぐ形となり車の輿となる。雷山小過の形は同時に「輻」の形にも見えるが、風天小畜の裏卦雷地豫は六三が陰で欠けているから、脱輪の形となる。「夫妻反目」の「夫妻」を雷山小過の九三、九四とみなすと、互いが背中合わせで逆方向を向く形となる。さらにこの形は両扉が互い違いに動く形にもみえる。これが「夫妻」のすれ違いを表し「反目」の形となる。従って風天小畜の九三は変爻した後の形を一文字一文字に置き換え、その象意を爻辞として表現している。

 

 

 

 

【六四】有孚 血去惕出 无咎

 

①誠意ある。血縁を断ち、畏れながらも出発する。咎めはない。

②孚ある。その血縁を棄て、畏れながらも出発する。神罰なからん。

 

「去」は獄訴に敗れた人を盟誓の器とともに廃棄すること。下卦乾の三陽から逃れることを血族を去る形とする。また「血」は誓約時の牲血の義もあるから、三陽の羊から出た牲血と見ることもできる。「血去惕出」は六四が犠牲となる身から逃れることを同時に示す。この卦の賓卦は天澤履であり、天澤履の六三に「眇能視 跛能履 履虎尾咥人 凶 武人爲于大君」とある。「惕」は乾の三陽に接する境界にあるからであろう。

 

 

 

 

【九五】有孚攣如 富以其鄰

 

真心がある。緩やかに気持ちが傾く。その隣邦をもって富む。

 

 

「攣」の「䜌」は自己詛盟の祝祷サイを両糸で飾りを付ける形。緩く曲がるものに手をかける。こだわる。慕う意味となる。「富」は腹の大きい酒樽。神に多く供え福を求める義。下卦の乾を「富」と見る。「鄰」は神の昇降する梯子の前に犠牲を用いて呪禁する形象。聖所、祀所を意味する。「鄰」の文字は同じく水火旣濟の九五、地天泰の六四、地山謙の六五で用いられる。

 

水火旣濟【九五】東殺牛 不如西之禴祭 實受其福

地天泰 【六四】翩翩不富 以其 不戒以孚

地山謙 【六五】不富以其 利用侵伐 无不利 

 

以上の爻辞と卦の形を総合すると、「鄰」は九三の隣邦のことを示している。但し風天小畜の九五は「富以其鄰」(隣邦をもって富む)であり、他の二つの卦は「不富以其鄰」(隣邦をもって富まず)となる。風天小畜の九五は陽爻で実力があるが、地天泰の六四及び地山謙の六五は陰爻で、九三を従える力に乏しい。上卦の巽は風で下のものを吸い上げる力があると先に述べた。この原理をもって九五は下卦三陽の富を引き上げる。

 

 

 

 

【上九】旣雨旣處 尚德載 婦貞厲 月幾望 君子征凶

 

①既に雨降り既に安所する。徳を積むことを尊ぶ。婦人は身を慎んでも

 危険である。月が満月になろうとしている。君子が行けば災いある。

②極まって雨乞いし極まって居座る。敵地の省察を行うことを常とせよ。

 婦は出入を厳密にし、悪霊を修祓する。月は望を幾す。君子は征服すれば

 災いある。

 

「旣」は食に飽きて後ろに向かって口を開く形。「幾」は元来戈に呪飾をつけて譏察すること。「載」は呪飾をつけて祓う形。車を祓う。軍行を発する。事を始める義。卜辞に「王事を載(おこな)わんか」とある。

 

六三変爻の風澤中孚【六四】月幾望 馬匹亡 无咎

 

書経に「旣望」という言葉があり、陰暦一六日。十五日の満月を過ぎた日。またそれより約一週の日のことを言う。書経に「惟れ二月旣望 越(ここ)に六日乙未 王朝に周より歩して則ち豐に至る」とある。「月幾望」は満月に近いと訳すが、「望」の本来の意味は人が挺立して遠くを望み、目の呪力によって敵を圧服することである。敵方の雲気を望み吉凶を占うのである。「望」は月の形として解釈することもできるが、易の爻辞は文字の元来の意味を含めて解釈するべきである。すなわち「幾」と「望」が同じ意味を持つ文字であることを見逃してはならない。風澤中孚は祈祷を表す兌の形が向き合う形であり、裏卦の雷山小過は艮が向き合う形でもある。この形を互いの陣が向き合う形と見ることもできる。風天小畜は九三が変爻すると風澤中孚となり、「望」の形すなわち互いの陣が向き合う形となる。

 

上九は密雲が極まり既に雨が降った状況となる。裏卦の九四を「君子」と見なすと婦」は表の六四となる。「婦」は上卦に至り巽の従う気を持つから「貞厲」となるが、裏卦の九四は上昇の気をあらわにするから「征凶」となる。風澤中孚の上九に「翰音登于天 貞凶」とある。

 

 

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)