天水訟 

                               ䷅

 

 

【彖辞】訟 有孚窒 惕中吉 終凶 利見大人 不利渉大川

 

①訴える。誠意はあっても塞がる。畏れ慎み中庸にかなえば吉。終わりまで

 とことんやると凶である。見識のある人に従うのがよい。大きなことは

 塞がって通らない。

祖廟の前で是非を争う。孚ありて邪霊を塞ぐ。中廷を畏れながら、

 契刻した誓約の実現を求める。事を終結させ、災厄を祓え。

 大人に謁見するがよい。大川を渉るによろしからず。

 

「訟」は祖廟の前で是非を争う義。概ね離婚、離縁、訴訟の場面を表す。ところが天水訟の爻辞は意外にも「吉」が多い。その理由は「吉」の元々の意味を正確に捉えると分かる。「吉」を単によい、めでたいと捉えると、易経の神髄は読み取れない。「吉」は祝禱した気をサイに入れて聖器の鉞で塞いで保つことと字通に記される。さらに白川静氏は「吉」という字に、神に誓約したことの実現を求める意味があったと解している。氏の解釈は易経の爻辞を見ることにより随所で確認することができる。  

 

天水訟の「吉」も誓約したことの実現を求める意味がある。但しこれは人が人に実現を責め求めるのではなく、神との誓約の実現を求めるのである。このことは神への祈りとその神意を封印した器を権威の象徴である鉞で塞ぐ行為から推察できる。繰り替えしになるが、「吉」というのは人と神との関係性において成り立つ文字である。自分の思いや願いが単に適うという意味ではない。神との約束を守り神意を保つことが本来の目的である。「吉」は神聖かつ厳粛な儀式的用語である。

 

                       

 

 

【初六】不永所事 小有言 終吉

 

①訴え事を長引かせない。少し口論することがある。終わりは吉である。

②廟所の王事に合流せず。小人は所有権を求めて詛盟する。

 この件を終結させれば、神意にかなう。

 

「所」は廟所。廟中の神に告げ祈ることを意味する。「所」と九二の「戸」が応じる。「所」は諸事情を告げる神聖な場所とみる。現在では裁判所がこれに当たるだろう。「事」は木の枝に祝詞の器サイをつけて捧げる形。外祀を王事という。訴訟を訴えかける中心は九二。九二の下位にあり、訴訟には至らず小言を言う程度に収める。この範囲であれば吉である。

 

 

 

 

【九二】不克訟 歸而逋 其邑人三百戸 无眚

 

①訴訟に勝てない。帰還して逃れる。その村人三百人は禍なし。

耐えて告訴せず。帰還して、汝、繋縛から逃れよ。その異方三百人は禍を

 逃れる。

 

「克」は木を彫り刻む刻鑿の器。戦いに勝つ。かちとる。克己の義。「克」は坎の象意。「歸」は軍が帰還して肉を寝廟に収めて報告祭を行うこと。異姓の女が新たに寝廟に仕えることについて祖霊に承認を求める儀式。この文字は帰還の義のほか、新たに嫁ぐ寝廟の祖霊に承認を求める儀式の義がある。この場合は帰還の義とする。「逋」は苗木を繋ぎ縛った状態。繋縛から脱する義。九二からの繋縛を脱する。「邑」は都の外郭。金文に「尸允三百人」とある。三百は上卦の三陽の象と考える。九二が訴える。九二は上卦の乾の勢いと堅固な守りに勝てない。坎は軍の象意でもある。

 

 

 

 

【六三】食舊德 貞厲終吉 或從王事 无成 

 

①祖先の徳にあやかり食する。身を慎み危ういが終われば吉である。

 一時的に王の祭りごとに従うが、成就しない。

会同する。報復のために集まる者を捕え、その邪徳を正さんとする。

 出入を厳密にして身を清めよ。悪霊を押しとどめ、事を終結させ、

 契刻した誓約を実現させる。一時的に王事に従う。成就の機を失う。

 

「舊」は鳥がその器に足を取られ脱することが出来ない形。「舊」には凶事の俗信がある。両足を括り網を張り報復のために集まる鳥を捕る。両足を括り網を張る形は裏卦よりもたらされる。金文に「舊友」の文字があり久しいの義として用いられる。「德」は元来目に呪飾を加えて省道巡察する義。舊(旧)德に食(は)むと読むが、当時の文字の義から六三の状況が凶事であることが分かる。捕獲しようと待ち受け、巡察する様子が伺える。但し六三は上卦の乾の力に圧倒され引き下がる。このことが吉となる。「或」は国境で矛を持って守る形。辺境の防備を司る。六三の位置を辺境とする。「王事」とは王の使いが外祭を行うこと。坤爲地の六三に「含章可貞 或從王事 无成有終」とあり、六三を辺境と見る。「食舊德」の「食」が賓卦水天需九五の「食」に応じるから「食」を求めるものを九二と見る。但し九二は「舊德」すなわち凶事(訴訟)に関わる立場であるから、六三はその凶事の境界に立つことになる。また裏卦の象意から捉えると、九三は六五の君主を凌ぐ位置にあり、六五より「食」禄を求める。但し、裏卦地火明夷は鳥の両足を括り網を張る形であるから、九三の立場も舊德」であり凶事となる。

 

 

 

 

【九四】不克訟 復卽命 渝安貞吉

 

①訴訟に勝てない。引き返し跪いて主君の命を受ける。状況が変わり安寧を

 求める。出入を厳密にし身を清める。神意に適う。

耐えて告訴せず。引き返し跪いて主君の命を受ける。状況が変わり安寧を

 求める。出入を厳密にして身を清める。神意に適う。

 

「復」は往来反復。屋上に上って北に向かい復れと呼ぶ伝えがある。「卽」は食膳の前に人が坐する形。「命」は跪いて神の啓示を受ける形。「渝」はものを移す義。状態の変化を表す。「安」は祖霊に対する受霊の儀式。安寧の儀礼。「不克」は上卦乾の堅固な守りに歯が立たないこと。九四は上卦に至り、九二の訴えを堅固に跳ね返す側に立つ。この爻辞に用いられる文字はすべて九二のことを表す。九二と九四に不克訟」という同様の表現を用いることで、二つの卦の繋がりを示す。初六変爻による天澤履の九四に「履虎尾 愬愬終吉」とある。虎の尾を踏むがごとく、恐る恐る引き下がれば吉。

 

 

 

 

【九五】訟 元吉

 

訴えを裁く。無事帰還して命を全うし元首に報告せよ。神意に適う。  

 

「休否」の「休」は大いに、よくの義。よく封じ込める、拒絶する。「歸妹」は帰還の義。諦めて帰還する。この卦は訴訟の卦であり、その理想の形が九五の裁きである。九五が具体的にどのように裁いたかは爻辞に示されない。但しその様子は賓卦水天需九二の爻辞を見れば凡そ察しが付く。またその真意は爻変の爻辞を見ればよく分かる。九五変爻による火水未濟の六五は「貞吉」であれば「悔」なしとする。「貞」は卜問し神意にかなうこと。「貞」には元来貞卜により出入りを厳密にし修祓を受ける義がある。訴訟は裁く側も訴える側も「貞吉」であれば「无悔」となる。

 

尚、天水訟は九五と九二がその力を張り合い、賓卦においては九五が元首である形が明確であるため、表の九五が元首であることを明確化させる必要がある。このため九五に「元吉」を用いる。またその際、九五が変爻しても五爻の「吉」が維持され、賓卦水天需の九二にも吉が付く。さらに天水訟の九二が変爻した場合も五爻は吉を維持する。

 

九五変爻の火水未濟【六五】貞无悔 君子之光 有孚  

天水訟の賓卦水天需【九二】需于沙 小有言 終         

九二変爻の天地否 【九五】休否 大人 其亡其亡 繋于苞桑

天地否の裏卦地天泰【六五】帝乙歸妹 以祉元吉

     

  

  

 

 

【上九】或錫之鞶帯 終朝三褫之

 

①一時礼装用の大帯(前掛け)を賜る。終には天子に謁見する儀式で

 三人剥ぎとられる。

②辺境の地で礼装用の大帯(前掛け)を賜る。終には朝日の礼にて三度

 剥ぎとられる。

 

「或」が六三の「或」に応じる。上九と六三は応じあうから、易の第三爻が「或」の主体であることが分かる。「錫」は贈与の義。「鞶」は大帯。男は鞶革を、女は鞶糸を用いた。また馬の大帯として用いられた。「帯」の「巾」は礼装用の前掛け。「般」には丸くめぐる意味があり、「班」に通じ分かつ義がある。この義に準ずると、裏卦の六五変爻による水火旣濟への移行が考えられる。「班」は水雷屯で用いられており、六三変爻による水火旣濟への移行を示唆する。また水雷屯初九の「磐」が鞶」に通じることから、二つの卦が変爻により共通の形になることが示される。「或」は三爻を表す文字であるから、「鞶帯」を賜るものは裏卦の九三と考えられる。但し九三は六五の地位を奪う勢いがあるから、主君の警戒によって鞶帯」を与えられても「三」度剥奪される。鞶帯」を繋がりの義として解すると、この形は水火旣濟あるいは火水未濟の形と捉えることができる。そして裏卦の九三が五爻の地位を凌ぐと、元の地火明夷の鞶帯」なしの形に戻る。この形の変化推移を鞶帯」を与えられても「三」度剥奪されると表現したのではないか。この爻辞は裏卦九三の状況を応である上六の立場から捉えている。朝」には殷の重要な儀式としての朝日の礼の義がある。天子に謁見する儀式。礼記に「天子事無くして、諸侯と相見るを朝と曰ふ」とある。「三褫之」は九二の「三百戸」に繋がり、「三百」は上卦三陽を意味するから上九の「三」も同様に上卦の三陽と見る。坎には穴、落下の象意があるから、上卦三陽が坎の穴に落ちる形を奪われる形と見ることもできる。また水火旣濟の陰陽重なる三連の形を「三」と見なすこともできる。「三」は正確な数の三と度々の義が並列するが、ここでは三度及び三人と解釈した。「褫」は虎革を剥ぎとること。人の衣を剥奪する。官職身分を剥奪する。

 

裏卦地火明夷の賓卦である火地晉の彖辞に「鍚」「三」の文字が現れる。上九の爻辞が裏卦の形に繋がることをここでも確認できる。

 

火地晉【彖辞】晉 康侯用馬蕃庶 晝日

 

尚、六三が変爻した天風姤の裏卦地雷復の上六を参照すると、天水訟の顛末を別の側面から見ることができる。

 

地雷復【上六】 

迷復 凶 有災眚 用行師 終有大敗 以其國君 凶 至于十年不克征

 

迷い往復する。凶。災いがある。軍を派遣すれば終には大敗する。その危害は国王に及ぶ。凶。十年に至っても勝つことはできない。

 

 

                   ♦                        

 

 

私は離婚や相続問題の鑑定をする時、常にこの爻辞を頭に思い浮かべる。訴訟は出来るだけ長引かせてはならない。両者にとって精神的にも金銭的にも労苦が伴うだけである。できれば話し合いで円満に解決することが望ましい。それでも解決しないときには訴訟はやむを得ない。天水訟の爻辞は五爻(九五)以外は概ね取り下げるべきこと、出入りを慎むべきことを説く易の五爻は裁く側に立つ主君の位置となる。これがこの卦の教えである。 

 

 

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)