澤地萃

                          ䷬ 

  

   

【彖辞】

萃 亨 王假有廟 利見大人 亨 利貞 用大牲吉 利有攸往

 

①秀逸の人を選ぶ。祖霊を祀る。王の叚休の命に対揚し廟に祖霊を祀る。

   講和のため大人に謁見する。祖霊を祀る。出入を厳密にして貞卜し

 修祓せよ。大いに犠牲を供え神意に従え。身を清め出向するがよい。

②秀逸の人を選ぶ。祖霊を祀る。王は喪を告げて登假し、廟に貢ぎ物を供え

 る。大人に謁見し貢献せよ。出入を厳密にして貞卜し修祓するがよい。

 大いなる犠牲をもって供え、契刻した誓約を実現せよ。身を清め出向する

 がよい。

 

 

この卦は賓卦の地風升と比較することが求められる。「萃」は草が乱れ集まる形。その中から秀抜のものを選ぶことを抜萃という。「卒」は衣の襟を重ねて結びとめた形。死者の卒衣。澤地萃は全体を通して集まる意味ではなく、卒業、引退、卒衣の象意がよく現れる。このことは賓卦である地風升上六の「冥升」の文言によく現れている。「假」の声符は「叚」(カ)。玉質の石塊を分かつ以前のもの。一時的に代わる。琢冶して真玉を得る。「仮」の義。「叚」は手を付けていない状態を表す。礼記に「喪を告ぐるに天王登假すと曰ふ」とある。「王假有廟」は王が廟に登假すること。上卦の兌は祈祷の象意。下卦坤は廟に至る通路の形と見る。また坤には死者の意味がある。「用大牲吉」は裏卦の形であろう。裏卦山天大畜は上九の「廟」に下卦乾の羊を捧げる形。

 

 

 

【初六】有孚不終 乃亂乃萃 若號一握爲笑 勿恤 往无咎

 

①孚の心がありながら、その思いを遂げることが出来ない。汝、心の縺れを

 解き、汝、集まれ。もし願いを訴えれば、一瞬にして事態を掌握し、

 その意を和らげる。憂うることはない。行けば咎められることはない。

②孚の心ありて終わらず。汝、縺れを解き、汝、魂が迷い出るのを防げ。

 神託を受け、願いの成就を訴えれば、一瞬にして掌握し、その意を

 和らげんとする。恤を祓え。身を清めて出向すれば、神罰なからん。

孚の心ありて終わらず。汝、治め、汝、魂が迷い出るのを防げ。

 (齎にあたり)號をよしとし、一握して、笑言を為す。恤を祓え。

 身を清めて出向すれば、神罰なからん。

 

「亂」は糸かせの上下に手を加えている形で、もつれた糸を骨ヘラ(「乙」)で解くこと。金文では治める義で用いる。後世の「乱」れる義と逆の意味になる。「若」は巫女が両手を上げて舞い、神託を受けようとしている状態。「握」は指をかがめて強く握りしめること。「屋」は「尸」+「至」。死体を安置する板屋。「笑」は巫女が手を上げ、首を傾けて舞う形。神意をやわらげる義。「恤」は血盟に臨むこと。憂える。救う義。「有孚不終」は誠実に尽くして有終の美を飾ることができないこと。「若號」は上卦兌の象意からもたらされる。

 

この卦は初六が変爻すると澤雷隨となり裏卦と賓卦の同一形となる。この形は表と裏で相手の立場と自分の立場が錯綜し、あるいは内と外の世界が重なる。この形を易では帰魂卦と言い、死病を意味する卦として警戒する。ここからも「萃」は集まる意味より、死者の象意に近い。裏卦山天大畜の初九に「有厲 利已」とある。この状況を警戒していることが分かる。

 

初六の爻辞は難解である。「有孚不終」「乃亂乃萃」「若號一握爲笑」これら三つの文言は何を表しているのだろうか。この爻辞を解釈する上で最も重要なことは、どの爻が変爻すると見ているか、という視点である。まず裏卦の六四が変爻する動きを持つ。すなわち表の九四が変爻し水地比が生じる。水地比の上卦坎は糸の結び目の象意でもある。この結びの象意が「終」「亂」に繋がる。「終」は糸を結びとめる形であり、これをもって終結する義が生まれる。水地比初六の爻辞を見ると、澤地萃初六の爻辞との繋がりが見える。

 

水地比【初六】有孚比之 无咎 有孚盈缶 來有他吉

 

水地比は初六と九五との繋がりを表すから、澤地萃の爻辞も九五との関係を表すと考えてよい。但し九五の下に九四があり、坎の形を作らないから「不終」の形となる。

 

もう一つは初六変爻よる澤雷隨の形からもたらされる。澤雷隨と山風蠱は裏卦と賓卦の同一形である。この形は「衣」という文字との繋がりがあり、受霊を表すことを既に述べている。この「衣」の象意が次の「乃亂乃萃」に繋がっていく。「亂」はもつれた糸を解くこと。「卒」は衣の襟を重ねて結びとめた形であり、死者の卒衣を表す。「乃」は汝(なんじ)の意味と解釈し、裏卦と賓卦の同一形からもたらされる魂の乱れを警戒する用語と判断する。この「乃」は六二で用いられており、六二は九五と応じているから、初六が六五に対して「乃」(汝)と訴える文言とも受け取れる。

 

「若號一握爲笑」の「若」「笑」と六三の「如」は同系の文字。「握」は火風鼎の「渥」とともに意味を掴みにくい文字である。「握」は強く握る握力の意味。「渥」は潤う、美しいの義。双方とも「屋」の義が失われているが、澤地萃は卦象から「屋」の義を残して解釈すべきであろう。「若號一握爲笑」は喪に服する儀式の様子、作法を表しているようにも見える。礼記に「内に致齊し、外に散齊す。齊するの日に、其の居處を思ひ、其の笑語を思ひ、其の志意を思ひ、其の樂しむ所を思ひ、其の嗜む所を思ひ、齊すること三日にして乃ちその爲に齊する所の者を見る」とある。「齊」が上六の「齎」に応じる。「齎」は「齎送」を意味し、死者とともに埋葬することをいう。その様子が六三の「萃如 嗟如」に現れる。「若」は巫女が手を上げて神託を受ける姿であり、「號」は号泣、「一握」の「屋」はかりもがりの板屋、「笑」は「其の笑語を思ひ」の「笑言」(労いの言葉)の義であろう。震爲雷初九に「笑言啞啞」とあるが、これは葬儀に参加した人の嘆きの声と解する。これらの意味をつなげてみると、「若號一握爲笑」は號をよしとし、一人屋にて笑言を為す。あるいは號をよしとし、一握して、笑言を為す、と訳すことができよう。初六が変爻すると澤雷隨となり裏卦と賓卦の同一形となる。澤雷隨は帰魂卦であるから、死者を弔う卦として見ると象意が通じる。

 

  

 

 

【六二】引吉 无咎 孚乃利用禴

 

①身を引けば神意にかなう。神罰なし。誠意があれば、汝、

 西鄰の禴祭を用いるがよい。

②引き寄せ、契刻した誓約の実現を求める。神罰なし。孚にして、汝、

 西鄰の禴祭を用いるがよい。

 

 

「引」は弓を引く形であるが、解釈によって状況が異なってくる。こちらに引き寄せる意味の他、身を引く、引退の意味もある。「孚」は鳥が子を手で掴んでいる形。卵がかえること。魂振りを意味する。現代では誠の意味であるが、大事なものをしっかり掴む意味がある。九五「匪孚」の「孚」が六二の「孚」に応じる。従って六二は九五の気を引いていると同時に、九五も六二を引き寄せている。「禴」の「龠」(ヤク)は三穴の竹笛の形。神事(農事)や楽舞に用いる。「籥」は笛。水火旣濟の九五に「東鄰殺牛 不如西鄰之禴祭 實受其福」とある。「禴」は西鄰の禴祭。地風升の九二に「孚乃利用禴 无咎」とある。「禴」を爻辞に用いるのは澤地萃、地風升の卦形が「龠」笛の形に似ているからである。「西鄰之禴祭」とあり、この祭りによって「實受其福」(まことにその福を受ける)とある。「龠」は神を降ろす時に用いるものである。

 

 

  

 

【六三】萃如 嗟如 无攸利 往无咎小吝

 

①卒然と祈り、嘆いては祈る。利するところなし。行けば咎めはない。

 小人は恥をかく。

②魂が迷い出るのを防ぎ、神意を受けて従う。嘆いて祝り、神意を受けて

 従う。禊することなく利権を求める。奮起して出向すれば、神罰なからん。

 小人は過ちを改めるに憚る。

 

「嗟」は嘆くこと。「差」は神に黍稷(ショショク)を薦めること。六三は上下卦の境界にあり、運気の変わり目に位置するから災いが多い。裏卦の九三は上九の囲いに止められているので身動き取れず苦しむ。「如」が初六の「若」「笑」に応じ、初六変爻を懸念する。「萃如 嗟如」は死者を弔う嘆きの声と見る。

 

 

 

 

【九四】大吉 无咎

 

①大いに従い、契刻した誓約を実現せよ。神罰なからん。

②大人に従い、契刻した誓約を実現せよ。神罰なからん。

 

九四に至り上卦兌の形に入る。「大」は大いにの義と大人の義がある。六三に「小吝」とあり、小人は吝と解すると、九四もこれに準じて大人は吉と訳したい。その理由が賓卦地風升の彖辞「大人」に現れる。九四の「大」は裏卦山天大畜の上九と推察する。

 

賓卦地風升【彖辞】升 元亨 用見大人 勿恤 南征吉

 

 

 

 

【九五】萃有位 无咎 匪孚 元永貞 悔亡

 

①抜擢され位を持つ。咎めはない。孚の心をなくす。厳に慎んで

 身を正さなければならない。このようであれば悔いはない。

②行を終えて位を持つ。神罰なからん。異族の呪力を殺ぎ、

 溺れる者を救出せよ。命を全うして無事帰還し、廟に報告せよ。

 末永く出入を厳密にし修祓せよ。神の怒りは鎮まる。

 

「位」は「人」+「立」。金文では「立」を「立つ」と「位」の両義に用いる。金文に「中廷」に立つとあり、儀礼の場所を指す文字と見られる。六二の「孚乃利用禴」は六二の九五に対する訴えと考える。六二の「引」は身を引く意味と九五の関心を引く意味もある。「萃」の「卒」には卒業の義もある。「孚」の文字が六二と応じるから、「匪孚 元永貞 悔亡」は九五に対する六二の立場を示す言葉である。「悔」を坎の象意とし「亡」を坤の象意とする。

 

 

 

 

【上六】齎咨 涕洟 无咎

 

敬んで憂いを訴える。涙を流して、うずくまる。神罰なからん。

 

「齎」は人に遺贈すること。聖域に上って神に供える。「齎送」は死者とともに埋葬すること。贈る義。「咨」は祝詞を奏し、神に憂いを申し、訴える義。「齎咨」で嘆きを表す。「涕」は涙。爻辞で用いられる文字の意味から、この爻辞は死者に対する嘆きを表す。澤地萃はすべての爻に「无咎」の文言が入る。「咎」に対する畏れがこの卦において強く現れているものと考えられる。

 

裏卦山天大畜【上九】何天之衢 亨

 

天命の分かれ道を顧みて責問する。同族として会同する。

 

易の爻辞で使われる文字は、偏旁(漢字の構成要素)の義をよく見ておかなければならない。漢字は甲骨文や金文の字義を留めていないものが少なからずある。このため現代の意味をそのまま当てはめると、当時の時代背景を全く見失ってしまう恐れがある。易の爻辞は暗喩と詩的表現が多分に含まれているため、偏旁の義を見逃さないことが爻辞を読み解く最も重要な鍵になると考える。

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)