山火賁
䷕
【彖辞】賁 亨 小利有攸往
①奮起する。希望は通る。進めば少しの成果を得る。
②奮起して会同する。小人は禊ぎをして往くのがよい。
➂盛大に飾り、貢ぎ物を持参する。小人は禊ぎをして出向する。
この卦は「賁」の解釈で決まる。「賁」は雑彩の飾り。貝を持って飾ったもの。外に向かって奮起する意がある。艮の象意である壁に離の象意である鮮やかな色合いのものを飾る。すなわち美術館や画廊のような光景を思い浮かべる卦である。もう一つの噴気の義には差し迫った状況が現れる。
【初九】賁其趾 舍車而徒
①その足を飾る。車を捨て徒歩で行く。
②その足を奮い立たせる。車を止め、汝は装備なく進む。
「舍」は把手のある掘鑿刀。「口」は祝禱のサイ。サイに針を刺して祝禱の機能を失わせる形。ことを中止し留める。祝冊の器の蓋を刺し器中の冊書を読み命ずる。金文に「矢五束を舍(あた)ふ」とある。初九はこの卦の足の位置。「車」は卦の形であろう。上九の艮が下卦の車体(離)を引っ張る。サイに針を刺す形は裏卦の澤水困であろう。上卦の兌は器。下卦の坎は針の象。
初九変爻による艮爲山【初六】艮其趾 无咎 利永貞
九三変爻による山雷頤【初九】舍爾靈龜 觀我朶頤 凶
艮爲山の「趾」が応じる。艮爲山は見方によって徒歩の形と見ることもできる。初九が変爻すると下卦の車体の形がなくなる。山雷頤の「舍」が応じる。「龜」は対称性がある形で山雷頤の形に準ずる。何れも変爻の可能性を秘める。
【六二】賁其須
その髭を飾る。
「須」の「彡」(さん)はひげ。礼記に「小臣手を爪切り、須を剪る」とあり、面の毛を剃ることをいう。ではなぜ六二が髭なのか。髭は顎や口と一緒に動くものであるから、初九の下顎とともに動くものと見ているのだろう。つまり初九と上九を山雷頤の顎と見なす。あるいは裏卦澤水困の上卦の兌は口の象意であるから、口の下で動く坎(九二)を髭と見なしているのだろう。山雷頤の六二に「顚頤 拂經 于丘頤 征凶」とある。この「丘」の文字が山火賁六五の「賁于丘園」の「丘」に繋がる。このことが山雷頤との繋がりを示す。
【九三】賁如 濡如 永貞吉
①奮起するが如く、うるおうが如き状態。末永く身を慎しめば吉である。
②飾るが如く、うるおうが如き状態。末永く身を慎しめば吉である。
「濡」の「需」は雨乞いの義であるが、「濡」はぬれる。うるおう義。九三は「賁」の極まりの位置。この卦は表では吉でも裏では凶となる。
裏卦澤水困【六三】困于石 據于蒺藜 入于其宮 不見其妻 凶
【六四】賁如 皤如 白馬翰如 匪寇婚媾
奔走するが如く、入れ替わるが如く。白馬、飛び回るが如し。仇討するのではなく、婚儀を迫っている。
「皤」の「番」には交替の義がある。入れ替わり立ち代わりの状況を表す。「白馬」は白色で速く走るもの。これが現在では何に当たるかを想像すればよい。「翰」は高く飛ぶ義。「匪」は竹で編んだ目の細かい籠の類。現代では「~あらず」の否定詞として用いる。「寇」は廟中で虜囚を打ち呪飾を加えること。「婚媾」は婚儀の義。六四の光景も二つに分かれる。一つは絵画などの作品を入れ替えする飾りの光景。白馬はそのモチーフの一つとなる。もう一つの「賁」は噴気の状況であり、「如」が三つ連続して重なることが事態の緊迫感を現わす。六四が変爻すると離爲火となり、差し迫った感が出てくる。
離爲火【九四】突如其來如 焚如 死如 棄如
突くが如く、それ来襲するが如く、焼かれるが如く、死ぬが如く、捨てるが如し。
この爻辞は不意を突かれた災いで慌てふためく様子を現わす。「焚」「死」「棄」から焼かれて死ぬような痛さで何かを捨てる。山火賁の六四に急を要する状況が見えてくる。
裏卦澤水困【九四】來徐徐 困于金車 吝有終
除道し除道し来る。金車に困しむ。凶事であるが終わりはまとまる。
ここに「金車」とあり、これが山火賁の「白馬」に当たる。「賁」は飾りでもあり噴気する義でもある。則ち緊急事態の時何かを飾りたて、目立たせて走る「金車」「白馬」である。「徐」は除道を表す。つまり前の障害物を取り除けながら道を走る白い金車である。易はこのようにアプローチしていくと、驚くべき正確性でもの、こと、人を的中させる。
【六五】賁于丘園 束帛戔戔 吝終吉
①丘園を飾る。朝貢の品を積み重ねる。恥ずかしめられることもあるが、
終には吉である。
②丘園に駆け付ける。薄い白布を束ねて戦う。凶事なれども終わりは神意に
かなう。
③遠方の虚邑(村)に奔走する。薄い白布を束ねて戦う。凶事なれども
終わりは神意にかなう。
④廃墟を飾る。束ねた帛(画)を積み重ねる。惜しみながら終わる。
誓約の実現を責め求める。
この爻辞は「丘園」の解釈がポイントとなる。「丘」は墓のある丘。「園」は墓地に植樹すること。文字の意味だけではこれが具体的に何を示しているのかは分からないが、「丘園」に駆け付ける。あるいは「丘園」に貴重品を飾る。この卦の裏卦は澤水困であり、澤水困の「困」は囲いの中の「木」である。この「木」は九三に相当する。またこの卦は山雷頤の六三が変爻して生じた卦でもあるから、山雷頤の陰爻を死者、墓地とし、「木」を九三と見なすと、上九と初九の囲いの中の九三が「丘園」となる。「束帛戔戔」の「戔戔」は同じ形の重なりを示唆するから六四変爻による離爲火の象意と推察する。裏卦澤水困の九四に「吝」「終」の文字が現れる。「終」は離爲火の裏卦坎爲水の九二と九五の結びつき、または九三が上九と初九の「終」を繋ぐ形と考える。九三は六五に養いを求めるのではなく、上九から養いを得て初九と上九の「頤」の形を支えて貢献する。この九三の働きを「吉」とする。
澤水困【九四】來徐徐 困于金車 吝有終
【上九】白賁 无咎
①白く飾り立てる。神罰なからん。
②白馬が奔走する。神罰なからん。
上九の艮を壁とし、何も飾っていない状態とする。裏卦はかずらが絡みつき動揺している状況。
裏卦澤水困【上六】困于葛藟于臲卼 日動悔 有悔征吉
山火賁は通常”飾り”の卦と解釈されるが、上記のように「賁」の意味に二つの異なる義があることを見落としてはならない。「賁」には噴出、噴気の義がある。易は象意を読み、卦の形を読み、あらゆる光景を想像しなければ実体を掴むことはできない。常識にとらわれ固定的な見方をすると、易のポテンシャルは発揮されないままに終わってしまう。その意味でも易は成立当時の文字である金文、甲骨文にしっかり当たることが必要不可欠である。
(浅沼気学岡山鑑定所監修)