山風蠱

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【彖辞】蠱 元亨 利渉大川 先甲三日 後甲三日

 

蠱霊を祓う。命を全うして廟に報告し祖霊を祀る。大川を渉るによろし。甲の日より前んずること三日間、甲の日より後れること三日間。

 

山風蠱は澤雷隨の裏卦でもあり賓卦でもある。「蠱」は虫を使ったまじない。巫女が呪儀を行っていたとされる(巫蠱・ふこ)。卜辞に「貞ふ。王の咼(禍)あるは、隹れ蠱ならざるか」とある。「蠱」は形のある大きな虫と見られるが、今でいう細菌ウイルスと見ることもできるし、あるいは心の病とみることもできる。

 

「先」は除道のために人を派遣することが語源である。「後」は敵の後退を祈る呪儀。進退に関する呪儀が語源である。先んずる、後れると訳したが、易は語源が重要である。「先甲三日 後甲三日」は十干の甲(きのえ)の日の前後3日間を意味するものと思われる。つまり1週間である。この辞が出る時は七日以内に交渉を進める、あるいは七日以内に問題が解決するとみる。つまり至急動く必要がある時である。これと同じ表現が他卦にもある。

 

巽爲風【九五】貞吉悔亡 无不利 无初有終 先庚三日 後庚三日 吉

 

「先庚三日 後庚三日」は庚(かのえ)日の前後3日間である。山風蠱「先甲三日 後甲三日」と同じような表現を用いた理由はどこにあるのだろうか。その鍵を握るのが山風蠱の九二である。九二が変爻すると艮爲山となる。艮は気学の八白であり八白は定期的な変化をもたらす。 

 

山風蠱「先甲三日 後甲三日」は気学的に捉えると、九二変爻による艮のリズムが現われたものと見ることができる。そして同じように巽爲風にも艮のリズムが現れる巽爲風の裏卦は震爲雷。震爲雷を上下逆転させると艮爲山となる。この経緯から前後三日」という期間、リズムは艮または震の形から発生すると捉えてよいだろう。また艮、震の重なりにより三爻で区切りが出る形も「三日」と表現する根拠になるだろう。尚、「甲」と「庚」は後天図という気の配置図で対冲(たいちゅう)の関係となる。

 

 

                        

【初六】幹父之蠱 有子 考无咎 厲終吉

 

①父(指揮者)の惑いを正す。子(継承者)有り。熟考すれば咎めはない。

 危ういことがあっても終りは吉である。

②父権の惑乱を正す。継承者有り。祖考を拝して承諾を得よ。神罰なし

 邪霊を振り払い事を終結させ誓約を実現せよ。

③父権の惑乱を正す。継承者有り。三考して進退を決せよ。神罰なし。

 邪霊を振り払い終結させれば神意にかなう。

 

「幹」はただす。になう。ものの根幹を表す。「父」は指揮権を持つ人。「考」は考究。うつ、いたる、きたすの義がある。礼記には亡くなった父親として記されるが、書経の「三考して幽明を黜陟(ちゅっちょく・進退)す」の義がこの爻辞には最も当てはまる。天澤履の爻辞にも「考」が用いられる。

 

天澤履【上九】視履祥 其旋元吉

 

天澤履の「考」も礼節を弁えよく考えよ、との意味であるから「三考」の意味となる。

 

 

 

 

【九二】幹母之蠱 不可貞

 

①母の惑乱を正す。出入を厳密にすべきではない。

②母の惑乱を正す。大いに神の許可を求め、出入を厳密にする。

 

「可」は祝禱の器サイを木の枝に吊るした形。神の許可を求める義。ここから「べし」の意味が派生する。「可」は風山漸、水風井でも用いられる。「母」は女に両乳を加えた形。九二が変爻すると艮爲山となり、艮を父権の象意とする。その裏卦は兌爲澤となり、兌が重なる形を母乳の形とする。「不可貞」の「不」は否定語とみることが通例であるが、元来は否定語の意味はない。「不」は金文では「丕顯」(おおいにあきらかなる)の意に用いる。

 

風山漸【上九】鴻漸于陸 其羽用爲儀 吉 

水風井【九三】井渫不食 爲我心惻 用汲 王明並受其福

 

 

 

 

 【九三】幹父之蠱 小有悔 无大咎

 

父権の惑乱を正す。少し悔いが残るが、大きな咎めはない。

 

九三は表では九二を引き連れて上九に従う。九三は上卦との境界線で、異族との国境を意味する。九三の勢いは六五に誤解されやすく、臣下としての礼を逸脱しなければ、悔いがあっても咎めはない。

 

 

 

 

【六四】裕父之蠱 往見吝

 

①父の惑乱を緩やかにする。行けば恥じを見る。

②父権の惑乱を緩やかにする。奮起して行き、会見する。過ちを改めること

 憚る。

 

「裕」は祝禱の器サイを以って祀り、衣装の間に神気が現れること。神気に助けられる。ゆるやか。初六から九三は「幹父」と表現し、上卦に至り「裕父」となる。「裕」に含む「谷」は上卦艮の谷の位置と見る。「衣」は衣の襟を重ね合わせた形。衣は古来より魂が「依る」ものと考えられていた。殷の時代に衣祀という合祭があった。山風蠱は裏卦と賓卦が同じ形となる。この形を衣に魂が依る形と考えたのだろう。

 

 

 

 

【六五】幹父之蠱 用譽

 

父の惑乱を正す。用って讃えられる。

 

「譽」の声符は予(與)。神から与えられるもの。「与」は四手を持って捧げている形。貴重品を共同して奉じて運ぶ。讃える。「譽」は以下の卦でも用いられる。

 

坤爲地 【六四】括嚢 无咎无

澤風大過【九五】枯楊生華 老婦得其士夫 无咎无

水山蹇 【初六】往蹇 來            

雷火豐 【六五】來章 有慶 吉         

火山旅 【六五】射雉 一矢亡 終以命      

 

それぞれの卦で「譽」を用いる理由を考えてみたい。坤爲地及び澤風大過は「无譽」であるから「譽」の形がないと考える。山風蠱は九二と九三が上九の廟に貴重品を奉ずる形である。九二は賓卦の九五でもある。水山蹇は初六で「譽」を用いるが、初六が「譽」としているのは九五である。水山蹇は九五に下卦艮の手が貢物を捧げる形でもあり、九五の貴重品を艮の手が捧げる形でもある。水山蹇の裏卦火澤睽の六三に「見輿曳 其牛掣 其人天且劓 无初有終」とあり、この「輿」は水山蹇の九三から見た九五のことである。「輿」は「譽」と同じ構造を持つ文字であることから、やはり九五を担ぎ上げ、九五に捧げる形と考えられる。雷火豐六五の爻辞は裏卦風水渙のことを示している。九二が九五に恭順する形を「譽」とする。火山旅の裏卦は水澤節であり、九五「譽」とする。

 

 

 

 

【上九】不事王侯 高尚其事 

 

王侯に仕えることを止める。その王事を尊び、神を迎えて祀れ。 

 

「事」は廟中の神に告げ祈ること。外祀。王事。「侯」は外服に際し、建物の下に矢を放って邪気をはらう義。異族の邪霊を祓う。「高」は戦場の凱旋門。神の憑依するところ。神明のことに関して用い、高大、高貴の意味。「尚」は光の入る処に神を迎えて祀る義。

 

上九に至り「蠱」の文字がなくなる。ここから「幹父」は上九であることが分かる。上九に至ると従う対象がなくなり、指揮官としての上九は「不事王侯」の原因を作る。「高尚其事」は上九に至っても、尚、神を祀る心を維持すべきことを説く。

 

九三変爻による山水蒙【上九】撃蒙 不利爲寇 利禦寇

 山水蒙の裏卦澤火革【上六】君子豹變 小人革面 征凶 居貞吉

 

 

山水蒙の上爻は「寇」を為す側にもなり「寇」を受ける側にもなる。また澤火革の上六は君子が豹變し、吉凶の分かれ目に立たされることを説く。

 

 

「幹父」は父あるいは指揮官の権威であり、それが蠱によって乱される。従って山風蠱は疫病であれ心の病であれ、病気に侵されていることを示す。そのように捉えると、裏卦の澤雷隨の「隨」は単に人に従うという意味ではなく、誤った人についていく、あるいは付き従い方を誤る卦となる。山風蠱は父親の権威が落ちる卦であり、父権が堕落することを物語る。「隨」は堕落の「堕」に繋がる文字である。「堕」には崩れる義があり、この義も見逃せない。 

 

 

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この卦はなぜ「蠱」と名付けられたのだろうか。山風蠱の形を見ると、上卦を艮(山)とし下卦を巽(風)とする。「蠱」の甲骨文は皿の上に虫が重なる形であるが、この卦が「蠱」の形には見えない。「蠱」は人を惑わす呪儀であるから惑わす形があるとすれば、やはり裏卦と賓卦が同形となることであろう。こちらの裏の形が相手の表の形となり、相手の表の形がこちらの裏の形となる。つまり表と裏の状況が錯綜し、重なり合い、自分の気持ちが相手側の気持ちに乗り移ってしまう状況となる。当時の巫女による儀式には共感呪術的なまじないがあったとされるから、この形が山風蠱に現れたとみることもできる。字通に「非」「匪」は敵の呪力を殺ぐ共感呪術を示す字と記される。共感呪術という言葉は山風蠱を読み解くキーワードとなる。裏卦と賓卦の同形は共感呪術の易学的な仕組みを現わしているのかもしれない

 

裏卦と賓卦の形が同じ卦は他にもある。地天泰と天地否、風山漸と雷澤歸妹、水火旣濟と火水未濟である。この中でも山風蠱にのみ蠱の災いが現れる。ここで気学的な解釈を加えてみよう。迷い、惑いの気は四緑木星からもたらされる。四緑木星が中宮にあると、父権を意味する六白及び乾宮の力が弱くなり惑乱を招きやすくなる。さらに上卦の艮は気学の八白土星である。八白土星は父母ともに養育の不安定要素があり、生まれによっては父権の惑乱をきたす場合もある。

 

山風蠱の上卦艮を壁あるいは塀とすると、下卦巽の風は行き場を失って通気を悪くする。通気が悪くなるとものは腐り、衛生状態を悪化させる。この状態を「蠱」と見ることもできよう。

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)