坎爲水

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【彖辞】習坎 有孚 維心亨 行有尚

 

①繰り返し穴に落ちる。真心ある。移ろいやすい心を繋ぎ止めれば、希望は

 通る。行けば尊ばれることある。

②羽で繰り返し呪能を発して弄ばれ、落とし穴に落ちる。真心ある。移ろう

 心を繋ぎとめ、会同せよ。その地に赴けば、大いに迎えられる。

 

「習」は「羽」+「曰」。祝禱を収めたサイを羽で掬って繰り返しその呪能を発する行為。弄ぶ。繰り返す。習う義。「坎」は穴。「維」の声符は「隹」(スイ)。「隹」は鳥占により軍の進退を卜する義。詩経に「之れを維ぐ」とあり、移動しやすいものを繋ぎとめる義がある。詩経に「周は舊邦なりと雖も其の命は維(こ)れ新たなり」とある。坎爲水は六十四卦の中で最大難卦と言ってよい。坎は穴であるから穴に落ちて抜け出せない状態。さらに坎が上下重なり災いが度重なる。水の悩みは特に精神的に非常に重たくのしかかる。

 

 

 

 

【初六】習坎 入于坎窞 凶

 

①繰り返し穴に落ちる。その地に足を踏み入れ穴に落ちる。

 霊を鎮め災厄を祓え。

②弄ばれるがごとく穴に落ちる。その地に足を踏み入れ穴に落ちる。

 霊を鎮め災厄を祓え。

 

「習」は祝告を羽でなでることを繰り返す字である。ここから神意を弄ぶ。侮る義となる。「習」を含む爻辞は坤爲地にもある。ここでも弄ばれる義として使われる。初六は最下位且つ陰で力に乏しい。今まさに穴に落ちようとしている状態。周囲から甘く見られ弄ばれる。

 

坤爲地【六二】直方大 不習无不利 

 

 

 

 

【九二】坎有險 求小得

 

①穴に陥り険しきことある。求めれば少し得るものがある。

②穴に落ち険しき土地に足を踏み入れる。償うことで小臣は得るものがある。

  

「險」は神の降りる聖域の地勢。「僉」は礼冠を付けた二人が祝禱の器サイを持って並んで祈る形。険しい義。九二は中であり、艱難に陥っていてもそれなりの力を発揮する。「求」の主語は不明である。私が求めるのか、相手が求めるのかを見定めなければならない。「小」は微小なものの意味であるが、「小人」「小臣」を指すことも想定しておく。

 

 

 

 

【六三】來之坎坎 險且沈 入于坎窞 勿用

 

①来るも行くも穴に陥る。犠牲を薦めて祈り沈める。穴に陥る。用いては

 ならない。

②これに貢献せんとし、繰り返し穴に落ちる。神の降りる所で犠牲を薦めて

 祈り沈める。穴に陥る。用いてはならない。

 

「來」は土方(北方の強族)が来襲する義で卜辞に使われている。卜文に「來一羌 一牛」とあり、貢獻する意味として用いられる。「沈」は川沢を祀るときに犠牲を沈める義。「且」は机の上に物を載せて薦めて祈る義。「窞」の「臽」(カン)は土が穴に陥る形。「來之」は向こうからくる人も艱難をもたらし、こちらから向かうところも艱難をもたらす状況。下卦と上卦の坎に挟まれ、最も険しい場所に陥る。穴に落ちて逃れられない状態。その艱難に追い打ちをかけるように次々と災いが来襲する。易は語気を強める時、また同じ形が繰り返し現れる時、「坎坎」のように反復用語を使う。坎爲水の中でも最も厳しい状態。

 

                             

 

 

【六四】樽酒簋貳 用缶 納約自牖 終无咎

 

樽酒と二つの盛り付けされた食器。門外にて器を用い、人目に付かない牖

(まど)にて誓約を取り交わす。終には咎めなし。

 

 

「樽」はたる。「尊」は「酋」(ゆう)+「廾」。酒器を両手で捧げ、神前に置く形。「簋」は盛食の器。「貳」の「貝」は鼎の形。「戈」をもって鼎を刻銘しその副弐(複製)を作る。「缶」は土器のほとぎの形。裏卦の「鼓缶」に繋がる。「納」は糸をしめる様。布帛をおさめる。「約」はものをかがませている形と糸を結ぶ形。糸(縄)を結んで約束、契約とした。「自」は鼻の形。羊の犠牲を用いるとき鼻血を用いたので、用いる義。卜辞に「~より」の用法があり、金文では「自ら」の意に使う例がある。詩経に「自召祖命」とあり、召公奭の命を自(もち)ふと読む。「牖」は小窓。この爻辞は表では行えない約束や要望を秘密裏に行うことを表す。「樽酒簋貳」は例えば上司と部下が内密の話を門外(職場外)で酒を酌み交わし、秘密の誓約を取り交わす場面。離為火の九三は関門での通行許可を得るために何度も扉を叩く光景と捉える。それが「鼓缶」を打つという表現になる。その九三と隣り合わせになる九四は九三の再三の要求を受ける側となる。離為火の九四は「突如其來如 焚如 死如 棄如」とあるように、九三からもたらされた禍の煽りを受ける。その裏の坎爲水は坎の秘密の象意にもあるように、秘密裏にこの通行許可を出す。これを「納約自牖」と表現する。すなわち「約」束を得るために「牖」(小窓・裏)で貢物を「納」める。

 

 

 

 

【九五】坎不盈 祗旣平 无咎

 

坎難盈つることやむ。悩み既に平らかになる。神罰なからん。

 

「盈」は人が座って膝が盛り上がり、盥の中に座って浴し、太ももが溢れる形。膝が盛り上がったところを指す。水が溢れる様。「盈」は水地比初六でも用いられる。「祗」の声符は「氐」(てい)。土地の神を表す。敬しむ義。書経に「罔顯于民祗」民の祗(なやみ)を顯(かえりみる)罔(な)くとある。九二が変爻すると水地比となる。その九五に「顯比 王用三驅失前禽 邑人不誡 吉」とある。「顯」と「」は繋がりを持つ文字なのだろう。礼記に「人臣たるの禮、顯はには諌めず」とあり、臣下が礼節として主君の過ちを諌めないことを言っている。「顯」には主君自らが謙る義がある。坎爲水の九五に至り、艱難がようやく止まる。

 

 

 

 

【上六】係用徽纆 寘于叢棘 三歳不得 凶

 

①縄に繋がれ棘の草むらに丁重に埋葬する。三年経っても獲得できない。

 災厄を祓え。

縄に繋がれ棘の草むらに丁重に埋葬する。三頭の犠牲を獲得できない。

 災厄を祓え。

 

「徽」は「微」+「糸」。「微」は道路で長髪の巫女を打ち、敵の巫女による呪詛を共感呪術的になくする行為。説文では「徽」を三糾縄とする。坎の形は真ん中の陽爻に上下の陰爻が付く形である。この形を三本が結束する縄の形と見ることもできる。坎は強い吸引力結束力があり、一度結びつくと容易にはほどけない。この状態を徽纆に縛られた形と見たのだろう。坎の構造から坎には三という意味を含む可能性がある。「纆」の「墨」はすみ。墨縄。「寘」は行き倒れの死者の呪霊を恐れて丁重に葬ること。「叢」はくさむら。「棘」はいばら。詩経に呪的意味を含み、悪霊を祓う象徴として使用されている。「歳」は犠牲を割く鉞の形。金文に「用て歳し用て政(征)せよ」とあり、祭祀の意味として用いられる。年歳のことを虞には「載」(祭祀を行うこと)、夏には「歳」(歳名)、殷に「祀」(殷の周祭)、周に「年」(収穫の時)という。「歳」の解釈に関しては注意が必要である。「三歳」は通常三年と解釈するが、「歳」は元来犠牲を現わす文字であるから、「三歳」は犠牲の数としても考慮しておく必要がある。

 

六四変爻 澤水困【初六】臀困于株木 入于幽谷 三歳不覿

     雷火豐【上六】豐其屋  蔀其家  闚其戸 闃其无人 三歳不覿  凶  

 

上記の「三歳」も場合によっては単位の年のみならず犠牲の意を含む。上下の坎の結束は固く、裏卦の離の形も均整がとれていてこの形は崩れにくい。上六は陰爻であり、坎の核である九二及び九五に応じることができない。この形に繫縛されて三歳(年)成果を得られない。「三歳」という文言の由来を三つの犠牲とすると、三つの犠牲の象意は三陽あるいは三陰の形から出てくる。九二又は九五が変爻すると坤の形、またその裏には乾の形が出てくる。仮に乾の三陽を羊に準えると、これが「三歳」の形となる。すなわち「三歳不得」とは上下の坎が堅固な結びを作り、これが硬直した形を作り出しているために、犠牲を表す乾あるいは坤の形が現れないことを示す。三歳不得」は事態が硬直化して収穫が得られないことを表す文言と解釈することもできる。

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)