百六話

 

202411月の運気〕

 

   今年は三碧木星が暦の中央である中宮に入る年であり、月では4月と次年度1月に同じく中宮に入ります。そして次年度のテーマは前年の11月から徐々に表に現れてきます。11月から翌年1月までの3か月の動きは次年度の運気を総ざらいすると言っても過言ではありません。その11月は五黄土星が中宮に入ることにより、九星すべてが本来あるべき位置に配置されることになります。11月からの運気で最も注目すべきことは、三碧木星が天道を得て運気を上昇させることです。この勢いは翌年1月まで続き、三碧木星が中宮に入ることにより11月から始めたことが決着します。この流れに即し、国内では10月末に衆議院選挙、アメリカでは11月の節日直前に大統領選挙が行われます。三碧木星は新たな機運をもたらし、これを急速に推し進め、驚くべき展開を演じていきます。三碧木星は隠れていたことを顕現させる働きがあります。11月以降、三碧木星の動きによって明らかにされる情報と事実は人心を覚醒させ、世界をより良い方向へと切り替えるきっかけとなるでしょう。五黄土星と三碧木星が持つエネルギーは鬱屈した政治体制を急速に転換させます。年末から年始にかけて繰り広げられる運気の展開に注目が集まります。

 

 

〔本命環境と月命環境の行き詰まり〕

 

   気学的に解説すると、我々が日々遭遇する行き詰まりには二つの局面があります。一つは本命環境からもたらされるもの、もう一つは月命環境からもたらされるものです。本命環境は物質世界の特徴を強く持ち、すでに築かれている形式やしきたり、行動パターン、固定観念が強く存在し、今までのやり方や考え方を変更しないままに行き詰まりや変化の局面に対応しようとする傾向があります。このためその問題に向き合っては挫折し、向き合っては迷走します。これが本命環境の問題が解決するまでに長い時間がかかる理由です。本命環境での完全な解決は概ね手続き上の決着になり、手続きを経たのち、形に現れたものを解体し、作り直すことにより抱えていた問題がクリアされます。またその土地から離れること、つまり引越することにより今までの人的環境と物質的環境を完全に変えてしまう方法もあります。

   一方月命環境の行き詰まりは物質的制約ではなく精神的制約によるものが主体となります。例えば自分の思いが通じない、モティベーションが保てない、意図することが行動に移せない、人間関係のこじれなどが掲げられます。これは月命環境の悩みでもありますが、本命環境との繋がりがうまく得られないことから生じているものもあります。月命環境の行き詰まりも本命と同様、住環境の変化により変えることもできますが、本質は自分自身の内面が変わるかどうかにかかっています。これは時がたてばその人の命運に従って自然に解決してくるものもあります。つまり気の流れによって自分の内面の気の動き方が変化し、考え方や生き方が変わり、自分の置かれた環境が変わっていくのです。環境が変われば見えなかった光は自ずから見えてきます。

    

              

〔始まりの気の状態が成否を決める〕

 

 行き詰まりの原因を考える時に気学的に指摘できる重要なポイントがあります。それは始まりの気がすべての方向性を決めるという視点です。物事の行き詰まりは、それが始まった時の気の状態に根源的理由があります。気の世界は始まりに動機の基盤が形作られるため、それを始める時の自分の思いと周囲の受け入れ体制に食い違いがあれば、いずれその矛盾が表面化し、そのままでは続けられないという状況に至ります。物事がうまくいかない理由はそれを始めた時の動機がエネルギー的に成立していないというのが気学的な見解になります。

 これは物理学的には思いと現実の波動が同期していないと表現できます。同期とはエネルギーが発生する時の思念と行動の波長の関係です。気学的には思念と行動のタイミングがずれていること、またそのタイミングにおいて協力を仰ぐべきポジションに障害が生じていることです。この障害は暦によって確認することができます。エネルギーの世界、気の世界において、同期しない波長は成立しないのです。そのずれが表面化した状態が、私たちが直面する行き詰まりの実態です。

    

              

〔行き詰まりを知らせるシグナル〕

 

 行き詰まりは段階を経て顕現します。その波長がずれた状態は時がたつほどずれが大きくなり、一定の期間を経てこれ以上進めない状態に至ります。気学的には多くの場合、破という障害によってこの状態が顕現し、当人に矛盾が生じていることに気付かせます。その違和感や矛盾に直面した時、どの段階で方向転換し、あるいは終止符を打つかが問われます。

 第一段階のシグナルはほとんどの場合見逃してしまいます。その矛盾に感覚的には気づいていても、今はこれを止めてしまうほどではないと見逃してしまいます。第2段階に至ると、この矛盾が次第に表面化し、続けていくことにストレスを感じ始めます。この場合も止めることなくもうしばらく続けてみようとその矛盾に向き合わず流してしまう傾向があります。そして第3段階に至るとその問題の核心に直面させられ、心的に揺さぶられる出来事が起きます。ここに至ると多くの人がこのまま続けることは難しいことに気付き、やめる決断をせざるを得なくなります。

 

 

〔五黄土星がもたらすエネルギー的混沌状態〕

 

 本命環境に根ざす問題は経年で積み重なった人間関係や物質的制約のために、多くの場合はやめたくともやめられないという状態に至ります。こういう状態を気学では五黄殺と言います。五黄殺の根源は強欲や利害のために最初から矛盾していることを始め、推し進めてきた経緯があります。五黄殺はたとえ始まりが一人の欲であっても、これを続けていく過程でさらに複数の人の思惑や誤った所作が加わり、問題が幾重にも重なり複雑化していきます。この結果、最終的には手の施しようがない状態にまでもつれていきます。五黄殺とは感情的にも道義的にも個人の力ではとうてい克服することができないところまで複雑化したエネルギー的混沌状態です。

 五黄土星の過剰が引き起こした問題は最終的には破綻によってしか決着がつきません。つまりすべてを手放し、ゼロに戻すしか問題を解決することはできないのです。五行の土はエネルギー的に非常に強く不規則に動きます。このため人は五黄のエネルギーに直面するとコントロールできず翻弄されるのです。土は形がないため、物事の方向性が不明確で完成形がないという特徴があります。そもそも土というエネルギーは目的や計画に従って動きません。土は陰陽の転換を図りながら、あるいは未成就のエネルギーを成就させ、あるいは成就したものを解体します。土というエネルギーはその働きの意味をよく知っておかなければ総じてこれに振り回され、何のために膨大なエネルギーを注いできたのかわからない状態になります。五黄土星とは土のエネルギーを最も特徴的に発揮するエネルギー体なのです。

   

               

〔エネルギー的にバランスが取れたものだけが残る〕

 

 気の世界はその思いが強ければ強いほど注意が必要です。こうすべきという観念が強い時やこうしたいというこだわりが強い時は、エネルギー的には釣り合いが取れていない可能性が高いと言えます。エネルギー的にバランスが取れる時というのは、こうしなければならないという力みは生じません。エネルギー的均衡にある状態では、それを始めることに素直な喜びの感情が湧き、同時に周囲の同意と協力が得られます。それは周囲からそれを行うことを自然に求められるような状態であるともいえます。これがエネルギー的に成就する始まりの形です。先に示した通りこの物理世界ではタイミングすなわち同期が得られないものは成就しません。始まりの気の形が途中及び終わりの形を決めるのです。これが宇宙の変わらぬ法則です。

 物事の成果は始まりの気の状態によって決まります。そして成就するエネルギー、持続するエネルギーには必然的に喜びを司る七赤金星のサポートが入ります。このサポートが得られているかどうかで成否が決まります。逆に七赤金星のサポートが得られていない物事の始まりは必ず一定の期間を経て行き詰まり、中断、離脱、撤退の局面が現れます。暦はこの経緯を正確に示しています。宇宙は作為を最も嫌います。作為は不自然な波動状態です。宇宙の法則は非常に単純で、喜びを伴うものが本当の合意であり、義務感や利害のからむ動機、また不安や恐れから始まることは不自然であり永続性が得られないのです。

 今後本命環境の時代から月命環境の時代へ軸が移っていくと、物質的強制力が今までのようには作動しなくなっていきます。法的根拠や制度、しきたりのようにこれを守るための形式が本命環境では堅固に保たれていましたが、月命環境に人々の意識が移っていくと、形式的な制限は今までのようには機能しなくなります。本命環境から発生する問題は、今までと同じ解決のアプローチでは対応できない局面が数多く表れてくるものと思われます。

この宇宙はエネルギー状態によって流れが構築されています。いかに物質環境が形式を守ろうとしてもエネルギー状態が変われば、この流れをせき止めることはできません。私たちの意識が月命の波動環境へとシフトすると、価値観が根本的に変わってしまいます。このため本命環境で通用していたノウハウは行き詰まり、いずれは破綻を余儀なくされます。今後世の中で自然に残っていくものは、エネルギー的にバランスの取れたものだけになります。それは本心からの同意すなわち喜びをもって受け入られるものだけです。私たちはようやく物事の本質に気付かされる時代に至ったといえるのかもしれません。

 

 

 

浅沼気学岡山鑑定所監修