百十七話

〔10月の運気〕

 

気学には1・4・7・10の法則があります。これは1から始まり3のリズムで動いていくことによって生じるリズムであり、月盤においては1か月、4か月、7か月、10か月後のリズムを現わすのです。1月は実質的には前年の運気の最後の月で、2月3日の節分が年の境界となり、4日から新たな運気の年が始まるのです。2025年の10月の運気は前年2024年1月の運気から始まった流れの結論ともいえるまとめの月となります。そして次年度の運気は11月から徐々に始まってきます。そういう意味でも10月は2025年の集大成の月と言ってもよいのです。

10月の特徴は2022年から時代の中心的テーマとなった七赤金星が天道を伴い、離宮と言う価値観を規定する宮に入ります。七赤金星は癒し、励まし、喜ばす気ですが、離宮での七赤金星は個々人の価値観や世の中の価値観を変容させる力を持ちます。そして常識を超えた発想で人々を圧倒することもあります。全く予想外の展開をもたらし、人々の意表を突くのが離宮の七赤金星です。さらに2025年の離宮は六白金星が天道を伴い同会していますから、年月の天道の回座となります。すなわち七赤金星の奇想天外な発想ですべての国民を救済する決定または発表がなされます。

一方、国民を意味する二黒土星は組織の歯車に適応できず、諦めの気持ちをもってその縛りから逃れ離脱していきます。あるいは国民の支持を得ず強引に推し進めようとする政策があれば、国民はこれに猛反発し政府や与党を見限ります。10月は年4回の土用の一つです。土用は陰陽どちらにも定まらない不安定化した気の状態です。中宮の三碧木星は妥協を許さず勇猛果敢に攻めていく気質です。10月は世の中全体において次年度に向けたドラスティックな展開が繰り広げられることでしょう。

 

 

 

〔組織の論理と個人の論理と天の論理〕

 

組織の論理に従う場合、少なからず個人が抱いている道義に反することが出てきます。こういう時、組織に属しているからという理由で思いに反する方向へ進むということもあります。こういう事態を気学ではどのように考えるのでしょうか。

道義は九紫火星が担い、思いは一白水星が担います。道義を担う九紫火星の真の働きは解決と解放です。真実に基づいた天の差配による決定です。例えばその決断をしたのちにわだかまりが残る場合は、九紫火星の本来の力が発揮されていません。ある決断をすること自体に拘束がある場合も九紫火星の決断ではありません。九紫火星に関することは必ず「離れる」形が入ります。問題の核心は何か矛盾することに関わっているか、その繋がり事態に矛盾があるのです。九紫はこれを解き、束縛から解放します。従ってそれを決断することによって、当事者の悩みや苦しみから解放される形がなければ、九紫火星の力が働いたことにはなりません。

組織の論理に従う場合で九紫火星の気が上手く機能するケースは、気学的には以下の場合に限られます。それは利害が一切絡まず、立場の弱い人に発言権と決定権がある場合です。そして九紫火星がこれをサポートする立場にある時です。さらに組織の論理が通用する時は上手くいっている現状のパターンが維持されており、内部の働き手が上手く連携を保っている場合です。

この気学の法則に照らしてみれば、必ずことの是非が判断できます。最も重要なことは、九紫火星は解放に向かうのであって、決して束縛に向かうことはないということです。不本意な形で何かに束縛される状況がある場合は九紫火星が働いていません。従って道義も働いていません。九紫火星の気が働いていない場合は究極的には六白金星の働きも機能していません。九紫火星と六白金星の究極的な目的は救済です。誰かを救済しない論理は気の世界においては破を伴い、いずれその道は塞がれ破綻します。

政治の世界では政党を作ります。政党と言う組織は好むと好まざるに関わらず利害に絡みます。この利害の仕組みは時に個人の思いを抑制します。例えば党議拘束という習わしは、国民の総意によって作られたものではありません。党議拘束と言う仕組みは組織の利害から生まれた仕組みです。この仕組みは気学的には巽宮と乾宮のバランスが崩れた組織運営が上手く働かなくなる典型的な形と判断します。先ほども取り上げた通り、組織の運営が上手くいくパターンは、国民が行政よりも上の立場の場合、そして弱い立場の側に主導権がある場合、さらには国民が主であり行政が従の側に立つ場合です。この形がある時、気の循環は正常性を保ちます。

 気学から指摘できるもう一つの重要な視点があります。それは本命環境と月命環境は全く異なる現実世界を組み立てているということです。本命環境は物質次元を現わし、社会基盤や社会常識すなわちしきたり、習わし、法律、制度、規律を作ります。これが社会の安定を維持する環境を築き上げるのです。

本命環境は年単位で動く波動となるため、社会の変化や物事の変化が総じて遅く、時代の大きな変化が数十年かかる場合もあります。これに対し、月命環境は月単位の波動であるため、変化が非常に速くかつ軽やかになります。また月命は精神性を担う波動であり、物質化した波動ではありません。従って月命は人々の心の中の動きであり、基本的に物質環境に束縛されないために、物事の決定が非常に速くスムーズに行われます。

この波動環境の違いは個々人の中でも体現され、社会全体においても明確に現れます。手続きを経なければ変わらない社会は本命環境の軌道に乗っており、手続きを必要としないこと、思いが通じれば変わっていく世界は月命環境に乗っています。

 今世界は本命環境から月命環境へと波動のベースが移行しています。月命環境に意思決定の軸が移動すると、物質的束縛から解放されていき、人々の決定が純粋な自分の意思に拠るものとなります。そして自分の意志は天と直接繋がり、天と共鳴するものになります。精神性は本来物質的利害が絡まない時空に存在します。真の精神性、真の月命環境は自分が本当に自分であり続けられる空間、自分の本当の思いが反映する空間なのです。そこに波動の拠点を置くならば、実は今この時点から私たちは本命環境の物質的束縛を受けることなく生きていけるのです。

組織による縛りは物質世界の縛りであり、非常に強固なものですが、実は精神の世界に影響を与えることはできても、精神を一方的にコントロールすることはできません。

 “私はこう思う”という月命から出た思いは、誰にも何にも影響を受けることなく表明することができます。私たちは月命を主体に生きていくことによってはじめて本来の自分らしさを発揮することができます。物質世界を現わす本命は月命の下支えの環境です。本命は形のない月命の気持ちを確かな形にし、安定化させるために貢献します。こうして本命が月命を牛耳るのではなく、月命をバックアップすることにより、二つの命運は本来あるべきバランスを取り戻していくのです。

精神は物質に束縛されるのではなく、精神は常に解放されており、自分以外に精神をコントロールするものはなく、束縛するものもないのです。意思決定は常に自分自身の中にあり、月命という命運があるかぎり、自分は自分自身の意思を貫くことができるのです。

 

 

 

 

浅沼気学岡山鑑定所監修