百一話

〔6月の運気〕

 

 5月に運気の転換点に入った二黒土星は自らの立場を明確にし、引き続き7月まで力を維持します。二黒土星の動きは国民の動きでもあるため、国民が暮らしの成り行きをどのように解釈し、これに対してどのような意思表示をするかが問われています。この二黒土星の動きに影響を受けながら六白金星は5月から大きな運気のうねりに入っていきます。特に6月の運気は真正の六白金星と俗世の六白金星との明暗がくっきりと分かれてきます。

 六白金星の本質は公共性、普遍性、平等性です。この精神に則るものは六白の運気を帯びます。この気質を受け継ぐものとしては国家、政府、金融、企業、資本家、貨幣などが掲げられます。つまりこれらのものは本来公共の福祉に属するものであり、権力を手にして利益をわがものにするものではないのです。六白を見分ける基準はすべてにおいて公共性普遍性平等性です。あらゆる場面において偏ることを六白は認めません。すべての人が同じく豊かさを手にする。これをいかなる環境条件にも影響されず提供し続けるのが六白金星本来の役割なのです。

 六白金星というエネルギーの本質を理解することは容易なことではありません。この本質を理解するには、人が当たり前に持っている金銭感覚、すなわち欲得、損得勘定から完全に切り離された次元から世の中を見なければならないからです。六白という気は純白の光であり、公共性と普遍性と平等性の元に動くエネルギーです。従って六白の気を体現するものが公共性から外れ私欲に傾いていくと、すべて暗剣殺の穴に落ちていきます。これが6月の六白金星暗剣殺の意味するところです。公益に動く真正の六白は国民を意味する二黒の守りによって安泰を得、私欲に囚われた俗世の六白は国民の信用を失い、権力と財力を失います。

 6月に起きうることは水面下で起き得るものであり、世間にはほとんど見えない出来事となります。それ故、今本当に世界で起きていることが何なのか、分かる人には分かり、表しか見ない人には全く分からないという状況が現れてきます。

 

 

〔物質的価値優勢の時代から精神的価値優勢の時代へ〕

 

 時代の転換は既に訪れているし、既に分岐点を越えたと考えています。物質的価値優勢の時代は、他人が既に作った物質的環境に乗る形で進んでいき、ある意味で自分の価値観を持たなくとも他人の価値観に乗って進んでいくことができたのです。今後、精神的価値観が主導権を握る時代へ移行すると、もはや他人が創った価値観に乗って生きていくことが出来なくなります。なぜなら精神的価値観は自分の内面のみで構築される価値観だからです。それは本当の自立を迫られることでもあり、自立した人のみが新しい時代への移行を完了することができるのです。

 精神的価値優勢の時代とは、気学で言えば月命が主導権を握ることを意味します。その月命を軸にして生きていく形は既に今までも部分的に成り立っていました。但し今後の月命時代は主導権が完全に移行することの違いが出てきます。

 その違いは決定的であり、今までの世の中の常識をことごとく覆してしまうほどの違いがあります。端的に言えば、この時代へ移行した人は、目に見える成果を追い求めなくなり、物質的な富を追い求めなくなり、地位や肩書や名誉を追い求めなくなり、権威に答えを求めなくなります。このことの本当の意味を理解できる人は、もうすでに現時点で次の時代へ移行しています。このことの実感が感覚的に分からない人は、旧来の世界構造すなわち次元に留まり続けている段階と言えるでしょう。

 次元が上昇するとは、波動が全体的に上昇することを意味します。波動の上昇は人も地球も太陽系も銀河宇宙も共時的に変化し、その影響が人の感じ方、考え方、生き方、行動、住環境に波及します。次元が上昇すると、波動の低い物質世界と波動の高い非物質世界すなわち精神世界との分離が明確に現れてきます。けれどもこの見かけの分離は物質次元から見た場合であって、本当は何も分離していません。宇宙そのものは分離しませんが、そこに生きる人の波動が自分の生きたい世界にそれぞれ分離し、棲み分けして生きていくようになるのです。

 気学で捉える分離とは不安や恐れから物事を始める状態であり、統合とは喜びから物事を始める状態です。分離はエネルギー的に不安定であり、運気の調整の過程で協力が得られないためにエネルギー未成就のまま破綻していきます。統合はエネルギー的に安定しており、変化の波に乗りながら協力を得てエネルギー成就の道を歩みます。宇宙の根幹の目的は調和と永続です。従って調和と永続に与するものは成就し、調和と永続を乱すものは暦のタイミングを経ていずれ消滅します。

 波動を上昇させた人はこれから統合の世界に生き、波動の低い状態に留まる人は今後分離の世界を生きることになります。分離の世界は今まで通り、物質的な性質に則り、損か得か、勝つか負けるか、善か悪か、これを選ぶとこれを捨てざるを得ないという、二次元における選択の世界に留まります。一方統合の世界に生きる人は、損得のない、利害の絡まない、競争がない、どれを選択しても可能な世界に生き、価値観を共有する人たちがまとまっていきます。

 その前提にはその人固有の能力の発揮とその人独自の価値観の確立があります。こうして私たちの目の前には選択肢がいくつも広がり、自分の価値観に合った人やものや出来事が現れてくる世界に生きることになります。

 波動の世界は少しずれただけで繋がりが薄くなり、それがさらにずれると完全に解離し、二度と会わなくなり、互いの生活空間に干渉する機会がなくなります。この波動の違いは良し悪しでは図れず、自分がどの波動を選択するかにかかっています。自分が今まで通り、損得、利害、競争、物質量、地位名誉肩書を望めば、低い次元の世界に留まり、精神性豊かな世界に住むことを選べば、競争のない創造性、芸術性、独自性の世界に住むことになるのです。

 こうして今までのように波動の低い世界と波動の高い世界がある程度共存していた空間はなくなり、波動の低い世界を選んだ人は波動の低い人としか会えず、波動の低い世界の出来事しか目の前に現れてこなくなります。高い次元の世界に生きることを選んだ人は、低い次元の世界に生きる人には会わなくなり、今までよく起きていた世の喧騒、トラブル、悩み、人間関係のストレスにさらされることは次第になくなります。波動の高低差による世界の分離はこれから漸次的に進みます。そのスピードを加速させるか、停滞させるかは今後の私たち個々人の生き方にかかっています。

 気学では次のように説明することができます。負のエネルギーから始まる世界に生きることを選んだ人は、不安、心配、恐れ、我欲を動機にして物事を始め、法則通りのタイミングで物質的に破綻する世界に生きることになります。一方、正のエネルギーから始まる世界に生きることを選んだ人は、喜びから始まる世界を生き、喜びすなわち七赤金星の性質に則り、自分が持てるものと相手が持てるものを交換し共有する世界を築き、精神的豊かさのみならず物質的豊かさを伴いながら、喜びがいつまでの途切れることのない世界に生きることになります。

 

 

〔運勢学とその心得〕

 

 干渉という言葉の意味を気学的に考えてみましょう。これは人の運勢に干渉すること、または宇宙の法則に干渉することを意味します。干渉とはこの二面性があることに気付いておく必要があります。他人を変えようとする行為はいかなる場合においてもその人の運気に干渉します。また自分の都合のよい方へ導こうとする心の動きや行為も、バランスによって成り立つ宇宙の気の流れに対して干渉することになります。

 運勢に関して知るということは、少なからず自分や他人の運勢に干渉する要素が加わります。そこには宇宙の法則の根幹からの理解と、気の世界の法則を知り、これを尊ぶ姿勢が求められます。宇宙は干渉を欲しません。ですから干渉するということの意味をよく理解していく必要があるのです。

 気の世界は作為を最も嫌います。作為とは自分の都合のために既にある流れに干渉することです。この動機や行為そのものが気のバランスを揺るがします。宇宙はすべてにおいてバランスで成り立つものです。そこには流れがあり、その流れに順応する中で、選択し、時に方向転換し、時にその場所から立ち去り、また新たな場所で自分の思いを現実化していくのです。

 流れに逆らわず乗っていくということは宇宙における一つの作法です。けれどもその流れは自分が自ら選択することによって生まれてきます。自分が選択し、その積み重ねによって大きな流れができ、その流れが常に運気の流れと並行して動いていくのです。

 命運が示していることは運気の型です。その型は宇宙の完璧な法則の元に作られています。あらかじめ作られた命運の流れに従って動き、その命運が現わしている才能を活かし、良縁に導かれることで運気は自然に整っていきます。

 宇宙の気の流れに干渉しない生き方とは、その気の流れに乗り、望まない流れが来た時は心を無にして敢えてこれを静観し、選択と決断の時が来た時は、一切の作為や打算を捨て、素直に心から喜べる方向へ進んでいくことだと私は考えています。 

                   

 

〔自分が選択することに意義がある〕

 

 運勢は自分で判断し、選択し、決断することが一つの作法になります。そうであるからこそ自分の命運が自分の力によって動かされ活かされていくのです。自分が何かに迷った時、運勢学からアドバイスを得るということは、自分以外の視点から自分の姿を俯瞰してみるという点で非常に大きな利点があります。ですがそのアドバイスを受け取った場合も、最終的に決めるのは自分であり、選択するのも自分です。

 物事の決断は自分の内からの主観と外から見た客観とのバランスではじめて成り立つものです。ですからバランスの取れた決断をするためにも、常に自分と他人の視点が必要です。けれども他人の視点とは外からの視点で自分を見つめなおすということであり、他人の意見に動かされ、影響され、判断を揺るがされるということではありません。たとえ他人のアドバイスを聞き、参考にしたとしても、それをそのまま受け取るのではなく、これを自分の中に入れ、自分の価値観、感情、感覚との整合性を得なければ、バランスの取れた本当の自分の決断にはなりません。

 自分で選び、自分で決断する事の意義は、たとえそれを選択し、その後思い通りの展開にならなかったとしても、それを後悔せず自分の決断でこれを選んだという矜持を持つ事に繋がります。実はこれこそが命運を自分のものとして打ち立てる上でとても大切な心得となるのです。自分自身が行った決断だからこそ、それが自立となり、自信になり、その人の貴重な経験になっていくのです。

 すべての選択が自分のものであれば、それは上手くいくことであれ、失敗することであれ、それ自体が貴重な経験となり、その経験自体がその人の成果となるのです。その人のいかなる選択にも外からは干渉できません。アドバイスとは外からの視点を与えるにすぎません。

 その人の決断や選択に干渉することなく、その人の視界からは見えない部分を照らし出し、必要な判断材料を出来るだけ多く提供する。このスタンスにこそ、本来の運勢学のあり方があるのではないかと私は考えます。

 

 

 

 

 

浅沼気学岡山鑑定所監修