偏角に現れる時代の潮流

 地球には固有の磁場があり、その磁場はN極(南極)からS極(北極)へ伸びる地磁気を東あるいは西へ変則的に曲げている。このように地図上の北と方位磁石が示す北(磁北)との角度差を偏角という。偏角は地球の場所によってすべて異なる。日本における2020年値の偏角は那覇が5.3°、東京が7.4°、札幌は9.4°となり、北へ上るほど大きくなる。偏角は地球の位置によって異なる。日本付近の磁力線が西偏するのはシベリアバイカル湖付近にある地磁気の影響を受けているためと言われている。

 

 日本における西偏5°から10°の範囲は磁針が後天図における子の範囲に入る傾きであるが、子の中心から北北西の亥に近づくほど方位の象意は子の個から亥の組織、国家、権力意思へと変化する。近代以降の日本における西偏傾向はこうした亥の権力意思への傾きを現わしていると気学的には解釈できる。

 

 地磁気永年変化を見ると、江戸幕府が成立した1600年頃の日本は東偏付近で頂点に達し、ここから東偏が逆転して1800年頃には偏角がとなっている。これ以後は西偏への傾きが徐々に大きくなり現在に至っている。偏角は後天図の理念、秩序を体現する形であり、方位学的な観点での理想の形である。このことは江戸幕府成立から1800年頃の江戸中期において、政治と庶民生活のバランスが後天図の理想形に近づいたことを意味する。気学的な視点から捉えると江戸後期からの幕府衰退と近代化への移行は1800年を境とする西偏への移行によって促されたと解釈することもできる。

 

 偏角の傾向と時代の潮流との一致は他の時代においても顕著に観察することができる。「過去2000年の西南日本における偏角の変化」*1)を見ると、総じて同族支配が強まる時期は東偏へと傾き、中央政府による政治権力が旺盛となり貨幣経済が活発化し資本家が横行する時期は西偏へと傾いている。東偏とは丑への傾きであり、丑は伝統を重んじ同族内直系で家督を継承する気である。

 

 偏角が東から西へ、西から東へ移行する時のタイミングは時代の潮流が大きく変化する時期と正確に一致する。また西偏及び東偏の最大値からへ戻る期間は平安期となり、から離れていく期間は戦乱期となる傾向が現れる。気学的な偏角の意味は六白の権威が保たれ、九紫の理念理想が明確に掲げられ、一白の為政者が権威と理念をよく世に広めることができている状態と見る。偏角の動きが時代の潮流を変化させるこれらの推移を見れば、偏角が人類へ及ぼす影響の大きさを知ることができる。

 

 後天図は波動生成の仕組みを現わし生命体のあるべき様を示す。偏角は後天図における秩序の離と統合の坎を結ぶ中心軸の傾きであるから、国家理念、政治、経済、文化、国民の精神性すべてに影響する。偏角はその時代の傾き、その国家の傾き、国民の精神性の傾きを指し示すものと考える。

 

 

 

1)参考文献:学会誌『考古学と自然科学第5

 広岡公夫(1972年)「考古地磁気による年代測定の問題点

 17ページ第2図【過去2000年の西南日本における偏角の変化】

 日本文化財科学会 http://www.jssscp.org/

 

 

 

 

浅沼気学岡山鑑定所監修