艮爲山
䷳
【彖辞】艮其背不獲其身 行其庭不見其人 无咎
その背後に退きその身柄を捕らえず。その中庭に行きその人に謁見せず。
咎めはない。
「艮」は邪眼によって後ずさりすること。「退」(しりぞく)意味である。「艮」を含む文字で爻辞に使われる文字はこのほかに「艱」がある。「背」の声符は「北」(背く)。背中は艮の象意であるから九三及び上九となる。彖辞の「其背」は上九と見る。彖辞の解釈は難解であるが、「獲」を用いる時の規則性を掴むと爻の結びつきが見えてくる。「獲」は澤雷隨、地火明夷、雷水解、巽爲風で用いられる。これらの卦に現れる一つの規則性は、四爻が二爻を「獲」る形であり、言い換えると四爻が五爻と二爻の結びつきを阻害する形である。これを「獲」で表している。またこの卦を読み解くもう一つの鍵は六二で用いられる「隨」である。六二が変爻すると山風蠱となりその裏卦は澤雷隨となる。澤雷隨では九四の爻辞で「獲」が用いられ、九四が九五から六二を「獲」る形が現れる。この形は逆転すると九三(賓卦の九四)が六五(賓卦の六二)を「獲」る形となる。九三は上下卦の境界にあり、この卦で最も強い力を持つ上九(背)に応じる。従ってこの威に押され六五を「獲」ることは出来ない。また六五から見ても六五は上九に応じる九三を「獲」ることはしない。この経緯を「艮其背不獲其身」とする。「其身」は九三である。同様に六五は九三(其人)が宮廷「庭」を「行」くのを拒むから「不見」となる。これを「行其庭不見其人」と表現する。但し、九三は六五を「獲」ることもなく、且つ六五と「不見」(まみえず)となるから「无咎」となる。
「庭」は公宮の中庭で儀式を行うところ。この形は九三を変爻させるとこの形が見えてくる。一つ一つの文字をつなげていくと、儀式を行う場所で、邪眼によって背後に退き、身柄を得られず、謁見することができない。この卦は全体を通して見ると、境界線で踏みとどまることがテーマとなる。踏みとどまる位置によって吉凶が分かれる。
【初六】艮其趾 无咎 利永貞
邪眼を恐れてその趾を止める。咎めはない。しばらく身を慎しむのがよい。
「趾」の「止」は足指の形。足跡の形。卦の形を見ると足形に見える。従って九三は両足が歩調を合わせて動くように上九に従って動く。上九は神梯子でもあり、九三は上九に昇るための足掛けの部分。爻辞を見ていくと初六の「趾」から六五の「輔」(ほお)に上がるに従い身体の位置が上がっていく。初六は最下位であるから「趾」の位置となり止めやすい。
【六二】艮其腓 不拯其隨 其心不快
邪眼を恐れてそのふくらはぎを止める。その随行する者を救わず。
心中穏やかでない。
「拯」は「卩」(セツ)+「凵」(カン)+「収」(キョウ)。「卩」は人が座る形。「凵」は深い穴に陥った形。「収」は左右の両手で引き上げる形。穴に陥った人を左右の手で引き上げること。六二は「腓」(こむら)の位置となり九三に「随」い動く。「隨」の元は上九。九三は上九の動きに「隨」い動く。六二が変爻すると山風蠱となりその裏卦及び賓卦は澤雷隨となる。従って六二の変爻を見立て「隨」の文字を用いる。裏卦と賓卦の同一形は錯乱と形勢の逆転をもたらす。「其心」が九三の「薰心」に繋がる。従って「心」の主体は九三であり、その九三の「心」の状況が六二の「其心不快」となって現れる。「其心不快」は火山旅九四の「我心不快」に類する表現であり、六四変爻の動きを示唆する。九三は六四変爻による上九との断絶を警戒する。この経緯が火山旅九四の「我心不快」となって現れる。六二変爻は下卦巽の従う形を作るが、上九に従う爻が九二九三と二つ重なり、これが上九の後継を錯乱させる。この経緯が澤雷隨の六二及び六三の爻辞に現れる。また六二の変爻は裏卦と賓卦の同一形を招き、この形が繋がる爻を錯乱させ、上九からの完全な「拯」いが得られなくなる。澤雷隨及びその裏卦山風蠱は主従関係が錯綜し、師と弟子との繋がりが「堕」する卦でもある。
澤雷隨【六二】係小子 失丈夫
【六三】係丈夫 失小子 隨有求得 利居貞
【九三】艮其限 列其夤 厲薰心
①邪眼を恐れて進めない。参列して、その天命を慎んで拝受する。危険が
心中を燻る。
②その聖域より退け。それ、天命を畏れ慎しみ、隊列せよ。邪気が心臓を
燻らせる。
「限」は邪眼を恐れて退く人の形。聖域を限る義。「列」は断首を連ねること。「列」と「厲」は同声。「列」は卦の隊列の形を表し、同時に六四変爻による断首の形を表す。六四変爻は九三と上九との断絶を招く。「夤」(イン)の「寅」は「矢」+「収」。矢に両手を加え矢柄の曲直を正す。神事用の矢を正すこと。「夤」は天命を慎んで拝受する義。金文に「嚴として天命を龔夤(きょういん)」とある。「薰」は「東」(嚢)の中身を火で燻(くゆ)らせること。香草。「薰」は六四変爻による上卦離の火を表す。「薰心」が六二の「其心不快」となって伝わる。「夤」(イン)はこの卦のポイントになる文字。艮爲山は天命を授かった人の進退とその吉凶を表す。六二に「不快」とあり「快」に弓を意味する「夬」が含まれる。この卦は澤天夬(裏卦山地剥)の状況にも通じる。九三は身の危険を承知で天命を拝受する。この卦の賓卦は震爲雷で九三は震爲雷の九四に当たる。九四の「震遂泥」(震驚して泥に墜(お)つ)の状況は軍行の凶運を表す。九三はこの卦の吉凶の分岐点であり最も危うい位置となる。ここが限度、限界となる。
【六四】艮其身 无咎
邪眼を恐れてその身を退く。咎めはない。
「其身」は卦全体の中での六四の位置を表すが、「身」の本体は九三となる。六四は九三の境界から離れ、「身」を退かせて危難を逃れる。上九と六四は艮の形の中で繋がりを持ち、六四は艮の止める機能を共有する。従って六四は間接的に九三を止める役割を果たす。
【六五】艮其輔 言有序 悔亡
①その頬骨に止まる。筋道立てて詛盟する。後悔することはない。
②その大臣を退かせよ。筋道もって詛盟する。神の怒りを鎮めよ。
➂それ、天の助けを得て退け。筋道もって詛盟する。神の怒りを鎮めよ。
「輔」は車輪の輻を補強する木。補佐、補助の義。あご。「輔」は重要な官職名でもあった。礼記に「復(たまよばい)するときは某甫復れと曰ふ」とある。車輪の輻は九三に当たり、九三は上九を補助する役目を果たす。九三は六五の地位を凌ぐ位置にあるが、艮は境界から動かないから「言」はあっても「悔亡」となる。易の文字は単に現代の意味を当てはめると、当時用いられていた文字の意味を覆い隠してしまうことが多い。「輔」は顎の意味もあり、官職名でもあり、また補助の義でもある。易は暗喩を用いて起こりうる状況を文字に置き換え、その光景を鮮明に映し出す。頬の位置となり言葉で説得して止める。これが適えば悔いはない。
【上九】敦艮 吉
①敦く止まる。吉である。
②敦伐して退け。契刻した誓約の実現を求める。
「敦」は地雷復、地澤臨でも用いられる。「敦」は礼器の名。あつい。まことの意味がある。金文では「敦伐」(たいばつ)の意で用いる。ここでは”確実に退く”あるいは”退治する”と解したい。易の最上位は概ね凶意が出てくるが艮爲山は例外となる。それは上位になればなるほど止める力、退く意思が強くなるからである。爻辞の段階を見れば、九三が危地に赴き最も危うい状況であり、六四から上の爻はそれぞれの段階で退く機会を得、危地から逃れる運気となる。
(浅沼気学岡山鑑定所監修)