風地觀

                              

 

 

【彖辞】觀盥而不薦 有孚顒若

 

①神意を察するにあたり、手を洗い身を清め、供物を捧げることを控える。

   真心あり、威厳をもって敬うがごとし。

②鳥占により神意を察する。両手を洗い拝礼し白茅を敷き、恭しく初物の

 薦羞を控える。真心あり、神に祀り願い事の受諾を求める。

③両手を洗い身を清めるのを觀て、推薦を控える。真心あり、威厳をもって

 神託を受ける。

 

「觀」は鳥占により神意を察する義。「盥」は盤中で両手を洗う形。廟中で身を清める作法を表す。卦の形は鳥の立つ姿にみえるからこの卦名をつけたのだろう。さらにこの卦は見ようによっては筮竹を立てる形にも見える。いずれにしてもこの卦は厳粛な儀式を行う卦である。彖辞は神意を察するにあたり、手洗しても供物を捧げることを控える。あるいは手洗いを觀て薦めずと訳することもできる。手洗いしても供物を薦めないとなると、何か特別な事情がない限りこのようなふるまいはしないだろう。あるいは手洗いの形を占筮とすると、占筮を觀て薦めることを控えると解釈することもできる。風地觀の彖辞は占例を見て個々の事情を判断するしかない。但し、手がかりがないわけではない。実は風地觀の賓卦の地澤臨は臨時、臨検、臨戦の義である。差し迫った状況を現わした卦であり、爻辞の「咸臨」の「咸」は感染の義でもある。ここに至り「觀盥而不薦」の理由が別の角度から見えてくる。 

 

 

       

       

【初六】童觀 小人无咎 君子吝

 

①童僕が神意を察する。小人は神罰なし。君子は恥をかく。

②心定まらず鳥占で神意を察する。小人は神罰なし。君子は凶事の儀式を

 行う。

 

「童」の金文の字形は「東」(嚢)。目の上に入墨する義で受刑者。結髪の許されない者。「童」は山水蒙、澤山咸でも用いられる。「憧」は心の定まらない様で、「憧憧」は往来絶え間ない様子を現わす。「童」は子供であるから自信なく判断が甘い人とみられる。

  

山水蒙【六五】蒙 吉

澤山咸【九四】貞吉悔亡 憧憧往來 朋從爾思

 

 

 

 

【六二】闚觀 利女貞

 

神意を伺い、察する。女は出入を厳密にして貞卜するによろしい。

 

「闚」はうかがう。正面から見ないで覗き見する。「規」はぶんまわし、丸を書く道具を意味する。風地觀の形は分度器の形にも見える。その弧を描く芯が坎の九二に当たる。この分度器の回転に準じた動きをするものが星の回転である。雷火豐上六の爻辞に「闚」「覿」の文字があり、雷火豐と風地觀に繋がりがあることが分かる。風地觀の六二が変爻すると風水渙となり、その風水渙の裏卦が雷火豐である。雷火豐六二の爻辞に「日中見斗」とあり、この「斗」を北斗七星と見なすこともできる。北斗七星は北極星を中心にして天空に弧を描きながら回転する。この動きに準じたものが分度器の回転である。この繋がりを 「闚」は示している。六二は九五の君主に謁見する位置であるが、君主でもあり聖所でもある九五を前にして恐れ慎み出入りを厳密にする。

 

風水渙裏卦雷火豐【六二】豐其蔀 日中見 往得疑疾 有孚發若 吉

     雷火豐【上六】豐其屋 蔀其家 其戸 闃其无人 三歳不覿 凶

六二変爻 風水渙【九二】渙奔其机 悔亡  

 

六二変爻による風水渙の九二は急いで受付となる机に奔る様子を表す。こうした卦の繋がりを総合すると、雷火豐六二の一つの見方は、日中に計測器「斗」の数値を見、往き「疾」病が疑われ、闚い觀ることである。易の爻辞は爻の動きと変化予測を実に正確に捉えている。変爻の推移によって同じ文字が用いられる場合は、その卦との繋がりを見て爻辞の意味を包括的に捉えていく必要がある。

 

 

 

 

【六三】觀我生進退

 

①我が生(なりわい)を鳥占し、あるいは進みあるいは退く。

②我が生(なりわい)を詳らかに見て、進退を決する。

③我が生が一進一退するのを観る。

 

 

六三という位置の特性が現れる。上下卦の境界線にあり進みがたい状況。「進」は進退に関して鳥占によって決めること。あるいは軍を進める義。同様の語が巽爲風初六「進退 利武人之貞」にある。「退」は神に供えたものを引き下げること。六三は出処進退について神意を確認する。「進退」の文字を用いた背景には、六三変爻の動きがあるからであろう。六三が変爻すると下卦に艮が生じ、艮の止まりあるいは退く象意が出てくる。陽爻になればむしろ意を強くして艮の力が増し踏みとどまりたくなる。九五の「君子」の引き合いで昇進を打診され、出処進退につき気持ちが揺らぐ。あるいは九五の「君子」が六三の「生」(なりわい)を見定めているため、進退定まらない様子。

 

 

 

 

【六四】觀國之光 利用賓于王

 

方国の輝きを詳らかに察する。もって王の賓客となるがよい。

 

「賓」は神霊を迎える。賓客の義。主従の礼をとること。観光は易経のこの爻辞を由来とした用語と考えられる。元来の観光とは國の輝きを観ること。その国王の賓客となることを意味する。「國」は上下卦の境界線に出てくる国境の統治管理に関する文字。風地觀の六四が変爻すると天地否。その裏卦は地天泰。地天泰の六四に「翩翩不富 以其鄰 不戒以孚」とあるから「國」は「鄰」國の意味で用いられる。この爻辞の「王」は九五とし、六四は巽の従う気運に入り、九五に一番近いから賓客となる。「光」はどの象意から来たものだろうか。一つは九五の徳を賓客の六四が光として見ている。もう一つは裏卦雷天大壯の象意と見る。下卦の乾の光と上卦震の雷光が現れ出る。この國の勢いを、輝きを放つ「光」と称えたのではないか。 

 

 

 

 

【九五】觀我生 君子无咎

 

我が生業を詳らかに察する。君子は咎めなし。

 

 「我」は鋸刃の形象。犠牲の羊に鋸を加える形。我は多子族卜辞にみえる人名。王子中の特定身分。あるいは王位継承の順位者と見なされる。「生」は草の生え出る形。種の発芽生成の形象。ここでは生業と捉えた。九五は「我」の意味から王位を継承するものと見られる。君子は徳の高い人として位置付けられる。「我生」の文言が六三にもあることから、九五が六三の「進退」(任免権)を握っていることが伺える。五爻は三爻の動きに強く影響を受け、三爻もまた五爻の影響を強く受ける。

 

 

 

 

【上九】觀其生 君子无咎

 

その生業を詳らかに察する。君子は咎めなし。

 

「我」は自分自身。「其」は相手のことであろう。あるいは「我」は六三と九五の関係を表し、「其」は六三と上九の関係を表す文字であろう。この卦は人の命運及び國の命運を観る卦と推察する。

 

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)