水雷屯

                                   

 

 

【彖辞】屯 元亨利貞 勿用有攸往 利建侯

 

行き悩む。任務を完了して身を慎しむによろし。行くところがあってもこれを採用してはならない。外服に際し建物の下に矢を放って異族の邪気をはらう侯穰の儀礼を行え

 

乾は光であり宇宙を現わす。坤は地球または大地を表す。その次に来るのが水雷屯。これは何を意図しているのだろうか。易経の卦の流れを総合的にみると、作者は何かの意図をもって編纂したように感じる。推察するにこれは宇宙創成、地球創生の順番を物語っている。最初に光があり、その次に大地が形成される。その次に水=雨(坎)がもたらされ、雷(震)の振動と光によって生命がもたらされる。天地が定まり今から国を作るにあたり、慌ただしく混乱している様子。故に水雷屯の爻辞のほとんどは右往左往している様子が描かれる 

 

 

 

 

【初九】磐桓 利居貞 利建侯

 

①立ちもとおる。身を慎しみその場に居るによろし。侯穰の儀礼を行え

②岩盤のごとき標識を建てる。身を慎しみその場に居るによろし。

 侯穰の儀礼を行え

 

「磐」は平らで円く大きな岩石。「桓」は左右に並びたてた標識、軍門のようなもの。水雷屯の初九は天地創成後、地上に国を作っていく最初の段階を表す。まず土地を確保し都づくりを始め異方との国境を定める。「磐桓」はたちもとおる、徘徊する意味と記されるが、文字の元来の意味は軍門を立てることを示す。「利」は刀で禾穀を刈る形。収穫を得ること。「建」は設営すること。国づくりを行うこと。「聿」(イツ)は筆の形と又(手)の形。律令を表す。従って建国に際し、律令を制定することの含みを持たせている。「侯」は外服に際し建物の下に矢を放って異族の邪気をはらう侯穰の儀礼のこと。これらの文字を総合すると、都づくり、国づくりのための一連の動きが明確に現れる。「侯」は六三の辺境にて異族の邪気をはらうことを表す。その役目を果たすのは初九であるが、初九は力が強く六三を手中に収める勢いがある。「利建侯」は初九が九五の王に命じられて、六三の辺境に進出することを表す。その一方で、九五は初九の勢いを懸念する。それが「居貞」(拠点に居り、出入りを厳密にせよ)の義に現れる。裏卦火風鼎初六の爻辞は初九が九五の地位を顛覆させる恐れがあることを示す。

 

鼎顚趾【初六】鼎顚趾 利出否 得妾以其子 无咎

 

水雷屯の初九が六四と応じ、六四が変爻すると澤雷隨となる。この形は裏卦と賓卦の同一形となり、裏卦山風蠱の形は震の「趾」が逆転し、「顚」覆した形になる。この形を初九が九五の地位を顛覆させる動きと見ている。また水雷屯の六三が変爻すると水火旣濟となり、この形も火水未濟とともに裏卦と賓卦の同一形となる。その水火旣濟の九三の爻辞は辺境を征伐することを表す。易は陰陽が交互に並ぶこの形をもって「旣濟」、すなわち統治の完成と見なす。

 

水火旣濟【九三】高宗伐鬼方 三年克之 小人勿用

 

初九の「利居貞」は彖辞の「元亨利貞」に応じている。この文言は実質的には「元吉」に相当する義がある。「元吉」は五爻が元首であることを明確化させる文言である(*注)。初九は九五の権威を凌ぐ勢いがあり、九五が元首であることを揺るがす。この時爻辞に「元吉」を加え、五爻あるいは当該の爻変により五爻の元首を明確化させる。但し水雷屯は初爻に「利建侯」の義があり、陽爻で震の形が必要となり変爻が出来ない。従って彖辞に「元亨利貞」と記し、「利居貞」の文言をもって「元吉」に変えさせる。この推察は九五変爻による地雷復初九に「元吉」があることで確証が得られる。

(*注)「元吉」については風雷益で詳述。

 

 

 

 

【六二】屯如 邅如 乘馬班如 匪寇婚媾 女子貞不字 十年乃字

 

①恭順するがごとく、旋回するがごとく、馬に乗り班に分かれるがごとし。

 奪い取るのではなく嫁取りせんとする。女(子)は出入を厳密にし、

 家廟へ出生を報告せず。十年後に命により家廟に報告する。

②恭順して如(はか)る旋回して如(はか)る。望乘の馬は分かれて

 如(はか)る。奪い取るのではなく嫁取りせんとする。女(子)は出入を

 厳密にし、家廟へ出生を報告せず。十年後に命により家廟に報告する。

 

「屯」は織物の縁飾りの形。集まる。束ねる。悩むと解される。説文解字は「難むなり。艸木の初めて生じ、屯然として難むに象る」と解しているが、金文では「純」の意味に用いられることがあり、恭順、よいの義となる。「屯」は坎の象意。故に九五を表す。六二は九五に恭順の意を表する。「邅」はめぐる。行き悩むこと。「乘」は「禾」(か)の上に人が二人上っている形。一人が木に登って遠くを望むこと。他の勢いをかりて行動することを意味する。卜辞に「望乘」という族名がある。「班」は一連の玉を分ける義。「如」は神意を諮ること。神意を得て従うことから「如くする」の義が生まれる。卜辞に「王は其れ如」(はか)らんか」とある。「寇」は廟中で虜囚を打ち敵に呪祝をする義。「貞」は出入りを厳密にして、修祓すること。身を慎む義。「字」は出生に際し家廟に出生を報告する儀礼を表す。

 

古代に花嫁狩り、恋狩りを歌った詩句があるから、この爻辞は当時の習俗を記述したものかもしれない。「乘馬班如」の「馬」は初九であろう。六二は下位の初九の上に乗り右往左往する。「班如」は六三変爻の象意であろう。六三が変爻すると水火旣濟となり、陰陽が交互に重なり班」の一連の玉を分ける形となる。またこの形は裏卦にも生じ、九二、九四、上九と一連の玉を分ける形が生じる。「匪寇婚媾」の「匪寇」は六二からもたらされるものではなく、六三からもたらされるものと見る。六三は九五の主君に恭順し食禄を求める。すなわち六三は九五に対し「婚媾」を求める。さらに六三は九五と初九を繋ぐ位置にあり、双方を結びつける役割がある。これが二つ目の婚媾」となる。この六三の動きに並行して、六二は正応としての立場から主君の九五に婚媾」を求める。九五は二つの位置から婚媾」を求められている。「女」は六二を表し、未婚の女性を表す文字と見る。「女子貞不字」は女子が子供を産んでも出生届をしないという解釈と、嫁いでも名字も変えず届け出もしないという解釈もありうる。「十年乃字」の「十年」は坤の象意であり、六二から六四の陰爻三つ(坤)の形から来ている。六二は九五の主君に応じているが、初九の力が強すぎて応じることができない。さらに六三が変爻する動きを察知し、しばらく身を慎むことを「女子貞不字 十年乃字」と表現する。

 

 

 

 

【六三】卽鹿无虞 惟入于林中 君子幾不如舍 往吝

 

①鹿を提供せんとするも狩猟の道案内人なし。ただ林の中に迷い込む。

 君子は幾察して止まるに如かず。行けば恥をかく。

②禄位を賜るも軍令なし。ただ林中に迷い込む。君子は不物の者を幾察し

 これを祓い、如(はか)りて命を舍(あた)えず。出行すれば禍ある。 

 

「卽」は膳の前に人が坐する形。提供する。また実物を相手に交付する意味がある。ここでは職に就く、即位の義であろう。「鹿」は「禄」(天禄・さいわい)に通じる。食禄の義。「虞」は予備儀礼として神を楽しませ神意を和らげること。山澤の狩猟を司る。軍事を諮問する。軍令の義。「虞」は風澤中孚初九で用いられる。「幾」は戈に呪飾を付けて機微を視察する義。国境を視察する。周礼に「管鍵を授け、もって國門を啟閉す。出入りする不物の者を幾す」とあり、事を未発のうちに見つけて祓う意味がある。「舍」は「捨」の初文。捨てること。祝禱のサイに針を刺して祝禱の機能を失わせること。ことを中止する義となる。金文に「三事の命を舍(お)く」とあり、また命を舍(し)く、命を舍(あた)ふの義で用いる事例がある。ここでの「君子」は九五を指し示す。六三は九五の軍門に下るが、未だ軍令が届かない状態。六三の位置は国境、辺境の地であり、道案内人がおらず林の中に迷い込んだ状態となる。

 

「君子幾不如舍」は現代の文法で訳すと、君子は兆しをみて止むにしかず。すなわち取りやめする義となる。これを文字の原義と当時の周礼にそって忠実に訳すと、君子は出入りする不物の者を幾察し、これを祓って、神意を如(はか)り、命を舍(あた)えず、となる。すなわち辺境の統治に当たり、君主の意に沿わない人物に命を与えることはしないという意味になる。この意味は「卽鹿无虞」の解釈に通じる。「虞」は軍令を意味するから「无虞」は軍令無しとなる。それ故に「惟入于林中」となり、「林中」すなわち初九と九五との「木」と「木」の間に挟まれ、どちらに従うべきか途方に暮れる。この状況を警戒した九五の君主は安易に六三に命を与えないということだろう。仮に不物の者に六三に辺境の地を任せると、いずれ九五の君主の地位を凌ぐ恐れがある。この爻辞は辺境に派遣されても指令が下されず途方に暮れるということ、また相手の素性をよく見て安易に役を与えてはならないことを伝えるものでもあろう。往吝」はこの状況でことを遂行すれば失態を犯すという意味である。賓卦の山水蒙六四に「困蒙 吝」とある。困窮して戸惑う様子が賓卦からも伺える。

 

水雷屯の上卦は水(坎)、下卦は雷(震)となる。気学でいう一白と三碧である。三碧は長男を表し後継ぎを意味する。また思春期の気であるため気性が揺れ動き落ち着かない。故に自立するまで父親または先達の指導が必須となる。先達の導きなしでは大人として立派に自立できない。この三碧を導くのが一白となるが、一白は三碧の導き役になると水の性質上非常に不安定になる。故に三碧は右往左往する。  

 

三碧は目的を明確にし一筋に歩む時は成長著しい。だが目的なく放されると右往左往、失敗の連続となり、なかなか正しい道を歩めない。これが「惟入于林中」。ただ林中に迷い込むのみ。「君子幾不如舍」は道理を弁えた君子は危ういと察知した段階で踏みとどまるという意味。これは三碧に対する訓戒でもあり、実は導き役としての一白に対する注意勧告でもある。

 

                

 

 

【六四】乘馬班如 求婚媾往 吉无不利

 

①馬に乗り班に分かれるがごとし。婚媾(契約)を求めて行く。

 契刻した誓約の実現を求める。よろしからざるなし。

望乘の馬は分かれて如(はか)る婚媾(契約)を求めて行く。

 契刻した誓約の実現を求める。よろしからざるなし。

 

「求」は呪霊を持つ獣(羊)の形で呪霊の祟りを祓うこと。金文に「乃(なんじ)の友を贖求せよ」「乃の人を求(つぐな)へ」とあり、金文では贖う義で用いる。「乘馬班如」は六二、六四、上六に出てくる。一爻隔てて出てくることが水雷屯を読み取る鍵となる。この卦は水火旣濟の九三が変爻した卦である。水火旣濟は陰陽交互に重なり、上卦と下卦が和合する陰陽の完成形である。「乘馬班如」の「班」は六三変爻による水火旣濟及びその裏卦である火水未濟の形を想定している。六二の「馬」は初九であり、六四の「馬」も同様に初九と考えられる。初九は六四に応じながら六三と結びつく。六三が変爻すると初九、九三、九五の陽爻が陰爻をはさんで繋がる。この形を「班如」とし、裏卦も同様に九二、九四、上九の陽爻が陰爻をはさんで繋がり「班如」の形となる。六四が「吉」となるのは初九の正応となるからであろう。「婚媾」の文言が六二に応じる。六四の婚媾」はまず初九との繋がりを示し、また六三変爻後の裏卦火水未濟での九二と九四の繋がりを示すさらに六四が変爻すると澤雷隨となり賓卦と裏卦の同一形となる。この形は下卦が震、上卦が兌となり、上下卦を折り曲げて重ねると陰陽和合する。

 

 

 

 

【九五】屯其膏 小貞吉 大貞凶

 

その恩恵に恭しくする。小事は身を慎んで従えば吉。大事は身を慎んで行っても禍ある。

 

「膏」は胸郭より上の骨の形で横隔膜。あぶらの厚いところ。潤い。恩恵を意味する。九五の「屯」が六二の「屯」に応じることから、六二が九五に恭順し、九五が恩沢を六二に与えることが分かる。「小貞吉 大貞凶」の「貞」は初九と六二の「貞」に応じる。二つの爻が九五に対して出入りを厳密にする形とみる。「小」を小臣の六二とみなすと「大」は大人の九五を示す。六二の小臣が恭しく出入りを控えるのは吉であるが、九五が臣下の出入りを厳密にするのは凶となる。さらに「貞」を貞卜とすると、小臣が貞卜すれば吉、大人が貞卜すれば凶の結果が出ると解釈することもできる。裏卦火風鼎の九三に「鼎耳革 其行塞 雉不食 方雨虧悔 終吉」とあり「膏」が応じる。

 

 

 

 

【上六】乘馬班如 泣血漣如

 

①馬に乗り班に分かれるがごとし。涙と血が漣漣と流れるがごとし。

望乘の馬は分かれるが如し。血盟に立(のぞ)むこと漣(なみだ)つが

 如し

 

「漣」はさざなみ。なみだつ。さめざめとなくこと。詩経に「泣涕(きゅうてい)漣漣たり」とある。「血」は血盟、血族の義があり、また「泣」の「立」に位に涖(のぞ)む義があるから、血盟にのぞむと訳す。上卦坎の水が下卦震の振動によって揺さぶられる。六三が変爻すると水火旣濟、その裏卦は火水未濟となり、波立つ形となる。

 

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乾爲天、坤爲地により、陰陽の完全なる世界が提示され、陰陽二つの相反する気が混ざることにより、地球創生の最初の形が現れる。これを水雷屯とする。ここで水雷屯の成立について卦の形象からもう少し詳しく考察したい。それはなぜ坎(水)と震(雷)が乾爲天、坤爲地の次、すなわち陰陽混淆の最初の形として現れるのかということである。ここに易の変化推移の明確な意図が現れているように思う。

 

易は気の循環の法則であるから、最後の形が必ず最初の形に繋がるはずである。そのように仮定すると、水火旣濟の陰陽が均等に並ぶ完成形が最後の形。ここから水雷屯に移行する動機があるはずである。その答えを導く一つの鍵は三爻の動きにある。易は三爻が上下卦の境界線にあり、ここが最も不安定となる。つまり水火旣濟の完成形は三爻の変爻によって崩れる可能性が高い。水火旣濟の九三が変爻すると水雷屯となる。完成形から未完成への移行である。未完成の形は火水未濟にも現れる。これは上昇の気である火が上にあり、下降の気である水が下にあるため、陰陽混淆が図られない。それ故この形も未完成の形となる。水火旣濟の完成形の崩れには、水雷屯、火水未濟という二つの形への移行が用意されている。

 

もう一つの解釈は坤爲地からの気の動きである。これは後天図からの理論的考察となる。後天の世界では坤宮から震宮へと移行する。坤の無からはじめて初陽(初九)が生じ、尻を叩かれるように陽気が動き始める。さらに坤は先天においては後天の坎宮に存在する。坎(一白)の根源には坤(二黒)が潜んでいるというのが宇宙の真理である。この解釈は坎の生命は坤の無においてはじめて生じるという理である。この二つの真理を上下卦に並べたものが水雷屯の由来であると捉えることもできる。

 

雷の発生には気象において次のような動きがある。電子は雲から地表に向かい、地表に近づいた電子が地面の陽電子と反応して電流となり雲に上っていく。これが雷発生の原理である。雷とは雲から降りる陰の電子と地表の陽電子との陰陽混淆の姿でもある。これが新たな化学反応をもたらし、何もない地球に生命体を生み出す下地を作る。水雷の水とは水蒸気が上昇してできた雲。その雲中に存在する電子の陰気と地面の陽気(震の初九)との混淆の姿が水雷屯でもある

 

 

(浅沼気学岡山鑑定所監修)