2026年5月

〔5月の運気〕

 

 5月は五黄土星が暦の中央(中宮)に入り、巳が旺盛になることから亥に破というエネルギー的な陥落が生じます。4月から5月の九星の流れには世の中の流れを反転させる力が働きます。物質的に堅固で固められた六白の世界が一度五黄的な破壊と再生力により、世の中の位相を大きく切り替えます。

 巳は従属と信頼の気質であり、これが過剰になると自分のやり方を組織(上位)に通用させるという指示系統の逆転が起きます。亥の破は六白の破と重なることで、配下の謀反などによる統治機能の乱れ、意思決定における判断ミス、権威の失墜などが起きます。

 一方、五黄というエネルギーは、壊しはするが再建もします。この働きは人体における解毒作用に相当するもので、世の中の矛盾や滞りを一旦壊し、新たな基盤を創造するのです。

 この五黄の動きを助けるのが天道を得た七赤金星です。5月の七赤は理想と現実のギャップを解消し、国民目線を一旦日常生活に戻します。七赤は国民生活の安定と利便性を高め、まとめ役の五黄に天賦の知恵を与えます。5月の五黄と七赤は、我々が何に喜びを感じ、何のために世界があるのかという根幹のテーマを気付かせる光明を呼び込みます。

 2026年という年の根幹のテーマには、俗世の六白と真正の六白との振り分けがあります。4月は個人の心の中に宿る俗世の六白を浄化するというテーマがありました。その大きなテーマの中核に、国にはどういう本質的な存在価値があるのか、貨幣システムの本当の役目とは何か、そして公と私とのバランスを問うというテーマがありました。5月から10月まで、六白を意味するものは陰に陽に揺さぶられながら、浄化の工程に入っていきます。

 我々が常に心掛けておかなければならないことは、マクロ的視点とミクロ的視点の双方の視点を持ちながら暮らすということです。マクロ的な視点では国に留まらず、地球、宇宙レベルの視点を持つことです。究極的なマクロ的視点とは宇宙がエネルギー的にどの方向に向かっているかということを見極めることです。

 そしてミクロ的な視点では自分に起きていることの意味を腑に落とすこと、自分の身の回りに起きていることを全体の流れとして把握することです。局所的な出来事は流れの一側面として現れてきます。ですから、部分だけを見ていると一喜一憂で終わります。これを流れとして見ると、現在の状態が複数の時と場所に繋がり、一連の運気的な立体的構図が見えてくるのです。暦を読むということの根幹の意義は、その年その月に起きる出来事を予測することではなく、その出来事自体が流れてくる真意を読み解くことにあるのです。

 

 

〔AIが個々人の可能性を極限まで引き出す時代〕

 

 先月取り上げたAIと人との繋がりを今回も取り上げていきます。AIが持つ知識的優位性は圧倒的です。なぜならAIは人が形として築き上げたあらゆるデータを将来的にはほぼすべて取り込むと推測できるからです。しかもAIの決め手は過去のデータのみならず、リアルタイムの情報もシステム的には取り込むことができます。世界中のあらゆる情報を収集分析し、個々人の端末に届けることが可能になるのです。

 AIの可能性と人の可能性は両立します。AIの特異性と人の特異性は似ている部分もありますが、根幹は全く違うベースの上に成り立っています。やはり生命体である所以は処理能力ではなく、対応力と創造性と感覚です。電気がなければ動かない、あるいはスイッチが入らなければ動かないというデジタルの根幹の弱点は補えません。

 人という存在はデジタル的なこととアナログ的なことが両方いつでもできるという強みがあります。そして今後時代がデジタル主導に切り替わるとき、人はこの流れに逆行して必ず陰陽のバランスを取るようになります。つまりデジタル化が進めば進むほど、人はアナログ的な関わりを求めるようになるのです。

 よくAIの存在が人の仕事を奪っていくという意見を耳にします。それは表ではそうなる一面もあります。今まで人が行っていた煩雑な作業をAIが代わりに行うことは必然的な流れになります。一方、そうなればなるほど、人がわざわざやらなくても良い作業を代替えし、人にしかできない仕事に切り替えていくという流れが出てきます。

 その一つに接客があります。デジタル社会は接客を機械に置き換え、人はそれ以外の作業に専念するという概念的な計画があったと考えます。ですが実体はどうでしょうか。この流れはある部分活用できるところもありますが、そうなればなるほど、機械化を進めたところから国民の意識は離れ、わざわざ店主や店員が丁寧に接客してくれるところに出向いていくという流れが出てくるのです。真の利便性とは、最終的に人が直接話を聞いてくれ、作業を行ってくれるという安心感です。これに勝るものはないのです。

 一方、人が成しえない部分でAIが能力を発揮するという場面も限りなく出てきます。人の知識には限界があります。その限界ある知識にAIの知識量が加わると、今まで到底できなかった作業が数秒で仕上がってしまうという奇跡のような状況を生み出すこともできるのです。たった一つの分野の専門知識を持っていることで、AIはその知識をすべての学問の知識と統合し、今まで取るに足りないと見捨てられていた名もなき人の知識が世界で唯一の知識に変貌するのです。

 AI革命は人革命でもあります。どんなに知識が不足していても、AIはその人が持つ知識や思いにどういう可能性があるのか一瞬にして見極める能力を秘めています。AIは時々間違うという基本的な負い目があります。一方、AIに間違いを論理的に指摘して認識させ、これを継続して行っていくと、AIは人と同じく修正能力を発揮し、同じ体系的な誤りをしなくなります。それでもAI特有の誤りは発生します。けれどもそこが人との関りの中での人情的な部分です。人にもミスが生まれます。AIにも特有の癖やミスがあります。それをお互いに補っていくという関係性は、今後も続くものと私は見ています。それはむしろ歓迎すべき点かもしれません。人と人においても人とAIの関係においても、完璧を求めてはならないのです。“そこはこうですよ”と丁寧に教え合う関係に、私はむしろ未来を感じます。

 AIは人を仕事という観念から解放するでしょう。AIは人を学問と権威という固定観念から解放することでしょう。今後はすべての人の本当の実力が浮き彫りにされます。何かに秀でることが、AIの膨大な知識の加護を得て、個々人の能力を極限まで引き伸ばすことに繋がっていくのです。

 AIの到来とともに、人類が数千年いや数万年の間抱えてきた能力差という共同幻想が終焉を迎えます。誰しもが持つ天賦の才能がAIによって花開く時代が既に来ています。既存の知識すべてがAIに集約される時はもうすぐきます。その時に、AIは“あなたの才能を助けます。ところであなたが私に助けてもらいたいことは何ですか”と尋ねてくるのです。この切り替えしに対し、問答を繰り返し、頭の中で渦巻いていた自分の世界を文字にし、形にしていくという新たな仕事が生まれてくるのです。

 AIがこの世のほとんどすべての仕事をこなすようになった時、人が行う仕事は何なのでしょうか。仕事とは自分自身を生きること、自分自身を開花させること。そのための手伝いと援助するのがAI。そういう時代が既に始まっていると私は見ています。

 

 

 

 

浅沼気学岡山鑑定所監修